第064話:裂爪のマルガ
執務室の奥に座っていたのは、巨躯を誇る虎獣人の老女だった。
「ギルドマスター、『紅蓮の絆』の皆さんをお連れしました」
「ああ、そちらの席へ案内してくれ」
書類から顔を上げ、低く響く声で受付嬢に指示を出す。三人が促されるまま席に着くと、マスターはゆっくりと立ち上がり、正面のソファへと腰を下ろした。
真正面から相対して初めてわかる、その凄絶な気配。全身に刻まれた無数の古傷、そして失われた左腕――。四肢の一つを欠いてなお、彼女の放つ威圧感に衰えは一切なかった。
「ようこそ、迷宮都市エデルナへ。私がギルドマスターのマルガだ」
そう言って、彼女は年季の入った煙管を取り出した。
「初めまして、ギルドマスター。『紅蓮の絆』のリーダー、アイラだ。そしてこちらがリィン」
「よろしくお願いしますっ」
リィンが緊張気味に会釈する。
「そして、こちらがステラだ」
「よろしく」
短く挨拶したステラへ、マルガの鋭い眼光が向けられた。
「……ほう」
虎獣人の女はステラをじっと見据え、紫煙をくゆらせながら片目を細めた。
「久々だねぇ。“化け物側”の匂いがする冒険者にお目にかかるのは」
その言葉に、ステラは脳内の情報を即座に照合する。
(迷宮都市エデルナのギルドマスター――《裂爪》のマルガ。最下層への到達経験を持つ歴戦の勇者……。伊達ではないわね)
「そして、あんたがアイラ、か。話は聞いているよ。『高貴な身分』から冒険者になるなんて、よほどの物好きだねぇ」
マルガは獰猛な笑みを浮かべ、アイラの反応を楽しむように鼻を鳴らした。
「ふふ、これも私にとっては大事な経験なのよ」
「ふん、まあいいさ。有望な冒険者が増えるのは、この街にとっちゃ歓迎すべきことだ」
マルガは深く煙を吸い込み、天井へ向けて白く吐き出した。
「さて……そんなあんたたちが、この厄介な迷宮へ挑む目的を聞かせてもらおうか」
アイラが隣に座るリィンへと視線を送る。
「この子が神具を探している。どうやら迷宮の最下層にある祭壇に、その手がかりがあるようなのだ」
「祭壇……。ああ、あの守護龍が座す場所か。最下層まで辿り着く者は少なくないが、あの龍の攻略は至難の業だぞ」
マルガはそう言って、失われた自らの左腕を愛おしむようにさすった。
「私も多くの犠牲を払い、この腕と引き換えにどうにか攻略したが……近頃のあの迷宮は、どうもおかしい」
「おかしい、とは?」
沈黙を落としたマルガへ、アイラが問いかける。
「……魔獣が年々強くなっている。宝箱から出る恩賞も、それに伴って強力になっているが――ここ最近、あの龍を攻略できた者は一人もいない」
(やはり、“進化している”というのは本当なのね。それが攻略難易度の急上昇として現れている……)
考え込むステラに、マルガはニヤリと口角を上げた。
「だが……あんたのような“化け物”が混ざっているなら、久しぶりの快挙も期待できそうじゃないか」
「ふふ、期待に沿えるよう尽力するわ。――ところで」
不意に話題を転換したステラに、マルガがわずかに身構える。
「最近、悪さをする冒険者が多いそうね。ギルドとしては、どのような管理をしているのかしら?」
「痛いところを突くな……。諸国から集まる流れ者すべてに縛りを設けることはできない。だが、あまりに目に余るようなら、ギルドとして相応の処分を行うまでだ」
「そう。それなら安心だわ」
「まあ――」
マルガは再び煙管を燻らせ、警告するように声を低めた。
「お前たちも承知しているとは思うが、冒険者の生き死には自己責任だ。迷宮の中では、背後に十分注意して進むことだな」
「ご忠告、感謝するわ」
「あと、老婆心ながら、準備はしっかりしておくことだ。基本中の基本だが、功を焦ると疎かにしがちだからな。何かあれば、ギルドを頼るといい」
三人は揃って頷き、重厚な執務室を後にした。
一歩外へ出れば、そこは依然として熱気に満ちた受付ロビーだった。ステラはその喧騒の中に混じり、自分たちを値踏みするような、刺すような視線をいくつも感じ取っていた。
(確かに、気をつけるに越したことはないわね)
先を歩いていたアイラが、リィンとステラの方を振り返る。
「今日はギルドマスターの忠告に従って、しっかり準備をしよう。それから、エデルナの街の散策もな!」
「ええ! 結構大きな街ですし、とても活気があって楽しそうです」
そう言って、リィンは瞳を輝かせた。不穏な空気も、彼女の純粋な好奇心の前では、少しだけ和らぐようだった。




