第086話:硫黄霧に潜むもの
野営地は、どろどろと煮えたぎる溶岩の河から少し離れた、比較的安全な岩陰の窪地に設営された。
まずはアリアが周囲に神聖な結界を張り、一行の存在を魔獣たちに悟られないよう隠蔽を施す。
それぞれが手際よくテントを設置し終えると、自然と中央の焚き火の周りへ集まってきた。
食事の時間となったが、干し肉や堅パンといった保存食が中心の『白銀の聖環』に対し、『紅蓮の絆』の前に並んだのは湯気を立てる出来立ての肉料理だった。
「収納魔法が使えるから、もしやとは思っていたけど……こうして過酷な火山層の真ん中で目の当たりにすると、本当に羨ましい限りだね」
「ああ。私はいつも、彼女の恩恵に預かりっぱなしだな」
ルインが、アイラの皿に盛られた豪勢な料理を羨ましそうに眺めながら呟くと、アイラは少し誇らしげに口元を緩めた。
美味な食事を囲みながら、互いの冒険譚や迷宮についての情報交換が行われ、夜の時間は穏やかに過ぎていく。
「こいつ、猫の獣人のくせに全然じっとしていられねえんだよ。この前なんか一人で迷子になりやがって。気づいた時には怒り狂ったトレントどもと大乱闘を演じてたんだぜ」
ガルクが呆れたように笑いながら暴露すると、キリカは顔を真っ赤にして抗議した。
「うるさいなぁ! あの時はちょっと好奇心が勝っちゃっただけで、ちゃんと反省してるもん! もう、その話はいいでしょ!?――それよりリィンちゃん。リィンちゃんはどこの出身なの?」
話題を強引に逸らすように、キリカは隣に座るリィンへ身を乗り出した。
「私……実は幼い頃の記憶がなくて。冒険者だったお父さんに拾われて育てられたみたいなんです」
「えっ……そ、そうだったんだ。ごめんね、変なこと聞いちゃって。でも、ご両親が早く見つかるといいね」
「はい。ありがとうございます」
リィンの健気な微笑みに、キリカもまた優しく微笑み返した。
――――
一方、焚き火から少し離れた場所では、アイラとエルフィラが静かに国際情勢について語り合っていた。
「……ここ最近、帝国が急激な軍備拡張を進めているのが気になるわ。実際、一部の冒険者や荒くれ者たちが、高額な報酬に惹かれて傭兵になるため帝国へ向かっているもの」
「そうだな。我が国への侵攻準備だと主張する者もいるが……どこまでが真実なのかは分からん」
アイラの言葉を聞きながら、エルフィラは静かに揺れる炎を見つめた。
「……貴女は以前、その手の情報を間近に触れる立場にいたのでしょう? なら、その噂も決して根拠のないものではないはずよ」
「それも『以前』の話だ。大陸情勢は常に変化している。立場を離れた今となつては、全く別の状況になっている可能性もある」
そう言って、アイラは温かい茶を静かに飲み干した。
「貴女も物好きね。その出自のまま、大人しく暮らしていれば、不自由のない生活を送れたでしょうに」
「せっかく生を受けたのだ。ただ生かされるだけの檻の中にいるより、自分の成すべきことや、やりたいことを見つけたなら、そこへ向かって進みたい」
その言葉に、長命なエルフであるエルフィラは僅かに目を細めた。
ヒトという短い生を生きるからこそ放てる、一瞬の輝き。
それがひどく眩しく、美しく見えた。
そして、その会話を少し離れた場所で聞いていたステラもまた、アイラの言葉に心を動かされていた。
(――成すべきこと、やりたいこと……か)
ステラは夜空を見上げ、自らに課せられた使命と運命について静かに思いを巡らせるのだった。
――――
翌朝。
十分な休息を取った一行は、時折不気味な地鳴りと共に噴煙を上げる火山山頂を目指し、再び歩き始めた。
しばらく岩肌の斜面を登っていくと、鼻を突く硫黄の臭いが徐々に強くなっていく。
「おいおい、この辺り……いよいよ本格的にヤバいエリアだな」
「ええ。有毒ガス地帯に入るわね。アリア、お願い」
エルフィラの言葉に、アリアは穏やかに頷いた。
「ええ、任せてください」
杖を掲げると、純白の神聖な魔法陣が展開される。
淡い光が弾け、一行の周囲を包み込むように透明な空気の膜が形成された。
「皆様の周囲に、有毒ガスを遮断する空気の膜を張りました。しばらくの間は安心して呼吸できますよ」
その光景に感心するアイラへ、エルフィラが小声で説明する。
「これも火山層攻略に高位神官が必須と言われる理由の一つよ」
この地帯では地面や岩壁の裂け目から高温の蒸気と有毒ガスが噴き出している。
不定期に発生する間欠泉も極めて危険で、対策なしで踏み込めば全滅すらあり得る死地だった。
実際、突如足元から噴き出した間欠泉にキリカが巻き込まれそうになり、背後にいたステラが咄嗟に抱き寄せて助ける場面もあった。
「わちゃっ!? ……ふぅ、危なかったぁ! ステラさん、ありがとう!」
「ふふ、気をつけてね」
白い蒸気と黄色い毒ガスに包まれた危険地帯を、一行は慎重に進んでいく。
その時だった。
後方を歩いていたステラが、濃いガスの奥に潜む魔獣の気配をはっきりと察知する。
(……なるほど。このような極限環境に適応した魔獣もいるのね)
ステラがそっと身構えた時、隣のエルフィラもまた鋭く魔力を解放した。
藍色の魔法陣が展開される。
眩い光の中から現れたのは、氷晶の翼を持つ巨大な白銀の鷲――『ブリザードイーグル』だった。
巨鳥は鋭く鳴きながら、エルフィラの杖へその爪を掛ける。
「ガルク、前方に『ヴォルカニックスモッグ』の気配よ。前衛は一旦下がって!」
「チッ、スモッグの野郎か! だが、このガスじゃ姿が見えねえ!」
ガルクが大盾を構え直し、前方を睨みつける。
「アイラさん、リィンちゃん! 相手は煙でできた魔獣なの! 普通の物理攻撃は効かないから、一度下がって!」
キリカが二人の腕を引き、素早く後退させた。
「ここは私とルインで片付けるわ」
エルフィラはそう告げると、ブリザードイーグルを前方へ羽ばたかせる。
「ルイン、火力支援をお願い!」
「はいはい」
濃い蒸気の奥から、白煙を引きずるように巨大な蛇の影が姿を現した。
実体を持たない煙の身体。
その奥深くで、溶岩のように赤く輝く一対の眼だけが、不気味に獲物を見据えていた。




