(三)シアという名前
◆ 同行の理由
セトが白刃を消すと、少女はまた「あ」と声を漏らした。
「もう少し見せろ」
「今日は終わりだ。腕が痺れている」
「明日は見せるのか」
「なぜ明日もいる前提なんだ」
「ついていくからだ」
決定事項のように言われた。
「俺は許可してない」
「許可がいるのか」
「普通はいる」
「では許可しろ」
「順番を変えても同じだ」
少女は少し考えた。
「わたしは、先代を殺したものを探している。人間の町や道は知識では分かるが、実際に歩いたことは少ない」
「一年も何をしていた」
「火を扱っていた」
「それ以外は」
「先代の痕跡を探した」
人間の暮らしに関する知識はあっても、現在の町や人間関係までは分からない。
地図を知っていても、道が今も同じとは限らない。
「お前は旅をしている。戦える。珍しい精霊術も使う」
「最後は関係ないだろ」
「見たい」
理由として隠す気もないらしい。
◆ 条件
セトは断ろうとした。
だが、火の精霊王を一人で人里へ向かわせる光景を想像する。
人間が危害を加えられるとは思わない。
逆が問題だった。
「町で大型魔獣を投げるなよ」
「大型魔獣がいたら投げる」
「建物の方へ投げるな」
「分かった」
「人間に殴られても、同じ力で殴り返すな」
「なぜだ」
「死ぬからだ」
「殴ってきた方が悪い」
「悪いかどうかと、殺していいかは別だ」
「面倒だな」
「人間の暮らしは、だいたい面倒だ」
少女は嫌そうな顔をした。
「それから、勝手に俺の剣へ触るな」
「見るのはいいのか」
「聞いてからならな」
「毎回聞くのか」
「毎回だ」
少女は長く息を吐いた。
息を吐く必要があるのかは分からない。人間の知識として、そういう動作を知っているだけかもしれなかった。
「分かった。たぶん守る」
「たぶんを付けるな」
◆ 役目の名前
「そういえば、お前は俺の名前を聞いていないな」
少女がセトを見る。
「必要なのか」
「一緒に来るなら必要だ」
「人間は多いから、区別するために名前を使う。それは知っている」
「知っているなら聞け」
「では、名前は?」
「セトだ」
「セト」
少女は確認するように一度だけ繰り返した。
「お前は?」
「イフリートだ」
「それはさっき聞いた」
「同じ質問をしたから、同じ答えを返した」
「イフリートは役目の名前だろ。お前自身の名前はないのか」
少女は少し眉を寄せた。
「わたしはイフリートだ。それ以外の呼び名は必要ない」
「先代もイフリートだった」
「ああ」
「その前も?」
「ああ」
「全員同じでは不便だろ」
「今いるイフリートは、わたしだけだ」
「昔の話をする時に困る」
「先代と呼べばいい」
「先代の先代は?」
少女が黙った。
◆ 名を付ける
「人間は本当に面倒だな」
「これはお前たちの呼び名が雑なんだ」
「わたしたちは、名前がなくても困らない」
「俺が困る」
「なぜだ」
「イフリートと呼ぶたびに、役目へ話しかけているみたいだからだ」
少女は意味が分からないという顔をした。
「役目へ話しかけることはできない」
「そういう意味じゃない」
「また人間の面倒な話か」
「そうだ」
セトは少女を見る。
火の精霊王。
一年前に生まれ、知識だけを受け継ぎ、会ったこともない先代を殺したものを探している。
役目は受け継いだ。
だが、先代とは違う。
それなら、同じ呼び名だけで済ませる方がおかしい気がした。
「シア」
「なんだ、それは」
「お前の名前だ」
「今、考えたのか」
「今、必要になったからな」
「意味は?」
「特にない」
「意味もなく付けたのか」
「お前を呼ぶための音だ。それで十分だろ」
少女は納得していない顔で、その音を口にした。
「シア」
◆ シア
少女はもう一度、自分の名を確かめる。
「短い」
「呼びやすい」
「イフリートの方が強そうだ」
「役目を名乗る時は、イフリートでいい」
「では、シアはいつ使う」
「俺がお前を呼ぶ時だ」
「他の人間は?」
「好きに呼ばせればいい」
「勝手だな」
「名前を持ってなかったお前に言われたくない」
少女――シアは、まだ不満そうだった。
拒絶するほど嫌でもないらしい。
セトは立ち上がった。
脇は痛むが、日が暮れる前に街道まで戻りたい。
「行くぞ、シア」
「どこへだ」
「まずは近くの村だ。怪我を見てもらう。大型魔獣のことも伝える」
「剣は?」
「明日だ」
「約束したな」
「内容によると言った」
「セトは面倒だな」
シアはそう言いながら、迷うことなく隣へ並んだ。
名前を呼ばれたことに疑問を挟まず、自分への呼びかけとして答えている。
セトはそれを指摘しなかった。
火の精霊王イフリート。
先代から役目を受け継ぎ、先代の記憶を持たない、新しい存在。
その少女は今、シアという自分だけの名前を得て、セトと同じ道を歩き始めた。
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