(六)上空へ
◆ 止まらない火
シアはネアが上へ逃れる方向を見た。
まっすぐ追えば、また上へかわされる。
その動きを確かめたシアは、今度はネアのいる位置ではなく、その先へ火を送った。
赤い炎が斜め上へ伸び、ネアの進もうとする空間を横切る。
ネアはその手前で止まった。
上へ抜けようとしていた身体を横へ動かす。
シアは、その移動先へ自分の身体を運んだ。
炎で道を塞ぎ、拳で近づく。
最初の直線的な突進とは違う動きだった。
シアの指が、ネアの羽衣の端へ触れかけた。
ネアの四翼が反応し、黒い線が二人の間へ滑り込む。
赤い火が外へ散らされ、シアの右腕がほんの少し横へずれた。
そのわずかな間に、ネアの身体は再び遠ざかった。
「……面倒だな」
シアの口から、短い言葉が出た。
相手は目の前にいる。
力も足りている。近づく道まで作った。
それなのに、最後の一撃だけが届かない。
怒鳴るほどの感情ではなかった。
だが、邪魔なものを消すという単純な目的に、思った以上の手順が必要だった。
シアはそれが気に入らなかった。
四翼へ火が集まる。
今度は短い加速を何度もつなぐのではなく、一度の大きな放出で間合いを詰めた。
ネアは距離を取る。
シアは速度を残したまま、その先へ進む。
黒い線が進路へ重なった。
赤い軌道がわずかに曲がる。
シアは曲げられた方向から、さらに火を放って向きを戻した。
無理に補うほど周囲へ炎が散る。
その火を避けるため、ネアが取る道も次第に狭くなっていった。
シアは、その狭い道を拳で追った。
◆ 曲がらない相手
ネアはシアの次の接近を待たず、黒い線を前へ重ねた。
速く迫る身体へ直接触れる前に、周囲の原光を横へ動かす。
シアの軌道が揺れた。
だが赤い四翼がすぐに動き、狙いを戻してくる。
原光は動かせる。
炎の縁も、加速の一部も曲げられる。
しかし、シアの四翼全体を自分の望む位置へ置くことはできない。
相手は相手で、外界の流れを取り込み、進む方向を選び直している。
ネアは正面から抑え込むための黒い線を減らした。
残した線は、自分の周囲と移動する先を整えるために使う。
相手の動きを完全に止めるより、自分の身体が外れる方が早い。
その判断へ切り替えると、無理に押し返していた力が別の用途へ回せた。
シアの拳が迫る。
ネアは横へ、続いて上へ動いた。
その途中でシアが進路を変えても、黒い四翼はわずかな隙間を作って身体を通す。
攻撃へ正面から触れず、流れをずらした分だけ移動する。
それでも、シアは離れなかった。
ネアの制御は正しく働いているのに、赤い四翼がすぐ追いつく。
動かしても戻る。外しても次が来る。
自分ではないものが、いつまでも消えずにいる。
「思いどおりに、なりませんね」
ネアは目を細めた。
周囲に岩壁がある限り、自分が移れる方向も限られる。
谷へ近づけば、シアの外れた火で岩が崩れる。煙まで上がり、相手を見失う。
岩を利用する理由はなく、そこへ留まる必要もなかった。
ネアは谷の上へ顔を向けた。
上なら、まだ空いている。
黒い四翼が広がり、身体は迷いなく上昇した。
◆ 上空へ
ネアが上がる。
シアはその背中へ向かって加速した。
黒い四翼は真上へまっすぐ進まず、赤い攻撃が伸びるたび少しずつ方向を変える。
シアも四翼の片側へ火を集め、遅れずに追った。
最初に戦っていた谷は、もう眼下にあった。
崩れた岩壁も、舞い上がった土煙も、上から見れば狭い範囲に収まっている。
下へ戻る理由はなかった。
ネアが上へ動いたのは、地形が邪魔だったからだ。
シアが上へ来たのは、ネアを消すためだった。
ネアは一度だけ身体を横へ滑らせた。
シアの拳がその脇を通り、背後へ赤い火の尾を引く。
黒い線が拳にまとわりついた炎の一部を散らし、シアの速度が少し落ちた。
シアは落ちた速度を四翼からの放出で取り戻す。
だが、二人とも以前の位置には戻らない。
追うたび、かわすたび、戦う場所は少しずつ高くなった。
左右にあった山の稜線が下へ沈み、谷を挟む岩壁も二人の移動を妨げなくなっていく。
地上にいる人間のことを考えて上がったわけではない。
崩した岩を戻すためでもない。
目の前の相手へ力を届かせるには、今の場所が邪魔だった。
その判断だけで、戦場は地面から離れていく。
シアは上にいる黒い翼を見た。
ネアは下から迫る赤い姿へ目を向けた。
互いの間にあるつながりは、距離が変わっても消えない。
それでも、その相手を自分の一部として受け入れることはなかった。
赤い光が、さらに上へ伸びる。
黒い光がそれを避け、もう少し高い空間へ移る。
二人が選んだ方向は同じだった。
相手を消すまで、終わらない。
そう考えながら、二人は山々より高い空へ戦場を移していった。
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