(一)冬の境界
◆ 凍った朝
翌朝、三人は町を出た。
山へ近づく前から、道の端に白いものが残っていた。
雪ではない。
夜露が凍り、草の一本一本を薄い氷が覆っている。
日が昇ってからかなり経っているのに、溶ける気配はなかった。
「ここは、まだ寒冷地ではありません」
ネアが地図と周囲を見比べる。
「以前の記録では、この辺りまで雪が残るのは冬だけです」
「今は冬じゃない」
シアは道脇へしゃがみ、凍った草へ指を近づけた。
指先に小さな火が灯る。
氷が溶け、水滴が葉を伝った。
その水滴は地面へ落ちる前に、もう一度凍った。
「冷やし続けてる」
「ええ。氷が残っているのではなく、この土地そのものが今も冷やされています」
シアの肩の後ろで、赤い分霊核がゆっくり回った。
町を出てから、シアは休憩のたびに少しずつ力を蓄えている。
赤い光は、手に入れた直後よりも明るくなっていた。
◆ 山へ向かう道
道を進むほど、季節が逆戻りしていく。
霜に覆われた草が消え、代わりに雪が積もり始めた。
木々の葉は凍り、枝は白く固まっている。
まだ葉を落とす時期ではない木まで、動きを止めていた。
「山の上だけなら、普通なのか」
セトが尋ねる。
「上の方には、元から雪の残る場所があります」
ネアは山腹を指した。
「ですが、今の境界は低すぎます。報告を受けた時よりも、さらに下へ広がっています」
「どれくらい速い?」
「一日で、森の端からここまでです」
シアが前を見る。
街道の先は、白い霧に隠れていた。
「樹の精霊王より遅い」
「比較する対象がおかしいです」
「止めやすい?」
「範囲だけで判断しないでください」
冷気は、木や道だけを増やしているのではない。
そこにあるすべてから熱を奪い、動きを止めている。
◆ 冬の境界
山裾の集落は、すでに人がいなくなっていた。
兵士たちが家々を確認し、残された家畜を低地へ運び出している。
井戸の水は表面だけでなく、奥まで凍っていた。
「住民は?」
セトが兵士へ尋ねる。
「昨日のうちに避難させました。今朝までは、この広場に雪はありませんでした」
兵士は、広場の中央に立つ石柱を示した。
柱の半分まで氷に覆われている。
「山の上から、白いものが下りてきたという話もあります」
「白いもの?」
「人の形です。近づいた者を追ってはきません。ただ、道を塞ごうとすると、地面ごと凍らされます」
セトは以前の報告にあった記述を思い出した。
雪の中心に立つ、白い人影。
「氷の精霊王で間違いなさそうだ」
「止める?」
シアが尋ねる。
「ああ。ただし、氷そのものをなくすためじゃない」
「分かってる。下へ広げるのを止める」
◆ 凍った森の中
集落の裏手には、小さな林があった。
木々は白く固まり、風が吹いても枝が揺れない。
地面には、途中まで掘り返された跡が残っていた。
「何の跡だ」
セトが兵士へ尋ねる。
「小動物の巣です。昨日までは中にいたようですが」
「今は?」
「見つけられたものは運び出しました。ただ、全部かどうかは分かりません」
ネアが地面へ線を伸ばす。
表面だけではなく、土の中まで冷えている。
根は水分ごと固定され、細いものから傷み始めていた。
「寒い土地にも生命はあります」
ネアが言う。
「ですが、暖かい土地にいたものを急に凍らせれば、その環境へ変わる前に死にます」
「寒さに合うものが来るまで、何もいなくなる」
シアは白い林を見た。
「新しい生命が入る場所を作っているのではありません。今ある場所を一度空にしています」
氷の精霊王に悪意がなくても、起きていることは災害だった。
※第36話「氷の世界」は全六回です。
続きます。
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