(三)誰の思い出か
◆ 覚えていない時間
「この一か月のことは?」
ミレナが尋ねた。
「一か月?」
女性は初めて、はっきりと戸惑った顔をした。
「眠りの王を倒してから、今日まで一か月あります」
「覚えていません」
答えた後、女性は目を閉じた。
記憶を探している。
「創界の中で風の役割が離れたところまでです。その後は、何もありません」
「私は、その後も村で暮らしていました」
ミレナが言う。
「身体が動くようになるまで休んで、家の仕事へ戻って、今日も布を運んでいました」
「知りません」
女性はミレナが持っていた籠を見る。
見覚えのある籠だった。
しかし、今日そこへ布を入れたことは知らない。
「同じ記憶を持っていても、もう続きは分かれています」
女性は小さく息を吐いた。
「それが分かって、少し安心しました」
◆ 人間の記憶
ネアは女性の周囲へ銀青色の線を伸ばした。
「身体は、次代の精霊王です。シアやわたしと同じく、原光から新しく構成されています」
「記憶まで戻った理由は?」
セトが尋ねる。
「断定できません」
ネアは線の流れを追う。
「風の役割は長い間、人間の血統の中で受け継がれてきました。ミレナの身体では、人間としての存在と役割が重なっていました」
「創界で分けたはずだ」
「分けました。ですから、ミレナは人間へ戻り、この方は自分がミレナではないと理解できています」
ネアは女性を見る。
「ただ、役割が人間の記憶を参照しながら働いていた期間が長すぎたのでしょう。分けた後も、役割側に記憶を受け継ぐ形が残った可能性があります」
「つまり、私たちとも違う」
シアが言う。
「ええ。わたしたちは、創界が消滅前の境界を保った結果、記憶と人格を持つ次代になりました。この方は、風の役割がミレナの記憶を持ったまま次代になっています」
「知識だけを受け継ぐより、少し厄介です」
女性が静かに言った。
◆ 分かれた証拠
「記憶が途中で切れているなら、別人だという証明になる?」
シアが尋ねる。
「それだけではなりません」
ネアはすぐに答えた。
「同じ人物でも、記憶を失うことはあります。逆に、記憶をすべて持っているから同じ人物だとも言い切れません」
「また証明できない」
「個人を外から完全に証明する方法はありません」
ネアは女性へ線を巻き、原光の流れを確かめる。
「ただし、この方の身体が新しく、風の役割がミレナから離れた後に作られたことは確認できます」
「私は、それで十分です」
女性が言った。
「記憶の中では、自分をミレナだと思っています。でも、今こうしてミレナさんを見れば、あの記憶を経験した方が別にいると分かります」
「私がいなかったら?」
ミレナが尋ねる。
「もっと混乱したと思います。自分がミレナの次なのか、ミレナの続きなのか、決められなかったかもしれません」
目の前にミレナがいる。
それ自体が、女性にとって一つの境界になっていた。
◆ 誰の思い出か
「厄介なんですか」
ミレナが尋ねる。
「はい」
女性は少し困ったように笑った。
その表情までミレナによく似ている。
「家族に会いたいと思います。村へ帰れば落ち着く気もします。でも、それはわたしが生まれてから得た気持ちなのか、ミレナさんの記憶がそのまま動いているだけなのか、まだ分かりません」
「会ってはいけないとは思いません」
ミレナは答えた。
「でも、私として家へ帰られると、たぶん皆が困ります」
「わたしも困ります」
二人は同じように少し笑った。
「覚えていることを、捨ててほしいとは思いません」
ミレナは続ける。
「私が過ごした時間です。でも、今はあなたの中にもある。それを持っていることは、あなたのせいではありません」
「ありがとうございます」
「ただ、家族は私の家族です」
「はい。そこは、間違えません」
女性の答えは早かった。
「会うとしても、ミレナとしてではなく、別の者として会います」
※第32話「フィオラ」は全六回です。
続きます。
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