第004話:初めての依頼
翌朝。オニキスの街を包む霧がまだ晴れきらぬうちに、二人は定宿と決めた『銀の竪琴亭』を後にした。
清々しい朝の空気の中、リィンの足取りは昨日よりも幾分か軽い。
冒険者ギルドの重厚な扉を押し開けると、朝の依頼を求める冒険者たちの熱気が押し寄せてきた。
二人がカウンターへ近づくと、昨日椅子から転げ落ちた受付嬢が、一瞬だけ目を見開き、目に見えて身構える。
「あ……おはようございます。今日は依頼を受けに来られたのかしら?」
その声は丁寧ながら、どこか腫れ物に触れるような緊張を帯びていた。
だが、ステラが淡々と「ええ、初心者向けのものを」と告げると、彼女はすぐにプロの顔へと戻り、事務的に数枚の羊皮紙を差し出した。
周囲の冒険者たちの反応も、昨日とは一変している。
あからさまな嘲笑や野次は消え、代わりに遠巻きに様子を窺うような視線だけが注がれていた。鑑定器を粉砕した「未知の力」への警戒が、場に奇妙な静けさをもたらしている。
リィンは依頼板を見上げ、やがて一枚の依頼書を指差した。
「ステラさん、これにしましょう。……『薬草園を荒らす森鼠の討伐』」
それは魔物狩りの中でも最も初歩的な鉄ランクに該当する部類。
だが今のリィンにとっては、確かな一歩となる依頼だった。
街を出て数時間。
二人は郊外の開けた森へと足を踏み入れる。
「いい、リィン。魔獣と戦う時は、常に自分の間合いを意識しなさい。……来るわよ」
ステラの警告と同時に、茂みが揺れた。
次の瞬間――
人の膝ほどもある巨大な鼠が三匹、牙を剥いて飛び出してくる。
リィンは腰の古びた短剣を抜き放ち、全身を強張らせた。
「……落ち着いて。呼吸を整えなさい。相手の動きを『線』で捉えるの」
ステラはあえて手を出さず、リィンのすぐ背後で静かに指示を飛ばす。
細剣は鞘に収まったまま――だが、その身からは、いつでも戦局を覆せる気配が滲んでいた。
「……っ、はい!」
迫り来る一匹。
リィンは父ガイルに教わった型を思い出し、必死に刃を合わせる。
キン、と鈍い音が響き、青く光る短剣が牙を弾いた。
膝が震える。
それでも彼女は、歯を食いしばった。
「今よ――突き出しなさい!」
ステラの鋭い声が背を押す。
「……っ!」
無我夢中で踏み込み、短剣を突き出す。
刃は過たず、魔物の急所を貫いた。
一匹が崩れ落ちる。
残る二匹が一瞬、動きを鈍らせた。
その隙を逃さず、リィンは昨日教わった足運びを思い出す。
一歩、二歩。
流れるような動きで間合いを詰め――
鋭く、連撃。
やがて最後の一匹も倒れ、森に再び静寂が戻った。
倒した魔獣たちは魔石へと変化していた。
「ハァ、ハァ……やった、のかな……?」
肩で息をしながら振り返るリィンに、ステラは小さく頷く。
「ええ。……恐怖に飲まれず、自分の刃を信じたわね。合格よ」
二人は討伐の証拠品となる魔石を回収し、オニキスの街へと戻った。
夕暮れ時。
ギルドで達成報告を終えると、受付嬢の表情からは、わずかに強張りが消えていた。
「お疲れ様でした。無事に達成ね。……はい、これが今回の報酬よ」
差し出されたのは、数枚の銅貨。
決して多くはない。
だがリィンにとっては、どんな宝珠よりも重く、輝いて見えた。
「ステラさん! 私、自分でお金を稼げました!」
「ええ。今夜の食事は、少しだけ贅沢をしましょうか」
ステラはそう言って、誇らしげに銅貨を握りしめるリィンの頭を、やさしく撫でた。




