(六)眠りの終わり
◆ 眠りの終わり
眠りの王は、初めて一つの形を取った。
人にも、精霊王にも見えない。
原光を持たず、それでも存在していた空白だけの輪郭。
そこに敵意はない。
苦しむ声もない。
ただ、世界へ戻るものを失い、一時的な王位だけが残っている。
『今です』
ネアが言う。
セトは境界の先を、空白の中心へ合わせた。
三人の力を混ぜない。三人を一つの道へ通す。
「シア」
『いる』
「ネア」
『います』
「ミレナ」
『ここにいます』
全員を確かめる。
そのうえで、空白だけを選ぶ。
セトは最後の一歩を踏み込んだ。
存在しない刃が、眠りの王を通り抜けた。
空白の輪郭が、音もなく消えた。
◆ 返る役割
眠りの王が消えた場所から、原光があふれた。
混ざっていた時には色すら分からなかった力が、それぞれ別の流れとなって世界へ返る。
土は大地へ沈む。
光は薄く空へ広がる。
氷は北へ、樹は森へ、重さと結晶は大地の奥へ散っていく。
元の精霊王たちの姿は戻らない。
声も、名前もない。
それでも役割は失われず、次代へつながるため世界へ残った。
淡い銀緑色の流れも、創界から離れ始める。
『風が、私から離れます』
ミレナの声が聞こえた。
「戻れ、ミレナ」
『はい』
銀緑色の流れが柄から抜け、人の形へ変わる。
続いて赤橙色と銀青色が戻ろうとした。
その時、折れた創界の残りが砕けた。
◆ 吹き飛ぶ
白い光が谷を満たした。
衝撃が地面を走る。
セトの身体が宙へ投げ出された。
ミレナの身体も、少し離れた場所へ吹き飛ばされる。
何かをつかもうとしたが、セトの手には何も残っていない。
創界の柄も、三人の光も見えなかった。
地面へ落ちた衝撃で、息が止まる。
耳鳴りだけが残った。
薄れていく意識の中で、セトは三人の名前を呼ぼうとした。
声は出なかった。
世界から色が戻っていく。
谷の外から風が入る。
消えていた音が、少しずつ戻る。
それを確かめる前に、セトの意識は途切れた。
◆ 倒れている人
目を開けた時、空が見えた。
平面ではない。
いつもの奥行きを持つ空だった。
セトは身体を起こそうとして、全身の痛みに息を詰まらせた。
「シア」
返事はない。
「ネア」
何も聞こえない。
「ミレナ」
少し離れた場所に、人が倒れていた。
栗色の髪。
風の側へ出ていた銀緑色は、どこにもない。
セトは這うように近づいた。
「ミレナ」
肩へ手をかけ、ゆっくり起こす。
呼吸はある。脈も触れた。
「ミレナ、起きろ」
緑褐色の瞳が、わずかに開く。
「セト……さん」
「生きてるな」
「はい」
ミレナは苦しそうに息を吸ったが、自分で身体を支えた。
◆ 風がない
ミレナは地面へ手をつき、上体を起こした。
風が髪を揺らす。
ミレナは、その風へ顔を向けた。
「聞こえません」
「何が」
「風が、どこへ流れているのか」
ミレナは右手を上げた。
何も起きない。
空気は動かず、原光も集まらない。
「やり方が、分かりません」
声に驚きが混じる。
「今までは、考えれば知識がありました。どこへ流せばいいか、どう束ねればいいか。今は、何もありません」
「風の役割がなくなった」
「知識もです」
ミレナは自分の胸へ手を置いた。
「人間の記憶だけが残っています」
望んでいた結果だった。
それでも、長く自分の中にあったものが消えた空白へ、すぐ喜ぶことはできなかった。
ミレナは周囲を見る。
「シアさんと、ネアさんは?」
◆ 人間のミレナ
「怖くはないか」
セトが尋ねた。
ミレナは少し考える。
「静かです」
「静か?」
「今までは、意識を向けなくても風の流れがありました。知らない場所の知識も、いつでも奥にありました」
ミレナは自分の頭へ触れた。
「それがなくなって、私の考えていることだけになりました」
「ミレナだけになった」
「はい」
望んでいた言葉だった。
ミレナは一度目を閉じ、それから小さくうなずく。
「寂しくないと言えば、嘘になります。でも、これは私が望んだことです」
目を開けたミレナは、もう一度周囲を見た。
「だから、シアさんとネアさんにも戻ってきてほしいです。二人が望んだ形で」
※第30話「放つ・分ける・束ねる手」は全七回です。
続きます。
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