(一)消えない風
◆ 消えない風
窓から入った風は、すぐには消えなかった。
机へ戻った報告書の端を一度だけ持ち上げ、開いた窓の方へ向けて揃える。
次に、ミレナの髪を揺らした。
栗色の髪が頬へかかる。
ミレナが手で押さえると、風はその指の間を抜け、セトたちの周囲を一度回った。
「呼んでいるのか」
セトが窓の外を見る。
「おそらく」
ネアは銀青色の線を風へ伸ばした。
線は弾かれない。
風に乗り、村の外へ続いていく。
「こちらの存在を確かめたうえで、来るように促しています」
「私たちを?」
ミレナが尋ねる。
「特に、あなたを意識しています」
風はもう一度ミレナの周囲を回った。
以前なら、その中にある流れの一本一本まで分かった。
今のミレナには、ただ少し強い風が吹いているようにしか感じられない。
「行きます」
ミレナは迷わず言った。
◆ 出発する者
「俺たちも行く」
セトが報告書をまとめる。
「森へ向かう前に、新しいアイオロスの状態を確認しておく必要がある」
「私も行く」
シアが言う。
「わたしもです。生まれた直後の流れを確認できる機会は多くありません」
ハルヴェンは地図と報告書を見比べた。
「俺たちは、予定どおりヴァレストへ戻ります」
「見なくていいのか」
リグが尋ねる。
「見たい気持ちはあります。ただ、ほかの地域では、すでに人が避難を始めています。各国へ方針を伝える方が先です」
「分かった。俺も戻る」
リグはセトを見る。
「新しい風が話を聞くなら、今の世界を教えてやれ」
「ああ」
「話を聞かなければ?」
シアが尋ねる。
「その時は、まず被害を止める」
「つまり戦う」
「話をするために止めるんだ」
「分かっている」
兵たちは報告書を持ち、ハルヴェンたちと村を出た。
セトたち四人は、残った風を追った。
◆ 風の道
風は、道を外れても途切れなかった。
草を大きく倒すことも、枝を折ることもない。
セトたちが進む方角だけ、葉の裏側を見せる。
「ずいぶん加減ができている」
シアが言った。
「生まれた直後の精霊王とは思えません」
ネアも周囲の流れを調べ続けていた。
「ほかの次代とは違うのか」
「少なくとも、役割のまま無制限に風を広げようとはしていません」
ミレナは黙って歩いていた。
風が曲がる前に、次に進む方向が分かる気がする。
しかし、実際に分かっているわけではない。
以前の感覚を覚えているため、風の動きから先を予想しているだけだった。
「知っている道ですか」
ネアが尋ねる。
「いいえ。でも、知らない気がしません」
「役割の知識は戻っていませんね」
「戻っていません。ただ、前の私は、この風ならこちらへ行くと思った。その考え方だけは覚えています」
力はない。
それでも、力を持っていた自分の記憶は残っている。
その記憶の先から、別の風が呼んでいた。
◆ 風が確かめるもの
途中で、風が何度か止まった。
セトたちが追いつくと、再び先へ進む。
「急がせてはいない」
セトが言う。
「来ているか確かめています」
ネアの線も、風が止まるたびに同じ場所で揺れた。
「私たちが途中で戻らないように?」
ミレナが尋ねる。
「それもあるでしょう。ただ、別の意図も感じます」
「別の意図?」
「自分の風が、人間を傷つけずに届いているか確認しています」
風は道の脇を歩いていた小さな獣を避けた。
干してあった布の近くでは弱まり、誰もいない岩場では少し強くなる。
「生まれたばかりなのに、周りを見ている」
シアが言った。
「そう見えます。ただ、何を基準に避けているのかまでは分かりません」
「会えば分かる」
「ええ」
自分たちを呼びながら、その途中にあるものは壊さない。
少なくとも、その風が無差別に広がっているわけではなかった。
※第32話「フィオラ」は全六回です。
続きます。
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