(五)焼けた谷
◆ 北からの知らせ
北側の山地で、大型の魔獣らしきものを見たという知らせが、近くの町から届いた。
街道を外れた谷の一部が焼けており、遠くから赤い光を見た者もいるという。
ただし、魔獣の姿を近くで確かめた人間はいなかった。
地図の端には、おおよその場所だけが示されていた。
「火なら、わたしが行く」
シアが真っ先に立ち上がった。
「正体は確認されていません」
「だから見てくる」
「三人で行くほどの相手か?」
セトが尋ねた。
ネアは地図を広げ、山地と街道の位置を確かめる。
「火の精霊力が残っているだけなら、シアが見ればすぐに分かるでしょう。魔獣がいたとしても、まずは確認だけです」
「わたしなら火の痕跡は追えるし、大きな魔獣でも見つければ分かる」
「倒してこいとは言ってないぞ」
「分かってる。何がいるか見てくるんだろ」
シアは七つの赤い分霊核を寄せた。
休みが続いていたためか、動きはいつも以上に軽い。
セトはその様子を見ながら、地図に書かれた谷へ目を落とした。
近づいた人間がいないなら、危険の種類も分からないままだ。
「異常があれば、無理に近づくな。様子がおかしければ戻ってくれ」
「すぐ戻る」
「知らない相手なら、一度距離を取ることも考えてください」
「ネアまで。ちゃんと見てくるよ」
セトはそれ以上引き止めなかった。
火の精霊王にしか判断できない痕跡を、わざわざ三人で確かめる必要はない。
何か異常があれば、いったん戻って相談できる。
そう判断したのは、三人とも同じだった。
シアが外へ出る。
赤い七核が周囲に浮かび、火の力で地面を蹴ると、その身体は北の空へ上がった。
セトとネアは遠ざかる赤い光を見送った。
光の精霊王との戦いが終わってから、別々に行動することは何度もあった。
だから、この日も特別な別れにはならなかった。
◆ 焼けた谷
報告された場所に、魔獣はいなかった。
山と山の間に細長い谷があり、斜面を縫うように岩と草が続いている。
ところどころ黒く焼けていたが、山火事が広がった跡には見えない。
火の通った場所が、谷の中央を囲むように不自然に途切れていた。
「火の跡だけか」
シアは谷の上から周囲を見渡した。
大型魔獣が走り抜けたなら、岩が砕かれたり、草が押し倒されたりしていてもよい。
しかし、地面を荒らしたような跡は見当たらない。
焼けていない草が、焦げた岩のすぐ隣で風に揺れていた。
シアは少し離れた場所へ降りた。
足元の土を拾い、指の間で崩す。
熱は残っていないのに、細い火の精霊力が地下へ向かっていた。
地表を焼くためではなく、どこかへ導くために置かれたような流れだった。
「変な燃やし方だな……」
七つの赤い分霊核が、シアの周囲へ広がる。
岩陰を確かめ、足元の流れをたどり、谷の両側へ意識を向けた。
核は離れた山まで飛んでいくわけではない。
シアは少しずつ位置を変えながら、近くの地面に何があるかを調べた。
生き物の動きは少ない。
代わりに、地中を通る精霊力が何本にも分かれていることに気づいた。
自然に生じた火なら、周囲の原光ともっと緩やかにつながる。
今見えるのは、通る場所と方向が決められた流れだった。
「これ、人間が作ったものか?」
シアは岩の割れ目へ手をかざした。
薄い火を流すと、返ってくるはずの力が地下へ抜けた。
吸い込まれる方向を確かめようと、もう一度手を伸ばす。
そこに、複数の流れが同時に集まった。
「……ん?」
シアが足元へ視線を落とした瞬間、焼けた地面が割れた。
岩の下で、金属が引きずられるような音が重なる。
正体を確かめるより先に、黒ずんだ鎖が飛び出してきた。
◆ 鎖
最初の一本が、シアの右足首へ巻きついた。
続く二本は左右の腕を狙う。
シアは身体をひねって腕へ迫る鎖をかわし、足首をつかむ一本へ手を伸ばした。
引くと地面が震え、鎖の根元を覆っていた岩が砕ける。
「なんだこれ!」
谷の両側から、新しい鎖が伸びた。
シアは足首の一本へ火を流す。
黒ずんだ表面が赤く輝き、流れた火の大半が地面の下へ吸い込まれた。
それでも、さらに火を集中させると、露出した一節が焼けて裂けた。
シアはそのまま引きちぎり、自由になった足を岩へつく。
「よし、一本!」
しかし、足を踏み出すより早く、別の鎖が腰へ巻きついた。
切れた鎖の根元が地中へ引き込まれ、代わりの一本が反対側から伸びてくる。
シアは腕を振って二本を弾いた。
弾かれた鎖は岩へ当たり、また別の方向から伸び直す。
シアは空中へ跳び上がろうとした。
腰へ巻きついた鎖が強く張り、身体を谷の中央へ引き戻す。
火で強引に引き離そうとすると、その火まで鎖へ流れ込み、今度は拘束がさらに強まった。
「……火を吸ってる?」
足首へ向けた火が、地中の別の場所へ運ばれていく。
鎖そのものを焼き切れないわけではない。
だが、一本を切るまでに流した力を奪われ、その間に次の一本が届く。
火を出さずに引きちぎっても、谷の別の位置から予備が伸びる。
シアは鎖を二本つかみ、力任せに引いた。
岩と土が巻き上がり、地面の下に埋まっていた固定点が一つ抜ける。
その穴から、まだ別の鎖が現れた。
谷全体が、最初からシアを捕まえるために用意されていたようだった。
「罠か!」
シアが顔を上げる。
相手の姿は見えない。
鎖だけが、切るたびに別の方向から迫ってきた。
※第57話「捕らわれたシア」は全七回です。
続きます。
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