(一)四枚の翼
◆ 外れた鍵
頭の奥で、知識の鍵が外れる音がした。
何かが砕けたわけでも、扉が開いたわけでもない。
ただ、知っているはずなのに触れられなかったものへ、突然、手が届いた。
考えるより先に、身体が動いた。
樹の精霊王が伸ばした枝が、炎の防御を抜けてシアへ迫る。
上空では、重の精霊王が浮かせていた岩が落下を始めていた。
二個の分霊核に残る力だけでは、どちらも止められない。
シア自身にも、もう立ち上がるだけの力は残っていなかった。
それでも、消えたくなかった。
肩甲骨の内側を、今まで通ったことのない流れが突き抜ける。
熱ではない。
炎でもない。
もっと手前にある力が、背中から四方向へ一気に広がった。
「なに、これ……」
赤い光が斜め上へ伸びる。
続いて斜め下へ。
左右へ二枚ずつ。
四枚の半透明な翼が、大きなX字を作って開いた。
シアは翼を出そうとは思っていない。
防ごうとも、飛ぼうとも考えていなかった。
それでも四翼は、最初から使い方を知っているように動いていた。
迫っていた枝が、シアへ触れる前に燃えた。
炎を浴びたのではない。
四翼の周囲へ広がった薄い赤い膜へ触れた瞬間、枝を流れていた精霊力ごと焼け落ちた。
頭上の岩も、シアへ届かなかった。
赤い膜へ衝突し、表面から割れて左右へ流れた。
シアだけが、起きたことを一拍遅れて見ていた。
◆ 四枚の翼
翼は羽ばたかなかった。
風も起こらない。
羽毛のような形もない。
半透明の赤い力の面が、背中から右上、左上、右下、左下へ伸びている。
中心は深い赤。
外側へ向かうほど橙色へ変わり、縁は白に近い光を帯びていた。
シアは右肩越しに、自分の翼を見ようとした。
身体をひねる必要はなかった。
翼の中を流れる力が、そこに何があるのかを感覚として返してくる。
「知ってる……?」
初めて出したはずだった。
見たことがあるのは光の精霊王の白い四翼だけだ。
自分の背中から赤い四翼が伸びたことなど一度もない。
なのに、知らない感じがしない。
枝がもう一度伸びてくる。
シアは避けようとしなかった。
避けなかったことに気づいた時には、枝は赤い膜へ触れて燃え落ちていた。
続けて岩が落ちる。
それも同じだった。
防御膜を張ろうとは考えていない。
炎を出す場所も選んでいない。
自分の身体へ届くものを、四翼を巡る流れが勝手に外へ押し出している。
「これ……新しい力じゃない」
そんな感覚があった。
新しく覚えたのではない。
できることが増えたというより、今まで閉じていた古い場所が元へ戻った。
翼の使い方を理解しているのではない。
使い方を忘れていたことだけを、今になって思い出した。
鍵が外れたのは、技一つではなかった。
◆ 蹴らない身体
シアの身体が地面から離れた。
「え?」
脚へ力は入れていない。
炎を足元へ噴き出してもいない。
膝は少し曲がったままで、地面を蹴った感覚もなかった。
それでも身体は浮いている。
少し前まで、森から逃げるために何度も炎で身体を押した。
上へ出ようとすれば、重の精霊王が浮かせた岩に塞がれた。
炎を噴く方向を変えるたびに姿勢を作り直し、次に足を置く場所まで選ばなければならなかった。
着地する場所を探し、地面を蹴り、脚を貫かれ、それでも走ろうとした。
今は、その全部が要らなかった。
前へ行こうと思う。
身体が滑るように進んだ。
炎の噴射はない。
加速のための踏み込みもない。
身体を傾ける必要さえほとんどなかった。
「飛んでる……」
言葉にしてから、違和感が残る。
鳥のように飛んでいるわけではない。
翼は一度も羽ばたいていない。
四翼が周囲へ作った流れの中で、シアの身体そのものが位置を変えている。
上へ。
そう思えば上がる。
横へ。
森の枝を避けるように、身体が水平へ動く。
止まる。
空中で静止した。
少し前まで、脚が動かなければ逃げられなかった。
今は脚がなくても移動できると、身体が先に理解している。
その事実へ驚くはずだった。
なのに、驚きはすぐ薄れた。
できる。
それだけが残った。
どうしてできるのかを確かめるより、できることを受け入れる方が早かった。
その順番まで、いつものシアとは逆だった。
※第48話「原初のシア」は全七回です。
続きます。
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