第058話:駅馬車の旅路
野営に備えて食料や備品を買い揃えているうちに、王都の空はすでに薄暗く染まっていた。三人は無理な夜行を避け、出発を翌朝に遅らせることを決める。駅馬車の手配を済ませた彼女たちは、ステラとリィンが定宿にしている宿屋『銀の竪琴亭』へと足を向けた。
「アイラ。貴女、宿泊先は宿屋でいいの? せっかく王都にいるのだから、王宮に戻ればいいでしょうに」
当然のように自分たちの後に続くアイラへ、ステラが半ば呆れたように尋ねた。
「すでに冒険者として城を出発した身だ。今さら戻れば、何か不備があったのかと余計な詮索を受ける」
「それに……」と、アイラは少女のような笑みを浮かべて言葉を継ぐ。「憧れだった冒険者としての一歩だ。最初から最後まで、仲間と同じ屋根の下で過ごしたい」
初めて足を踏み入れる宿屋の光景に、アイラは目を丸くした。
「……こんなに、こじんまりとしているものなのか」
王族としての外征先では常に最高級の迎賓館が用意されていた彼女にとって、質素ながら清潔な客室は未知の世界だった。きょろきょろと室内を見渡す姿に、玉座で凛としていた「第二王女」の面影はない。そんな様子を、ステラは微笑ましさと一抹の不安を抱えながら見守っていた。
その後、三人は夕食のために近くの酒場を訪れた。扉を開けた瞬間、店内の喧騒がわずかに静まる。三人の存在感は、荒くれ者の集まる場にはあまりに浮いていた。
ステラとアイラは周囲の視線を気にせず席に着いたが、リィンだけは落ち着かない様子で肩をすぼめている。
「どうしたの、リィン。食欲がないのかしら?」
「……周りの人たちの視線が、なんだか怖くて……」
「確かに、そうだな」
アイラは真面目に頷き、ステラは淡々と付け加えた。
「……じきに慣れるわ」
ステラにとっては、アイラという華やかな存在が加わった時点で目立つことは避けられないと理解していた。もっとも、ステラ自身の銀髪と妖艶な美貌もまた、男たちの視線を引きつけているのだが――本人にその自覚はない。
幸い、今日はギルドでの一件を知る冒険者が多く、絡んでくる不届き者は現れなかった。しかしステラは、今後の旅路で増えるであろう厄介事を予感し、小さくため息を吐いた。
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翌朝。朝靄の立ち込める城門近くの停留所には、一台の駅馬車が停まっていた。三名掛けの座席が三列並ぶ九名乗りの大型馬車である。荷台には山のような荷物が積まれ、出発を待つ馬たちの鼻息が白く立ち上っていた。
「これが駅馬車……。想像以上に、その、密な空間なのだな」
アイラが少し圧倒されたように呟く。
車内には『紅蓮の絆』の三人のほか、二人組の冒険者と数人の旅行者が席を埋めていた。護衛として雇われた鉄ランクの冒険者パーティが二組、馬車の前後を固めている。
「アイラ、言っておくけれど、エデルナまでの三日間はこれが日常よ。途中には宿場がないから、夜は火を囲んでの野営になるわ」
ステラが淡々と告げると、アイラは緊張を隠すように不敵な笑みを浮かべた。
「望むところだ」
馬車が大きく揺れ、王都の堅牢な城門をくぐり抜ける。王都近郊は警備隊の巡回も頻繁で、道は平坦。魔物や盗賊の影はほとんどなく、窓の外には穏やかな田園風景が流れていく。
しかし車内の空気はどこか硬い。銀髪の妖艶な美女、蒼い髪の神秘的な少女、そして気品を隠しきれない紅蓮の戦姫――あまりに場違いな美貌の三人組に、他の乗客たちが気圧されていた。
二人組の冒険者は時折値踏みするように視線を送るが、ステラの隣に置かれた神具の鞘や、彼女たちの隙のない気配を感じ取ってか、声をかけてくる様子はない。
「リィン、体調は大丈夫?」
「はい、ステラさん。馬車に揺られるのは初めてじゃないですから……でも、こうして皆さんと一緒だと、少し不思議な気持ちです」
リィンは少し照れたように笑い、窓の外を流れる景色を見つめた。ステラはその様子を横目に、静かに魔力を巡らせる。今はまだ平穏な旅路だが、王都の加護が届かなくなるエデルナ近郊に近づけば、空気は確実に変わるだろう。
アイラは初めて見る一般の旅行者たちの持ち物や会話に興味津々で、王女時代には得られなかった「外の世界」の生きた空気を瞳に焼き付けていた。
ガタゴトと車輪の音だけが響く中、三人を乗せた馬車は、最初の野営地を目指して東へと進んでいく。




