第084話:氷結の巨兵
翌朝、アイラたちは停留所から乗り込んだ駅馬車に揺られ、迷宮の入り口へと向かっていた。
今日の空模様は、昨日の大雨とは打って変わって、厚い雲に覆われた曇天だった。それでも馬車を降りた冒険者たちは、一様に意気揚々とした足取りで迷宮のゲートへと吸い込まれていく。
入り口の広場が近づいた頃、行き交う人々の中で一際目立つパーティが、巨大な転移陣の近くに陣取っていた。
長身で筋肉質な、文字通り頭一つ抜きん出た狼の獣人――ガルクの姿は、遠目からでも一目でそれと分かった。周囲の冒険者たちが遠巻きに羨望の視線を送っていることからも、彼らがこの街でどれほど高名なパーティであるかが窺える。
「待たせたな」
アイラが近づきながら声をかけると、ガルクは破顔して片手を挙げた。
「いや、時間通りだ。むしろ、こいつが早く行こうって皆を急かすもんだから、こっちは予定より早く着いちまってな」
ガルクがそう言って、隣にいるキリカの頭をごつんと拳で小突く。
「い、痛いわねっ! あんただって『今日の遠征は楽しみだ、すぐ行こうぜ』って、一番ノリノリだったじゃない!」
「おい、バラすんじゃねえよ!」
朝から賑やかに言い争いを始める二人を見かねて、神官のアリアが困ったような、おっとりとした笑顔でアイラたちに頭を下げた。
「朝早くから騒がしくてごめんなさいね」
「いや、賑やかでいい」
アイラが小さく口元を緩めると、タイミングを見計らったようにステラが声をかけた。
「さて、お喋りはこれくらいにして行きましょうか」
ーー
衛兵に入場証を提示し、一行は迷宮内部へと足を踏み入れる。入場証に刻まれた火山層へのアクセス権を起動させ、全員で巨大な転移陣へと一歩を踏み出した。
視界が一瞬にして真っ白な光に包まれ、次の瞬間――。
視界が開けた先には、どす黒いマグマを滾らせ、もうもうと煙を上げる巨大な火山が立ちはだかっていた。同時に、肌を焼くような猛烈な熱風が容赦なく押し寄せてくる。次々に転移を終えた仲間たちが、不毛な赤茶けた大地に姿を現した。
「うわぁ……やっぱり中はもの凄く暑いですね」
「あーあ、だから火山層は嫌なんだよ。歩くだけで体力が削られる」
リィンが服の襟元をぱたぱたと仰ぎ、魔導士のルインが気だるげに不平をこぼす。
「これから全員に状態支援魔法をかけるから、少しだけじっとしていてね」
ステラが鈴を転がすような声でそう告げると同時に、その細い指先から膨大な魔力が編み上げられていく。発動したのは最上級の耐熱支援魔法だ。全員の身体を、淡い黄金色の光の膜が優しく包み込んでいく。
「わぁ、これすごいね! 暑さを全然感じなくなったよ!」
「おいおい、嘘だろ……? 前に来た時にこれがあったら、あんなに汗だくで干からびそうにならずに済んだんだがな」
ガルクとキリカが、自分たちの肌を覆う不思議な魔力の膜を見つめながら感嘆の声を上げる。金ランクの彼らから見ても、これほど完璧に外界の熱を遮断する支援魔法は規格外としか言いようがなかった。
「随分と強力で、洗練された支援魔法を使うのね」
隣を歩くエルフィラが、探るような鋭い視線をステラへ向けた。
「……そうね。私の家系は、少し魔法に縁が深かったの」
ステラがいつものように含み笑いで短くはぐらかすと、エルフィラはそれ以上深く追及することなく、「そうなの」とだけ返して、前を向いた。
「よし、じゃあ行くか!」
ガルクが先頭に立ち、大盾を構えて歩き始めた。昨日ギルドで打ち合わせた通りの、前衛と後衛のバランスを考慮した陣形で一行は進む。
「第三層の守護者の部屋は、あの火山のちょうど麓にあるんだよ!」
キリカが、隣を歩くアイラとリィンに得意げに語りかけていた。
「そうなんですか! でも、ここから見ても結構な距離がありますね……」
どうやらキリカとリィンは気が合うらしく、楽しそうに火山層の情報を交換し合っている。
「溶岩や岩肌に擬態した奴らがうろついてる。足元と周囲には常に注意を払えよ!」
先頭を行くガルクから、後方のメンバーへ向けて鋭い注意が飛ぶ。
(その通り。……前方の溶岩帯に、さっそく隠れているわね。気づくかしら? お手並み拝見ね)
ステラはいつでも迎撃できるよう、並行思考でそっと魔法の準備を整える。ガルクの言葉を受け、前衛のアイラたちも注意深く周囲を警戒しながら歩みを進めていった。
その時、ステラの隣を歩いていたエルフィラが、一切の詠唱なしに鮮やかな藍色の魔法陣を展開した。
空間が凍りつくような音を立てて現れたのは、巨大な氷のゴーレム――『アイス・アイギス』。
ガルクの巨躯をさらに上回る大きさで、無数の氷晶を組み上げたかのような、無骨で圧倒的な強固さを誇る体躯をしていた。右腕には巨大な『氷結の盾』、左腕には鋭利なパイルバンカーが備わっている。
(やはり、彼女も気づいていたみたいね。さすがは金ランク)
隣に突如現れた氷塊の巨兵を見届け、ステラもまた、自身の周囲に目立たないよう『ドラゴンスケイル』の刃を展開する。
「ガルク、下がって。アイス・アイギス、露払いを任せるわ」
エルフィラの冷徹な声に従い、氷塊の巨兵がズシン、ズシンと地響きを立てて前方へ進み出る。突然の召喚獣の登場に、アイラとリィンは驚きつつも素早く道を譲った。
「わかった。……お前たちも気づいてると思うが、あそこの岩陰に『溶岩ムカデ』の野郎が隠れてやがる」
「え? どこですか……?」
リィンが目を凝らすと、すかさずアイラが指差した。
「あそこだ。黒い溶岩壁と同化しているのがわかるか?」
よく見れば、ドロドロとした溶岩の流れる壁面に、巨大な多脚の影が完全に擬態していた。
アイス・アイギスが巨大な氷盾を構えて突撃する。
「ルイン、いつものように補助の準備をお願い」
「はいはい……」
ルインは気だるげに頭を掻きながらも、その瞳に魔力の光を宿して詠唱を始める。それを合図に、前衛のメンバーはそれぞれ武器を引き抜き、戦闘態勢に入った。
「ムカデ野郎の熱線噴射と毒牙には気をつけろ! あと、奴はフェロモンを放って仲間を呼び寄せやがる。周囲の増援にも警戒しろ」
ガルクが、初めて溶岩ムカデに相対するアイラとリィンへ向けて実戦的な助言を飛ばす。
次の瞬間、岩壁に張り付いていた溶岩ムカデが猛然と動き出し、口から激しい熱線のブレスを放射した。
しかし、アイス・アイギスが掲げた氷結の盾が、ジィィィと音を立てながらその熱線を完全に受け止める。そして間髪入れず、左腕のパイルバンカーを突き出した。
轟音と共に放たれた氷結の一撃が、溶岩ムカデの外殻へ深々と突き刺さる。
激しい金属音が響き渡った。だが、擬態していたのは一匹だけではなかった。すぐ隣の地面から、もう一匹の溶岩ムカデが牙を剥いて飛び出してくる。それをガルクが引き付け、自身の大盾で真っ向から弾き返した。
体勢を崩したムカデの隙を突き、キリカが目にも留まらぬ速さで双剣を振るう。氷の魔力を纏った双刃が閃き、ムカデの硬い外殻をまるで紙のように切り裂いていった。
「その双剣は……!?」
アイラがその威力に目を見張る。
するとキリカは敵を斬り裂きながら、得意げな笑みを浮かべて振り返った。
「驚いたでしょ! この子はね、私の魔力に合わせて属性を変えられる、とっても凄い相棒なの!」
そう言い終えるや否や、キリカはアイス・アイギスが足止めしているもう一匹へ向かって駆け出した。
「アイラ、リィン! あのムカデどもはあいつらに任せて、俺たちは周囲を警戒するぞ! 奴のフェロモンに釣られて、続々と集まってきやがる!」
ガルクの鋭い警告。
その言葉通り、背後の岩棚からアリアの死角を突くようにして三匹目の溶岩ムカデが音もなく飛び降りてきた。その奇襲にいち早く気付いていたのはステラだった。
(……させないわよ)
ステラは表情一つ変えず、アリアの頭上へ肉薄していたムカデへ向けて、あらかじめ展開していた『ドラゴンスケイル』の刃を放った。
空気を切り裂く鋭い風切り音。
透明な刃はムカデの頭部を正確に貫き、その巨体を地面へ叩き落とした。
ドサリ、と重い音を立てて崩れ落ちた魔獣は、そのまま物言わぬ魔石へと変わる。
「あら……。ステラ、ありがとう。助かったわ」
アリアは一瞬目を丸くしたものの、すぐに聖女のような微笑みを取り戻し、自らの杖を天へ掲げた。
「さて、お礼代わりに、私も皆さんへ聖なる祝福を授けましょうか」
アリアが紡ぐ神聖な祈りが天空へと溶けていく。
次の瞬間、一行全員の身体を温かな光が包み込んだ。
神聖なオーラが全身を巡り、力が内側から湧き上がってくる。
「すごい……! 身体の奥から力が満ち溢れてくるみたいです……!」
リィンが驚きに頬を紅潮させながら、神具『メルクリウス』を力強く握り締める。
「ムカデが来るわ。気をつけて!」
エルフィラの冷徹な警告が響き渡った。
彼女の視線の先――。
溶岩の河の向こう岸から、フェロモンに呼び寄せられた無数の赤黒い多脚の影が姿を現す。一匹や二匹ではない。
数十にも及ぶ溶岩ムカデの群れが、地響きを立てながらこちらへ向かって殺到し始めていた。




