第017話:動き出す歯車
執務室を後にした二人は、一階の待合室でしばし休息を取ることにした。
つい数日前までは、ステラの陰に隠れ、ここで誰からも一顧だにされなかった「鉄ランク」の少女。
しかし今、リィンが腰を下ろすと、周囲の冒険者たちの視線には、隠しきれない敬意と好奇心が混じっていた。
「……リィンちゃん、ステラさん! お待たせいたしました」
カウンターからアニスの明るい声が響く。二人が歩み寄ると、彼女の手のひらには、鈍く光る銀色のギルドプレートが二枚、恭しく置かれていた。
「おめでとうございます! 本日より、お二人は正式に『銀ランク』冒険者です。これからは、より高度な魔物討伐や国家間の重要依頼も受けられるようになります」
「……ありがとうございます」
リィンの指先が、冷たく重みのある銀のプレートに触れる。
「おめでとう、リィン」
ステラが優しく肩を叩くと、それを見守っていた周囲のパーティからも次々と声が上がった。
「おい新人! あの短期間で廃城を攻略したってのは本当かよ! 大したもんだぜ!」
「銀ランク昇格、おめでとう! 今度、美味い酒でも奢らせてくれよな!」
温かな祝福の声が周りの冒険者から寄せられる。
リィンは少し照れくさそうに、しかししっかりと背筋を伸ばし、それらの声に応えていった。
「さて……報告も終わったし、次はアニスさんの助言に従いましょうか」
リィンは手元の革袋を軽く振る。中からは、『蒼穹の涙』を換金して得た、ずっしりとした金貨のぶつかり合う音がした。これまでのリィンにとっては、一生かかっても目にすることのないような大金だ。
「そうね。今の貴女に見合うだけの防具を整えないと。以前の装備では、せっかくの動きを制限してしまうもの」
「ステラさんも防具、買うのですよね?」
「え? ……私は大丈夫よ。これでも、とても頑丈な鎧を着ているつもりだから」
(……なにせ私、天龍だからね)
ステラの心の声がそれに続く。人型に姿を変えてはいるが、天龍の鱗は物理攻撃はもちろん、あらゆる魔法攻撃に対しても絶対的な防御力を有している。
「そうなんですね。では、お言葉に甘えて、まずは私の防具を揃えさせていただきますね」
二人は活気あふれるオニキスの大通りへと繰り出した。
軒を連ねる武器屋や防具店の中から、ステラが選んだのは、目立たない路地裏に佇む一軒の老舗だった。
「いらっしゃい……。ほう、銀ランクのお嬢さん方か」
頑固そうな店主の老人が、リィンの胸に輝く銀のプレートを見て目を細める。
「動きやすさを重視した、魔力伝導率の高い防具を探している。この子のポテンシャルを殺さない、本物の品を」
ステラの妥協のない要求に、店主はニヤリと笑い、店の奥から一領の防具を取り出してきた。
それは、深い紺碧の硬質皮革と銀の軽合金を組み合わせた、美しいチェストガードだった。表面には、水の波紋のような魔力防護のルーンが微かに刻まれている。
「これは……」
リィンが触れると、まるで吸い付くように手に馴染む。魔力と防具のルーンが共鳴し、全身を柔らかな光が包み込んだ。
「これにします。……今の私に、一番必要な気がするんです」
新調した防具に身を包んだリィンは、鏡に映る自分の姿をじっと見つめた。
腰に下げた短剣はそのままに、しかしその背後には、空間の狭間に眠る伝説の宝剣を秘めている。
日が傾き始めたオニキスの街を背に歩き出す二人の背中は、以前よりもずっと力強く、未来への希望に満ちていた。
――その頃。
ギルドマスターのバッカスは、執務室の窓から二人の後ろ姿を見送ると、すぐさまデスクの引き出しから緊急連絡用の魔導具を取り出した。
それは、特定の最高幹部のみが使用を許された、ギルド本部への直通回線だ。
魔導具が青白く発光し、空間に通信用の魔法陣が浮かび上がる。
「……オニキスのバッカスだ。至急、本部へ繋げ」
通信が繋がると同時に、バッカスは声を低めて告げた。
「北の廃城において、これまでの調査記録を覆す『未知の次元扉』が確認された。そして――」
バッカスは、先ほど自分の両手を押し潰さんばかりの重みを見せた、あの碧の輝きを思い出す。
「……規格外の新人パーティが現れた。一人は、伝説級の神具を空間収納して操る少女、リィン。もう一人は、底の見えぬ魔力を持つ女、ステラ。――例の『星の欠片』案件にも関係している可能性がある」
通信の向こう側で、息を呑む気配が伝わってくる。
「……以上だ。彼女たちの動向については、こちらで最大限の便宜を図りつつ、監視を継続する。……この静寂が、いつまで持つか分からんぞ」
通信を切り、バッカスは深く椅子に背を預けた。
窓の向こうで燃えるような夕日は、祝福か、それとも破滅の予兆か。
リィンたちの冒険は今や、世界の命運を左右する巨大な歯車を回し始めていた。




