(四)月の精霊王
◆ 東へ
役人はグラウスの説明を地図へ書き込んだ。
遺跡があるという山地は、異変の中心と考えられていた方向と重なる。
「ローディアへ正式な調査要請を出す」
役人が言った。
「だが、返事を待っている時間はないな」
「ああ」
セトは地図を見る。
異変は今も広がっている。
森だけではない。
畑も、水も、精霊術も弱り始めている。
「国境を通るための書状を用意する」
「助かる」
「グラウスの話が正しければ、ローディアの人間が遺跡を掘っている。国が関わっている可能性もある」
「止められるか」
「分からん」
役人は書類をまとめた。
「向こうが何を掘り出したのかすら、まだ分からない」
「それを確かめる」
シアが言った。
「壊す必要があるなら壊す」
「まだ壊すと決まったわけではない」
セトが言う。
「世界の力を吸っている」
「止めれば済むかもしれない」
「止まらなければ壊す」
「その時に決めよう」
シアは不満そうだったが、反対はしなかった。
◆ 残っている森
二人は東の街道へ出た。
進むほど、精霊術の乱れは強くなった。
宿場では、井戸から水を引き上げる術が止まっている。
街道の照明に使われる小さな光も、夜になる前から消えていた。
風を利用する荷車は、普通の馬車として動いている。
草木の色も薄い。
だが、街道を外れた森の中に、一か所だけ青さを保っている場所があった。
「ここだけ違う」
シアが足を止めた。
「原光が残っているのか」
「ああ。だが、自然に残っている感じではない」
二人は森へ入った。
木々の葉は青く、細い沢にも澄んだ水が流れている。
その中央に、一人の女が立っていた。
黒に近い深い藍色の髪。
月白色の内衣に、深い紺と銀灰色を重ねた長衣。
肩から腕の周囲には、細長い布が漂っている。
風はない。
それでも布は、緩やかに揺れていた。
シアが女を見る。
「お前は、月の精霊王、セレーネだな」
女が振り返った。
「ええ」
淡い銀青色の瞳が、シアを見つめる。
「あなたは、今代の火の精霊王、イフリートですね」
◆ 個人名
「今代と分かるのか」
シアが尋ねる。
「以前のイフリートとは、姿も力の流れも違います」
「先代を知っているのか」
「会ったことはあります。親しかったわけではありません」
女はシアの顔を見る。
「随分若いですね」
「生まれて一年くらいだ」
「そうですか」
女の表情はほとんど変わらない。
だが、一瞬だけ視線が揺れた。
先代が死んだことと、その後に生まれた今代が目の前にいることを、そこで結びつけたのかもしれない。
「セレーネ」
シアが呼ぶ。
「それは役割名です」
「違うのか」
「間違いではありません。ですが、ネアと呼んでください」
「個人名があるのか」
「ええ。昔、人間からもらいました」
シアは少しだけ目を見開いた。
役割名ではない名前。
人間から与えられた、その個人だけを呼ぶための名前。
「わたしはシアだ」
「シア」
「セトにもらった」
シアが隣を示す。
セトは軽く頭を下げた。
「セトだ」
「ネアです」
ネアも静かに頭を下げた。
「では、シア。セト。あなたたちも異変を調べているのですね」
「ああ」
シアが答える。
「原光が足りない」
◆ 乱れではない
ネアは沢の近くへしゃがんだ。
指先を水面へ近づける。
触れてはいない。
それでも、水面の上に細い銀色の線が浮かんだ。
線は沢に沿って流れず、東へ向かって伸びている。
「水が東へ流れているわけではないな」
セトが言う。
「水ではありません」
ネアが答える。
「原光の流れです」
「お前がここへ集めているのか」
シアが尋ねる。
「完全に失われないよう、周囲から少しだけ寄せています」
だから、この場所だけ森が青さを保っている。
「やはり減っている?」
「ええ」
ネアは銀色の線へ手を添えた。
「人間は、精霊力が乱れていると考えているようですね」
「違う」
「そうです。流れは乱れていません」
「むしろ、そろっている?」
シアが尋ねる。
「ええ。そろいすぎています」
ネアが東を見る。
「通常であれば、原光は地形や天候、生き物や精霊の動きによって複雑に流れます。一部が薄くなっても、周囲から少しずつ戻ります」
「今は戻る前に引かれている」
「そのとおりです」
※第12話「枯れ始めた森」は全六回です。
続きます。
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