第062話:知能を持つ迷宮
立ち去った二人の後ろ姿を見送り、アイラは満足げにエールを飲み干すと、すぐさま追加を注文した。
テーブルの上には、持ち手を握り潰された無残なジョッキが置かれたままだ。それを興味深げに眺めながら、アイラはステラへ問いかける。
「王宮でも感じたが、其方の剣技は実に見事だな。それで後衛職を自称しているとは、とても信じられぬ」
「アイラさん、ステラさんの支援魔法も本当にすごいんですよ!」
「ほう、具体的にはどのようなものなのだ?」
まだステラの魔法を目の当たりにしたことがないアイラに、リィンはこれまでの冒険譚を熱心に語り始める。
そこへ、フェンリルが追加のエールと料理を運んできた。
【お見事でした、ステラ様。実力行使に出るまでもなく、連中を追い払われましたな】
フェンリルは、置き去りにされたジョッキを何食わぬ顔で下げていく。
【ええ。これで少しは静かになるでしょう。それに、あそこにいるアイラの護衛たちも安心したはずよ】
ステラは、酒場の隅に座る男女三人組へ、さりげなく視線を送った。彼らこそ、バルドス騎士団長が放った内偵の者たちだ。
【左様で。今にも飛び出そうと腰を浮かせておりましたからな。余計な騒動にならずに済みました】
フェンリルは一礼すると、再び厨房へと下がっていく。
酒場は先ほどの緊張から解き放たれ、元の活気を取り戻していた。周囲の冒険者たちは、リィンたちの会話を盗み聞きしようと耳をそばだてているようだが、ステラは一向に意に介さない。
時折リィンたちの話に相槌を打ちながら、ステラは並行思考を維持し、ウェイターとして立ち回るフェンリルとの念話を続けた。
【……なるほど。迷宮の各階層には転移陣があり、そこを起点に探索を再開できるのね】
【はい。しかし奇妙なことに、その転移陣が出現したのは14、5年ほど前からだとか。私は、この迷宮そのものが一種の『知能』を有しているのではないかと睨んでおります】
【知能?】
【宝物庫から出る武具や魔石が、冒険者の欲望を煽るよう絶妙に調整されている。まるで獲物を誘い込む蜘蛛の巣のように、迷宮自体が日々進化を続けているようなのです】
【迷宮が、意志を持って進化しているというの……】
その頃には、リィンとアイラもすっかり腹を満たしていた。会計のため、ステラがフェンリルを呼び止める。
【そのため、近隣諸国からも多種多様な冒険者が集っております。中には素性の知れぬ不穏な者も紛れているとのこと。また、迷宮には『魔女』の関与もあると聞き及んでおります。どうかご留意を】
【魔女……。そう、もう少し調べる必要があるわね】
会計を済ませ、三人は席を立った。
「美味しかったわ。また来るわね」
「ごちそうさまでした!」
リィンの元気な挨拶に、「あいよ、また来てくれ」とフェンリルが短く応える。
夜も更けた帰り道。街路には酔客たちの喧騒が残っているものの、魔導灯の柔らかな光が静かに道を照らしていた。
「明日は朝一番にギルドへ行こう。探索の準備もしなくてはな!」
「はい、アイラさん!」
楽しげに話す二人の後ろで、ステラは独り思考に耽る。
(知能を持つ迷宮に、魔女の関与、か……)
フェンリルの報告からは、何者かの作為的な意図を感じずにはいられなかった。
素行の悪い冒険者たち、そして進化する迷宮。
(また、厄介ごとの種が増えなければいいけれど)
ステラは夜空に浮かぶ星を見上げ、そっと小さくため息を吐いた。




