第030話:予兆
馬車の車輪が、整備された石畳の街道を軽快に叩く。王都が近づくにつれて周囲の緑は整えられ、商人の馬車や旅人の往来が目に見えて増えてきた。
御者台でディランたちと楽しげに話すリィンを眺めながら、ステラはひとり思索に耽っていた。
(……早すぎる。何もかも)
神具『メルクリウス』を手にしてからの、一段飛ばしの成長。かつて父が語った「光をつなぎ止める希望の鍵」という言葉は、これほどまでの適応力を指していたのか。リィンという少女が神具を得て、恐るべき速度で才能を開花させていく様は、天龍であるステラの目から見ても、畏怖すら覚えさせるものだった。
王都に着いたら、まずはあの巨人兵の正体と、神具にまつわる情報を改めて調べ直さなければならない。そう決意すると、ステラは思考を切り替えるように、一行の会話へと意識を向けた。
話題は、いつしかそれぞれの生い立ちへと及んでいた。
「へえ、リィンちゃんも冒険者の娘だったのか。道理で筋がいいわけだぜ」
バートの言葉に、リィンは少し困ったように眉を下げ、はにかんだ。
「いえ……。実は私、父さんの本当の子供じゃないんです。父さんは、ある任務の途中で私を拾って、そのまま育ててくれたって言っていました」
「拾われた……? じゃあ、どこかでご両親とはぐれたの?」
ミナの問いに、リィンは静かに首を横に振る。
「記憶が、全然ないんです。気づいた時にはもう、父さんと一緒にいました。どこから来たのか、親が誰なのかも、何もわからなくて……」
寂しげに、それでも淡々と語るリィンの身の上に、ディランたちは言葉を失った。鉄ランクとして多くの悲劇を見てきた彼らでさえ、彼女の抱える「孤独の根」に触れ、同情を禁じ得なかった。
ただ一人、ステラだけがその話を黙って聞きながら、リィンの「透明すぎる魔力の質」に目を細めていた。
その日の夕刻。一行は、王都まで残り一日という距離にある大きな宿場町に到着した。
久しぶりの野営ではない夜。一行は景気づけに、町で一番大きな酒場へと足を運ぶ。
「ひゃっほう! 焼きたての肉と冷えたエールだ!」
「リィンちゃん、今日は遠慮しなくていいわよ。ミナお姉ちゃんが奢っちゃうから!」
浮かれる『蒼穹の風』の面々と、運ばれてくる料理に目を輝かせるリィン。
――だが。
賑やかな酒場の喧騒の中には、不穏な「毒」のような情報が紛れ込んでいた。
「聞いたか? 南の『バルカ帝国』が、国境付近に軍を動かしているらしいぞ」
隣のテーブルの男たちが、声を潜めて交わす会話が、ステラの耳に届く。
「ああ。魔導軍の再編が終わったんだとよ。王国側も、王都騎士団の第一、第三師団を南部に派遣したって話だ。いよいよ、戦争が始まるのかねぇ……」
帝国の軍事行動。そして、アズール王国の緊張。
先日の巨人兵の件といい、まるで何かが連鎖しているかのように、世界が急速に冷え込んでいく。
「……バルカ、ですか」
ステラは運ばれてきた葡萄酒に口をつけず、赤黒い液体を静かに見つめた。
(動き出す情勢、そして目覚める神具……その中心に、記憶のないこの子が立っている。……偶然にしては、出来過ぎているわね)
ステラの憂慮をよそに、酒場には今夜を謳歌する冒険者たちの笑い声が、どこか虚しく響いていた。




