(四)一つ目のひび
◆ 放つ
赤橙色の流れが、創界の根元から切っ先へ走った。
炎を撃つのではない。
ネアが定めた境界を、現実へ押し出すための力だった。
『放つ!』
セトは創界を振るった。
刃は眠りの王の身体へ届いていない。
それでも、境界が空白の内部へ通った。
眠りの王の表面が揺れる。
土の力が一瞬だけ外へ浮かぶ。
氷の流れが、空白から離れかける。
だが、どちらもすぐに引き戻された。
「一度では足りない」
『ええ。境界が現実へ定着する前に、眠りの王が戻しています』
空白の輪郭が大きく揺れた。
◆ 眠りの反応
眠りの王に敵意はない。
それでも、自分から分かれようとするものを再び取り込もうとする。
谷全体の地面が持ち上がった。
巨大な土の壁が、四方からセトへ迫る。
『右です』
ネアの声に従い、セトは隙間へ走る。
足元が凍った。
シアの炎が創界から漏れ、氷を砕く。
頭上から結晶の柱が落ちる。
ミレナが三人の力を一方向へ束ね、創界の側面で受け流した。
「創界は攻撃にも使えるのか」
『今は、分けるための流れを守っているだけです』
ネアが答える。
空白の周囲へ樹木が生え、枝が一斉に伸びた。
セトは切り払いながら進む。
どの攻撃にも意思はない。
役割だけが、眠りの王の一部として働いている。
「もう一度だ」
『束ねます』
ミレナが、攻撃を受けて散りかけた三つの流れをそろえる。
『分けます』
ネアが先ほどより深く境界を探る。
『放つ!』
シアが境界を現実へ通す。
セトは二度目の斬撃を振り抜いた。
眠りの王から、複数の色が飛び出す。
だが、空白から伸びた腕が、それらをまとめて引き戻した。
◆ 混ざった防御
空白の内部から、白い光が押し寄せた。
直後には冷気へ変わり、セトの外套が凍る。
結晶が氷の内側から成長し、身体を固定しようとした。
『左へ流します』
ミレナが三人の力を束ね、進む向きを変える。
セトは身体をひねり、結晶の外へ抜けた。
右脚へ痛みが走る。
止まれば、伸びた樹の根と土の壁に囲まれる。
『足は』
「動く」
『動くかではなく、持つかを聞いています』
「終わるまでは持たせる」
『それは答えになっていません』
『でも進む!』
シアの出力が強まり、正面の壁へ細い道を開いた。
「まだだ」
セトは空白の中心へ踏み込む。
三人は、もう一度同じ工程を繰り返した。
束ねる。
分ける。
放つ。
三度目の境界が、眠りの王のさらに奥へ通った。
◆ 一つ目のひび
眠りの王の身体から、土と氷の流れが離れた。
色を取り戻した原光が、空へ上がる。
空白の身体が少し小さくなった。
『効いています』
「続ける」
『待ってください』
ネアの声と同時に、創界から硬い音がした。
刀身外枠へ、細いひびが入っている。
「ひびが」
『見えています』
「無理だ。戻れ」
『まだ使えます』
「戻れ、三人とも」
セトは創界を引いた。
眠りの王から離れ、使用を止めようとする。
だが、背後の谷にも空白が広がっていた。
来た道から原光が消え、色が薄くなっている。
眠りの王は、戦っている間にも広がり続けていた。
『セトさん』
ミレナが呼ぶ。
『戻ったところで、逃げる場所がありません』
◆ ひびの先
創界のひびから、三本の光が漏れていた。
混ざってはいない。
だが、本来は刀身の内側を通るはずの流れが、外へ逃げ始めている。
『次に同じ量を通せば、さらに割れます』
ネアが告げる。
「だから戻れ」
『今なら戻れます』
ミレナの声が届いた。
セトは柄を握る力を緩めかける。
その瞬間、眠りの王の空白が谷の斜面を越えた。
草の色が消える。
岩に含まれていた原光まで抜け、表面から細かく崩れた。
さらに遠くには、人が暮らす土地がある。
ここで止めなければ、次に消えるのは谷だけではない。
「戻った後に、もう一度戦える保証はない」
『はい』
ネアは否定しなかった。
※第30話「放つ・分ける・束ねる手」は全七回です。
続きます。
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