(二)同じ顔
◆ 風の精霊殿
山の斜面を回り込んだ先に、石造りの建物が見えた。
壁には大きな開口部がいくつもあり、どの方角から吹いた風も、中を通り抜けるように作られている。
「風の精霊殿です」
ネアが言った。
「知っているのか」
「役割の知識にあります。わたしが来たことはありません」
「私も、来た記憶はありません」
ミレナが建物を見上げる。
それでも、入口の向こうに何があるのかを知っているような感覚があった。
記憶ではない。
かつて自分の中にあったものが、そこを知っていた痕跡だった。
風は精霊殿へ入る。
セトたちも後を追った。
中央には、天井まで抜けた広い空間があった。
床には砂や枯れ葉がほとんどない。
長く使われていなかったはずの場所を、風が少しずつ外へ運んだらしい。
その奥に、一人の女性が立っている。
淡い緑色の髪。
白と淡緑色の軽い衣装。
背を向けた姿を見て、セトは隣を歩いていたミレナを確認した。
「ミレナが二人いる」
シアが言った。
◆ 同じ顔
女性が振り返る。
顔立ちはミレナとほとんど同じだった。
瞳は銀緑色だった。
髪の色と服が違う。
それだけを見れば、風の精霊王となったミレナが、先回りして立っているようにも見える。
しかし、流れる原光は完全に別のものだった。
ミレナの中には、もう風の役割はない。
目の前の女性は、全身が風の役割と結び付いている。
「お待ちしていました」
声も似ていた。
同じではない。
ミレナの声から、迷いや疲れを少しだけ取り除いたような、静かな声だった。
「セトさん。シアさん。ネアさん」
女性は順に名前を呼ぶ。
最後に、ミレナを見た。
「ミレナさん」
わずかな間があった。
「はい」
ミレナも答える。
「初めまして、でいいんでしょうか」
「はい。わたしは、そう考えています」
女性はミレナと同じ仕草で、胸元へ手を置いた。
「初めまして、ミレナさん」
◆ 生まれた場所
「ここで生まれたのか」
セトが尋ねる。
「はい」
女性は中央の床を見る。
「最初に分かったのは、ここが風の精霊殿だということでした」
「来たことを覚えていた?」
「いいえ。これは役割の知識です」
風がどこから入り、どこへ抜けるか。
世界の流れを集めず、滞らせず、遠くへ返すための場所であること。
誰かが説明しなくても、女性は知っていた。
「その次に、村の家を思い出しました」
「ミレナの家か」
「はい。こちらは記憶です」
知っているのに、今の身体では一度も入ったことがない。
歩いた道を覚えているのに、今の足では歩いていない。
「それで、自分がミレナさんではないと分かりました。役割の知識と、人間の記憶と、生まれてから見たものが、最初から別々にありましたから」
「それから風を送った?」
「皆さんが近くにいることは分かりました。でも、直接村へ行くのは違うと思ったので、ここへ来てもらいました」
◆ 覚えていること
「俺たちを知っているのか」
セトが尋ねる。
「知っています」
女性はすぐに答えた。
「セトさんと初めて会った時のことも、シアさんとネアさんと旅をしたことも、眠りの王と戦ったことも覚えています」
「創界の中も?」
「覚えています。風を束ねたことも、役割が身体から離れたことも」
女性は自分の手を見る。
「その後、わたしはここで生まれました」
「そこまで覚えていて、ミレナではないと分かるのか」
シアが尋ねた。
「分かります」
「どうして?」
「覚えている身体と、今の身体が違うからです」
女性はミレナを見る。
「家族の顔も、村の家も、そこで過ごした時間も覚えています。でも、その記憶の中で生きていた身体は、今もミレナさんが持っています」
自分は、その続きとして目を覚ましたのではない。
風の役割が世界へ返り、次代の身体を作った後で生まれた。
記憶は続いている。
身体も役割も、同じ場所からは続いていなかった。
※第32話「フィオラ」は全六回です。
続きます。
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