(二)炎の少女
◆ 炎の少女
大型魔獣がぶつかった場所に、一人の少女が立っていた。
赤橙色の髪が炎の熱で揺れている。
年齢は、セトより少し下に見えた。
白い短丈の上衣に、薄灰色の細身の脚衣。腰には赤い帯を巻いている。
防具らしいものは何も身につけていない。
その格好で大型魔獣へ蹴りを入れ、突進の軌道を変えたらしい。
理解はできる。
見たままなら、そういうことになる。
納得はできなかった。
少女は片足を下ろすと、大型魔獣を見た。
「思ったより硬い」
その言い方には、恐怖も緊張もなかった。
自分の蹴りで仕留められなかったことを、少し不思議に思っているだけだった。
「お前、何者だ」
セトが尋ねる。
少女は振り返らない。
「あとでいい」
倒れていた大型魔獣が立ち上がる。
頭部の外殻には大きな亀裂が入っていた。
傷から血が流れている。
セトが何度斬っても崩せなかった外殻を、少女は一度の蹴りで割っていた。
大型魔獣が少女へ向かって吠える。
森の空気が震えた。
少女はうるさそうに眉を寄せる。
「声が大きい」
◆ 細い腕
大型魔獣が前脚を振り下ろした。
少女は避けなかった。
腰を落とし、片腕を上げる。
細い腕と巨大な前脚がぶつかった。
地面が沈む。
少女の足元を中心に亀裂が走った。
だが、少女自身は倒れない。
片腕で前脚を受け止めていた。
「嘘だろ」
セトの口から言葉が漏れる。
少女が空いた手を握った。
拳の周囲へ赤い炎が集まる。
炎を放つのではない。
肘の後ろで爆発させる。
加速した拳が、大型魔獣の脚の付け根へ突き刺さった。
巨体が傾く。
少女は受け止めていた前脚を放し、その場で体を回転させた。
炎が足元で弾ける。
回転の勢いへ炎の加速を重ねた蹴りが、魔獣の顎を下から打ち上げた。
大型魔獣の前脚が浮く。
少女はさらに踏み込んだ。
相手が大きすぎるため、普通ならば懐へ入ったところで押し潰されるだけだ。
少女は両手で魔獣の前脚をつかんだ。
「少し、邪魔」
◆ 巨体が浮く
少女は腰を落とした。
背中から炎が噴き出す。
白い服が赤い光に染まった。
大型魔獣の巨体が、ゆっくりと傾き始める。
力だけではない。
少女は相手の前脚を引きながら、軸足を魔獣の胸元へ差し込んでいた。
魔獣が踏ん張ろうとした方向へ炎をぶつけ、重心を崩している。
体術の形にはなっていた。
問題は、少女と魔獣の体格差を無視するほどの力が加わっていることだ。
「せいっ!」
炎が大きく膨らんだ。
大型魔獣の四本の脚が地面から離れる。
少女は自分より何倍も大きな魔獣を持ち上げ、そのまま前方へ投げ落とした。
地響きが起きる。
土が波のように広がり、セトの足元まで揺れた。
地面へ背中から叩きつけられた大型魔獣が、苦しげに脚を動かす。
少女は倒れた魔獣の腹へ飛び乗った。
魔獣が身を起こすより早く、少女は片脚を高く上げる。
足先へ炎が集まった。
大型魔獣が口を開く。
先ほどと同じように、土や石を吐き出そうとしていた。
「危ない!」
◆ 終わり
セトは白刃を構えた。
少女が大型魔獣の口元を踏みつける。
開きかけた顎が閉じた。
土と石を押し出そうとした力が、口の中で行き場を失う。
くぐもった破裂音がした。
魔獣の頭部が跳ねる。
少女はその反動に合わせ、炎をまとった足を振り下ろした。
踵が、先ほど亀裂の入った外殻へ突き刺さる。
赤い炎が亀裂から流れ込んだ。
大型魔獣の体が一度だけ大きく震えた。
持ち上がっていた前脚が地面へ落ちる。
それきり動かなくなった。
森に静けさが戻る。
炎の爆ぜる小さな音だけが残っていた。
少女は大型魔獣の頭から飛び降りた。
白い靴の裏に付いた土を、地面へ軽くこすりつけて落とす。
「終わり」
少女にとっては、本当にそれだけらしい。
息も乱れていなかった。
セトは白刃を構えたまま、動かなくなった大型魔獣を見る。
気配はある。
だが、起き上がる様子はない。
確実に仕留めていた。
◆ 助け方
「助かった」
セトは白刃を下ろした。
「礼は言う。ただ、いきなり飛び込んでくるなら、もう少し早く声をかけてくれ」
「かけた」
「落ちてくる直前だった」
「避けられた」
「避けられなかったらどうするつもりだった」
少女が初めてセトを見る。
橙に近い金色の目が、セトの頭から足元までを確かめた。
「避けられると思った」
「判断を相手任せにするな」
「避けられただろ」
「結果の話をしてるんじゃない」
少女は少し考えるように首を傾けた。
セトの言っている意味が分からないわけではなさそうだ。
理解したうえで、何が問題なのかまでは納得していない顔だった。
「面倒だな」
「助けられた側でなければ、もう少し言ってる」
「なら、助けてよかった」
「そういう話でもない」
話しているうちに、右脇の痛みを思い出した。
セトは浅く息を吐く。
少女の視線が、セトの右手へ落ちた。
白刃はまだ残っている。
戦いが終わったため、集めていた光は少しずつ薄くなっていた。
◆ 見せろ
少女の目つきが変わった。
倒した魔獣を見ていた時よりも、明らかに強い興味が浮かんでいる。
「それ」
「これがどうした」
「もう一度、ちゃんと見せろ」
「なぜだ」
「見たいから」
少女が一歩近づく。
セトは同じだけ下がった。
「近い」
「見えない」
「十分見えてるだろ」
「形だけじゃない。中がどうなっているか見る」
少女が白刃へ手を伸ばす。
セトは刃を引いた。
切っ先が少女から外れるよう、下へ向ける。
「触るな」
「なぜだ」
「剣に不用意に触ろうとするな」
「それは普通の剣じゃない」
「普通じゃなくても剣だ」
少女は不満そうに口を閉じた。
それでも視線は白刃から離れない。
セトは術を解いた。
剣の形に固定されていた光がほどけ、白い粒となって森の中へ散っていく。
「あ」
少女が短く声を上げた。
「なぜ消した」
「戦いは終わった」
「まだ見てない」
「お前に見せるために出していたわけじゃない」
「もう一度出せ」
「断る」
◆ 何者か
「なぜだ」
「お前が何者かも分からない」
少女が黙る。
ようやく最初の質問を思い出したらしい。
セトは少女を観察した。
術士には見えない。
少なくとも、普通の術士ではなかった。
炎を放つだけなら、火の精霊を扱える人間にもできる。
だが、少女は炎を自分の体へまとわせ、拳や蹴りを加速させていた。
大型魔獣の前脚を片腕で受け止め、巨体を持ち上げた力も、単純な身体強化だけでは説明しにくい。
何より、炎の扱い方が自然すぎた。
術を組み立て、発動させているようには見えない。
腕を動かせば炎が生まれ、踏み込めば炎が押す。
自分の体を動かすことと、炎を操ることの間に境目がなかった。
「名前は?」
セトが尋ねた。
「イフリート」
少女は迷わず答える。
セトは眉を寄せた。
「イフリートは、火の精霊王の呼び名だ」
「知っている」
「お前の名前を聞いている」
「だから答えた」
少女は胸を張るでもなく、自慢するでもなく、当然のことを告げる口調で言った。
「わたしが、イフリートだ」
炎の少女は、当たり前のようにそう名乗った。
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