第037話:残像
ガストン本部長自らの案内で、リィンとステラはギルド本部の地下深くへと足を踏み入れた。
幾重もの防護結界と重厚な鉄扉を抜け、最下層へ辿り着く。そこには、精巧な転移陣が床に描かれていた。
ガストンが壁の突起に手をかけ、魔力を注ぎ込む。やがて魔法陣は淡い青の光を放ちながら起動した。
「……この転移陣の先にあるのは、各国のギルドが集めた機密文書や失われた魔道書など、古今東西の書物を集約した書庫だ。世界中の秘匿文書がここに眠っていると言っていい。本部長以上の権限を持つ者と、わしが直々に許可した者しか立ち入れん場所だ」
三人が転移陣に乗ると、視界が純白の光に包まれる。
光が収まった先には、重厚な木製の扉が静かに佇んでいた。
ガストンがその扉を押し開く。
そこに広がっていたのは、魔導ランプの淡い光に照らされた広大な『禁忌書庫』だった。
空気は極限まで乾燥しており、積み重なった古い羊皮紙の匂いが満ちている。
ここは、世界中の公にできぬ歴史や、正体不明の遺物を封印してきた、文字通りの『深淵』であった。
ガストンは入口で足を止め、二人を中へと促す。
「わしは一旦ギルドへ戻る。用が済んだら、このベルを鳴らせ。転移陣を繋ぎに戻る」
そう言って、ガストンはリィンに小さな金の鈴を手渡した。
彼が再び転移陣に乗り、完全に姿を消したのを確認してから、ステラは高々とそびえ立つ書棚へ視線を巡らせた。
並ぶ古文書の数々は、触れれば灰と化しそうなほど脆く色褪せている。
だが――リィンの足取りに迷いはなかった。
まるで血に刻まれた記憶に導かれるように、彼女は一つの棚の前でぴたりと足を止める。
「……これ」
リィンが手に取ったのは、表題すら刻まれていない漆黒の書物だった。
光すら吸い込むような、不気味な装丁を施された一冊。
ステラが横から覗き込み、眉をわずかに歪めた。
「……文字じゃないわね。これは純粋な魔力によって記録された『ログ』よ」
リィンがそっと表紙へ手をかざす。
次の瞬間、ページから溢れ出した淡い銀光が奔流となり、空間そのものを塗り替えていった。
浮かび上がったのは、現在とはまったく異なる世界の光景。
天を突くようにそびえ立つ白光の塔群。
網の目のように張り巡らされた滑らかな銀の軌道。
その上を、意思を持つかのように滑る鉄の塊。
空には、幾筋もの尾を引きながら飛び交う金属の鳥の群れ。
――魔法ではない。
極限まで洗練された『未知の技術』が支配する、超高度文明の姿だった。
だが、その圧倒的な繁栄は、一瞬にして崩壊へと転じる。
突如として空が裂け、巨大な『扉』が現れた。
そこから溢れ出したのは、無機質な殺意を孕んだ漆黒の波。
天を仰ぐほど巨大な巨人兵。
異形のシルエットを持つ鋼鉄の機体。
飢えた獣のように地を埋め尽くす鉄の群れ。
凄惨な蹂躙が始まった。
光線が瞬く間に都市を焼き払い、栄華を誇った銀の道は跡形もなく砕け散っていく。
映像が目まぐるしく切り替わる。
崩壊する世界の只中に佇む、白亜の祭壇。
血を吐きながら、凄まじい速度で複雑な演算紋章を展開する賢者たちの姿があった。
彼らは己の命を賭して、次元の扉を閉じようとしている。
その中央――。
一人の蒼い髪の少女が、銀色の繭に包まれていた。
少女は深い眠りについたまま、やがて開かれた時空の裂け目へと放たれていく。
「……え……これ、私……?」
震える声が、リィンの唇から漏れた。
やがて、記録の終端に重々しい言葉が浮かび上がる。
『七星の器、時の河を渡りて再臨せん。
均衡崩れし時、銀の翼を纏いて門を閉ざさん』
どれほどの時間が経ったのだろうか。
数十分か、あるいは数時間か。
映し出されていた超古代の映像が幻影のように消え去り、後に訪れたのは、耳が痛くなるほどの静寂だった。
「リィン……あなた、数千年の時を越えて、この時代へやって来たの?」
ステラの静かな問いに、リィンは言葉を返せない。
映像は完全に霧散し、手元にあった漆黒の書もまた、光の粒子となって虚空へ消え去った。
再び、書庫は沈黙に包まれる。
リィンは、震える自らの掌を見つめた。
そこに流れる血の重みを、本当の意味で理解するかのように。
――均衡崩れし時。
南の帝国はすでに不穏な動きを見せている。
世界を支える力は、確実に軋み始めていた。
「ステラさん……私、どうすればいいの?」
絞り出すような、儚い声。
ステラは静かに、だが決して揺るがない力強さで、リィンの華奢な肩を抱き寄せた。
「もう止まれないわ。リィン、あなたは明確な使命を持って、この地に立っているのよ」
ステラの金色の瞳が、少女の心に宿る迷いを焼き払うように鋭く輝く。
「迷う必要なんてない。自分にできることを、ただ全力でやりなさい」
一拍。
「――何があろうと、最後まで私があなたを導く」




