第009話:北の廃城
「……支度はいい?」
翌朝、夜明けとともにステラとリィンはオニキスの街の北門に立っていた。
朝露に濡れた街道のはるか先、遠く霞む山々の麓に、かつて王国の要塞であった三層構造の巨構――「北の廃城」が、不気味なシルエットを現している。
リィンは緊張で強張った表情をほぐし、力強く頷いた。
「はい、ステラさん! 行きましょう!」
この昇格試験は、リィンにとって自身の成長を証明する重要な一歩だ。
朝日を浴びて黄金の瞳を静かに輝かせながら、ステラは歩き出す。二人は廃城への道を踏み出した。
数時間の行軍の後、二人は苔むした巨大な石門の前に到着した。
かつては王国の栄華を誇ったであろう砦も、今は草木に覆われ、崩れかけた壁がかろうじて威容を留めている。
不気味な静寂が周囲を支配し、冷たい空気が肌を刺した。
「……ここが、試験の舞台ね」
ステラは一見無防備に、しかし確実な足取りで一層の広間へと歩を進めた。
城内の一層は薄暗く、崩れ落ちた天井から差し込む陽光の筋だけが内部を淡く照らしている。
一歩踏み込むごとに、石床の冷気がブーツ越しに伝わってきた。
「来るわよ!」
ステラの鋭い警告が響くと同時に、天井の崩れ目や石柱の影から無数の黒い影が滲み出す。
『シャドウウォーカー』だ。
リィンはジードの教えを反芻し、短剣に魔力を乗せる。
水の揺らぎをイメージし、実体のない影の核心を捉えるように突き出した。
さらに奥へ進むと、通路には巧妙な罠が仕掛けられていた。
カチッ、と小さな音。
リィンが踏んだ石畳がわずかに沈み込む。
――床が脆い、重心を低く。
ミラの教えを思い出し、リィンは反射的に前方へ転がった。
直後、背後の壁から無数の矢が放たれ、空気を切り裂く。
「いい反応よ。……でも、ここからが本番だわ」
倒した『シャドウウォーカー』の魔石を回収し、さらに先へ進む。
一層の最奥、二階へと続く大階段の前。
そこには、これまでとは一線を画す圧倒的な質量の影が凝縮されていた。
一層の門番――『シャドウ・ベア』。
「グルゥァァァァッ!!」
咆哮とともに、巨獣の影が突進してくる。
その速度は巨体に似合わず、リィンの反応を上回った。
「――っ、速い!」
リィンは間一髪で横へ跳ぶ。
直後、振り下ろされた前足が石床を文字通り粉砕した。
砕けた石礫が頬をかすめる。
実体を持たないはずの影でありながら、その一撃には城を破壊するほどの暴力が宿っていた。
魔獣は止まらない。
鉄格子すら噛み砕きそうな黒い牙が、連続して襲いかかる。
リィンは猛攻に圧倒され、一瞬、動きが止まった。
巨大な顎が、頭部を食い千切らんと迫る。
「……甘いわね」
ステラの細剣が鞘の中で鳴る。
無詠唱で放たれた守護魔法が、リィンの全身を包み込んだ。
眩い光の障壁が、迫る牙を弾き返す。
カカカンッ――乾いた音が響いた。
「リィン、下がっちゃダメ。水の流れは、壁に当たれば勢いを増すものよ」
静かな声が、リィンを引き戻す。
巨大な爪が頭上から振り下ろされる。
だがリィンは、恐怖を押し殺し、あえて懐へ踏み込んだ。
風圧で髪が乱れる。
至近距離に迫る、底なしの闇のような口。
「……今よ。その顎の奥に核があるわ」
感覚が研ぎ澄まされる。
シャドウ・ベアが大きく口を開けた、その刹那――
「これで……終わりッ!」
全魔力を込めた一撃が、口中へと突き刺さる。
蒼い光が爆ぜ、影の獣を内側から焼き尽くした。
「ギ、ガァァァァァ……ッ!!」
断末魔とともに、巨体は霧散する。
静寂。
荒い呼吸だけが残った。
リィンは大きな魔石を拾い上げる。
「……見事だったわ、リィン。一層は突破ね」
ステラは、崩れ落ちそうになるリィンの肩を支え、静かに微笑んだ。
その足元には、粉砕された石床とともに、確かな成長の証が刻まれていた。




