(二)火と氷
◆ 凍りついた川
集落の先には、山から流れる川があった。
本来なら雪解け水を運ぶ川だが、今は流れが見えない。
川面は厚い氷に覆われ、岸の石まで白く固まっていた。
ネアが細い銀青色の線を氷へ通す。
「表面だけではありません。川底近くまで固定されています」
「全部溶かす?」
シアが手を上げる。
「急に溶かせば、下流へ一気に水が流れます」
「少しずつ?」
「先に、これ以上凍らせている力を止めます」
セトは川沿いに付いた足跡を見た。
人の形に近い。
だが、踏みしめた跡ではなかった。
足跡の周囲から氷が広がり、一歩ごとに白い円が重なっている。
「向こうだ」
足跡は、川を上るように続いていた。
シアの分霊核が前へ出る。
赤い玉の周囲だけ、白い霧が薄くなった。
◆ 白い人影
川の上流に、滝があった。
水は流れ落ちる形のまま凍り、巨大な白い壁になっている。
その前に、人の姿が立っていた。
遠くから見れば、雪の中へ白い影だけが切り抜かれているように見える。
顔立ちも衣服も白く、境目が分かりにくい。
人影が片手を上げる。
滝の上から冷気が流れ、凍った川を伝って山の下へ向かった。
「止めろ」
セトが声をかける。
白い人影が振り向いた。
「何を」
「寒さを下へ広げることをだ」
「寒い場所を作っている」
「ここには、もう川も森も集落もある」
「寒い場所にも、川と森はある」
氷の精霊王の答えに、迷いはなかった。
◆ 寒さの役割
「なぜ、ここまで凍らせる」
セトが尋ねる。
「世界には熱い場所がある」
氷の精霊王は、山の下を見た。
「寒い場所も必要だ」
「山の上には、もともと寒い場所があります」
ネアが言う。
「足りない」
「何を基準に、足りないと判断していますか」
「凍っていない場所が多い」
シアが眉を寄せた。
「全部凍らせる気?」
「すべてではない。熱い場所と寒い場所の双方があるから、世界は循環する」
それは、役割としては間違っていなかった。
世界が形を持ち始めた頃なら、熱だけに偏った場所を冷やし、流れを分ける必要があったのかもしれない。
だが、今の世界にはすでに寒冷地があり、暖かい土地があり、それぞれの環境で生きるものがいる。
◆ すでにある循環
「今の世界は、もう分かれています」
ネアは凍った川を示した。
「山には雪があり、下には森と畑があります。川は山から低い場所へ流れ、その途中に生き物と人間の暮らしがあります」
「寒さが広がれば、寒い場所が増える」
「その代わりに、今ある場所が失われます」
「別の生命が生きる」
「凍る前にいた生命と、取り替えることはできません」
氷の精霊王は、岸辺で凍った低木を見る。
「寒さに耐えられないものは、暖かい場所へ移ればいい」
「木は歩けない」
シアが言った。
「川の中のものも、全部は逃げられない。人間も家を持ってる」
「別の場所へ作ればいい」
「おまえが凍らせなければ、作り直さなくていい」
◆ 必要な量
「寒さをなくせと言っているのではありません」
ネアは山頂に近い白い斜面を指した。
「あそこには、以前から雪が残っていました。その寒さで生きるものもいます」
「なら、寒い場所は必要だ」
「ええ。必要です」
氷の精霊王は、わずかに顔を動かした。
「なら、増やす」
「必要であることと、無制限に増やしてよいことは同じではありません」
「違いが分からない」
樹の精霊王と同じだった。
役割の必要性は知っている。
だが、どこまで行えばよいのかを判断するための、現在の世界への経験がない。
「この川より下へ広げるな」
セトが言う。
「なぜ」
「そこから下には、今の寒さでは生きられないものが多い」
「寒い場所を増やす役割より優先するのか」
「ああ。今あるものを全部消してまで、増やす必要はない」
◆ 火と氷
氷の精霊王がシアを見る。
「火の精霊王」
「シア」
「火は氷を解かす」
「氷は火を弱くする」
「どちらが強い」
「やれば分かる」
「シア」
ネアが止めるより先に、シアの両手へ炎が灯った。
「でも、ちょうどいい。広げるのを止めてから話す」
氷の精霊王が手を下ろす。
白い霧が、一気に濃くなった。
「寒い場所を妨げるなら、外へ出す」
冷気が地面を走る。
川岸の石が白くなり、セトたちの足元へ凍結が迫った。
シアが前へ出る。
「止める」
※第36話「氷の世界」は全六回です。
続きます。
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