(二)最接近
◆ 最接近
セトが上昇速度を落とした。
その分だけ、シアとネアが迫ってくる。
近づいたからといって、手を伸ばせば届く速さではない。
残された距離を、三人がそれぞれの力で埋めなければならなかった。
シアが四翼を大きく開く。
赤い炎を落下方向へ放った。
翼を維持する力まで失わないよう、短く、強く。
炎の反作用が身体を押し上げる。
ネアはその瞬間だけ黒い線を広げた。
シアと自分の周囲を通る原光の流れを、落下とは反対の方向へそろえる。
二人の速度が、わずかに落ちた。
セトが翔嵐を振り上げる。
銀緑色の流れが二人の下へ入り込み、広い面となった。
下から受け止めるのではない。
激しい落下を、少しずつ押し返していく。
風と火と月が重なった。
三人の距離が縮まり、速度の差も小さくなる。
しかし、完全には止まらない。
セトが翔嵐を右手だけで握り直した。
空いた左手を、二人へ向ける。
その指先から、透明な水が広がった。
シアは一瞬、何が起きたのか分からなかった。
水は薄い膜となってシアを包み、ネアの方へ伸びる。
ネアの身体を覆った膜も、セトの周囲で一つにつながった。
透明な球が、三人を内側へ収める。
直後、球の表面が激しく揺れた。
それまで四翼へ直接ぶつかっていた空気が、水の外側を流れ始めた。
膜の表面で水が薄くなり、すぐに別の場所から流れ込んで補われる。
水の膜の向こうでは、熱に揺れた空気が白く光っていた。
薄い膜が押しつぶされそうになるたび、セトの左手がわずかに動く。
水の表面は硬い壁ではなく、形を変えながら圧力を受け流していた。
シアが慌てて火を強めかけると、ネアの黒い線がその流れを落ち着かせる。
セトは翔嵐で外側の流れを整えた。
水だけですべてを受け止めるのではない。
風で衝突を和らげ、月で原光の流れを整え、火で落下へ逆らう。
シアの四翼から、光が剥がれ落ちなくなった。
ネアも自分の袖を見て、ようやく周囲の圧力が弱まったことに気づいた。
救われたのは、まだ身体だけだった。
落下そのものは続いていた。
◆ 声が届く
水の球が一度大きく傾いた。
セトが翔嵐を下へ向ける。
銀緑色の流れが球の外側を沿い、回転を抑えた。
ネアも黒い線を重ね、シアは残った力で下へ炎を放つ。
水の膜の内側には、空気が保たれていた。
激しい風の音が遠くなり、シアは初めてセトの息遣いを聞いた。
「本当に、セトなんだな」
「ああ。遅くなった」
「遅すぎるぞ。こっちは死ぬところだった」
「見れば分かる」
シアはもっと言葉を続けようとした。
どうして起きられたのか。どうしてここが分かったのか。
怒りたいことも、礼を言いたいこともある。
しかし、水の球を支えているセトの表情を見ると、いま全部を聞くわけにはいかなかった。
セトの声は普段と変わらなかった。
ただ、シアの欠けた左腕へ一度だけ目を向けた。
シアはそれを見て、右腕を軽く動かした。
大丈夫だと言うには、あまりにひどい姿だった。
「セトが、水を使っているのですか?」
ネアは透明な膜を見つめた。
翔嵐の風ではない。
水の流れを作り、維持しているのは明らかにセトだった。
「ああ。細かい話はあとだ。まず上へ戻る」
「分かりました。シア、もう一度合わせてください」
「今度は聞く。ネアが止めろって言ったら止める」
「さっきもそう言いましたね」
「今度もそうだ!」
シアの返事に、セトの口元がわずかに動いた。
だが、笑っている場合ではない。
落下速度はまだ大きく、水の膜にも負荷がかかっている。
セトが翔嵐へ力を通した。
シアの四翼から赤い炎が伸び、ネアが黒い線で流れをまとめる。
透明な球は一瞬だけ傾いたあと、ゆっくりと落下速度を減らしていった。
やがて、地上へ近づく動きが止まった。
星と球の距離が、ほんの短い間だけ変わらなくなる。
次の瞬間、水の球は上昇を始めた。
シアはそれを確かめてから、ようやく肩の力を抜いた。
まだ地上へ帰れるわけではない。
それでも、自分たちはもう落ちていなかった。
※第55話「二本の四翼精霊剣」は全七回です。
続きます。
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