(一)真っすぐ上へ
◆ 真っすぐ上へ
シアが呼んだ名前に、返事はなかった。
激しい空気の流れが二人の身体を叩き、声を押し流している。
それでも、下から昇ってくる人影は顔を上げた。
黒に近い髪。濃灰色の旅装。
右手には、細身の銀緑色の剣が握られている。
風の精霊剣、翔嵐。
その姿を見間違えるはずがない。
セトだった。
消えかけていたはずの命が、目の前で動いている。
シアはその理由を考えようとしたが、何もまとまらなかった。
目を覚ますだけでも難しいと言われた人間が、風の剣を握って星の外へ来ようとしている。
まずは、あの手に触れたい。
けれど今は、自分の身体を動かすことさえ難しかった。
シアは思わず残った右腕を伸ばした。
だが、腕を伸ばしただけでは距離は縮まらない。
左腕と右脚を失った身体は、四翼の力で辛うじて形を保っている。
炎を放つ余力も、あとどれほどあるか分からなかった。
セトの視線がシアへ向き、次にネアへ移る。
二人の欠けた手足を見た瞬間、その表情がわずかに強張った。
それでも翔嵐を握る手は緩まない。
風の流れを下から上へそろえ、ただ一直線に昇り続けた。
翔嵐で自由に飛び回れるわけではない。
強い力を一方向へ送り続けるからこそ、これほど高い場所まで来られたのだ。
横へ大きく曲がれば、二人とすれ違う危険がある。
ネアはそのことに気づいた。
セトへ向けて飛び込むのではない。
セトが上昇している直線へ、自分たちの位置を寄せる。
無理に一人ずつ拾おうとすれば、片方が置き去りになる。
だから二人で同じ場所を目指す必要があった。
セトが剣先をわずかに動かした。
進路の中心は、シアとネアの間にある。
何を求めているのか、二人には分かった。
シアは四翼の片側から短く火を出した。
ネアも黒い線を伸ばし、周囲の原光を偏向させる。
落下する位置が、少しずつ近づいていく。
声は届かない。
だが三人とも、向かうべき場所を見失ってはいなかった。
◆ 重なる軌道
銀緑色の流れが、翔嵐の切っ先から二つに分かれた。
シアとネアの下へ伸び、落下する二人を迎えに行く。
流れに触れた部分から、身体へ加わる抵抗の向きが変わった。
突然止められれば、四翼に残る防御膜まで壊れてしまう。
セトは風を強めず、まず二人へかかる空気の圧力を少しずつそらしていった。
それだけでも、光を剥がされる速度がわずかに弱くなる。
シアが炎を放った。
軌道を合わせようとして、身体が横へ流れる。
赤い四翼の一枚が暗くなり、姿勢が崩れかけた。
すかさずネアが黒い線を伸ばす。
シアを無理に引き寄せるのではなく、翼の周囲を流れる原光の向きを整えた。
シアは炎を止め、別の翼から小さく噴射する。
これ以上離れずに済んだ。
ネア自身も、落下へ逆らう力が足りていない。
シアの動きだけを調整していれば、今度は自分が取り残される。
黒い四翼から力を引き戻し、ネアは自分の軌道も修正した。
セトが二人を見上げている。
その位置から大きく横へ動くことはできない。
だからこそ、シアとネアが同じ場所へ寄るしかなかった。
先ほどまで二人は、互いを消すために力を向けていた。
今は、相手が離れないように力を使う。
出力を抑え、足りないところだけを補う。
赤い炎が短く光る。
黒い線がその外側を支える。
銀緑色の流れが、二人の下に薄い面を作った。
三人の進路が、ようやく重なり始めた。
だが、近づくほど相対速度の大きさが問題になる。
このまますれ違えば、次に出会える保証はなかった。
シアは眼下のセトを見る。
近づくほど、そこに生きている人間がいることがはっきりする。
そのことへ意識を向ければ、四翼の奥から再び相手を消せという感覚が浮かぶ。
シアはそれを振り払い、ネアの位置を確かめた。
今は守りたい相手が二人いる。
※第55話「二本の四翼精霊剣」は全七回です。
続きます。
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