第002話:旅立ち
ガイルを弔い、数日が過ぎた。
リィンは住み慣れた小さな家を整え、最後に一度だけ、愛おしむように振り返る。
「……お父さん、行ってきます」
その背後には、旅装を整えたステラが静かに佇んでいた。
深い藍色の旅装束を纏った彼女は、何も言わず、リィンの決意を見守っている。
「さあ、行きましょう」
ステラがそっと手を引く。
二人は木漏れ日の差し込む森を抜け、未知なる街道へと踏み出した。
やがて森の静寂は途切れ、代わって聞こえてきたのは、荷馬車の車輪が軋む音と、遠くから響く鐘の音だった。
坂を登り切った先――
二人の視界に、黒い岩肌の山々に抱かれた石造りの城砦都市「オニキス」が姿を現す。
夕方の時間、辺りは薄暗くなり始めていた。堅牢な城壁の門をくぐった瞬間、リィンは思わず足を止める。
「わあ……っ! すごい、人、人、人……!」
城門から伸びる大通りには、溢れんばかりの活気が渦巻いていた。
威勢の良い声を張り上げる露店商、リズムを刻む鍛冶屋の鎚音。家路を急ぐ市民や、獲物を担いだ冒険者たちが肩をぶつけ合いながら行き交っている。
リィンは目を白黒させた。
「ほら、口が開いているわよ。……はぐれないように」
ステラは軽く呆れたように言いながらも、迷子を案じるようにリィンの手をしっかりと握る。
二人は人の波をかき分け、街の中央に鎮座する、ひときわ重厚な建物へと辿り着いた。
扉には、交差する剣と翼を象った紋章が刻まれている。
扉を押し開けると――
そこは外の喧騒をさらに煮詰めたような、濃密な熱気に満ちていた。
安酒の匂い、獣の血の残り香、荒くれ者たちの耳を刺すような笑い声。
「おい見ろよ、見かけねえ顔だ。片方は人形みてえな美人の嬢ちゃんだが、貴族の家出か?」
「隣のガキのお守りか何かかよ?」
酒場を兼ねたギルドホールから、下卑た視線と野次が飛ぶ。
リィンは思わず身を縮めた。
だがステラは眉一つ動かさず、静かに一歩前へ出る。
――その一瞬。
彼女が周囲に向けて放った冷徹な一瞥に、場の空気が凍りついた。
先ほどまで騒いでいた男たちが、冷水を浴びせられたかのように一斉に口を閉ざす。
沈黙が落ちた。
二人はそのまま受付カウンターへと進む。
「冒険者の登録をお願いします」
リィンがわずかに震える声で告げると、受付嬢が顔を上げた。
「初めての登録? それじゃ、まず名前から教えてちょうだい」
事務的な手続きを終えた後、受付嬢は濁った水晶玉を差し出す。
「そこに手を置いて。魔力の資質と適性を測るわ。それで初期ランクが決まるから」
まずリィンが手を置いた。
その瞬間、水晶は穏やかな光を放つ。
しかしその奥には、底知れぬ深淵を思わせる澄んだ蒼が揺れていた。
「……属性は水、あるいは無。魔力値は平均的ね。ランクは『鉄』からスタートよ」
次に、ステラが優雅な所作で水晶に指先を触れる。
――刹那。
パキィィィン……!
眩い白銀の閃光がギルド内を埋め尽くし、水晶に蜘蛛の巣のような亀裂が走った。
「なっ……鑑定器が、壊れた……!?」
受付嬢が椅子から転げ落ち、冒険者たちが一斉に立ち上がる。
ざわめきが広がる中、ステラは何事もなかったかのように指を離した。
「器が脆すぎるのではないかしら。……まあ、構わないわ」
氷のように冷ややかな声が、場のざわめきを押し潰す。
「私も彼女と同じ『鉄』から始めさせてもらう」
手渡されたのは、鈍い光を放つ鉄製のギルドプレート。
リィンのプレートの裏には、彼女の名前と、ガイルが名付けてくれた「絆」の文字が刻まれていた。
「……リィン。これであなたも、一人の冒険者よ」
ステラがプレートをリィンの首にかける。
リィンはそれを両手で握りしめ、嬉しそうに、そして誇らしげに顔を上げた。
「はい! よろしくお願いします、ステラさん!」




