(六)風の精霊剣
◆ 自分で選ぶ
ミレナは右手を握った。
今ここで、自分が選んだ動作だった。
淡緑色の風が足元へ集まる。
「ミレナ」
ネアが振り返る。
「まだ精霊剣にはなりません」
ミレナは答えた。
「まず、自分で精霊王になります」
「戻れなくなったら、すぐ止めます」
「はい」
ミレナは風の側へ道を譲る。
髪へ銀緑色の光が重なる。
身体が地面からわずかに浮く。
遠い空が一度に近づいた。
村の屋根。山の向こうの雨。川から草地へ広がるすべての水。
知らない景色も浮かぶ。
生まれる前の村。空から見た海。
ミレナは右手を握ったまま、目の前の草地を選んだ。
「名前は?」
ネアが尋ねる。
「ミレナです」
「今、何をしますか」
「村へ向かう水を戻します」
「誰が決めましたか」
「私です」
ネアはそれ以上止めなかった。
ミレナが両手を広げる。
草地を通る風が、何十本もの細い流れへ分かれた。
水を強く押さない。
それぞれが進もうとする向きへ横から触れ、少しずつ中央へ曲げる。
地面の下へ潜った水には、土の隙間を通る空気を当てる。
草の表面へ広がった水膜には、上からではなく、外縁から風を入れる。
散っていた水が、ゆっくり同じ方向へ向き始めた。
「前回より安定しています」
ハルヴェンが言う。
『まだ一つではない』
轟雷のリグが答えた。
ヴァルナも抵抗する。
中央へ曲げられた水が、途中で二つへ分かれる。
ミレナは分かれた先へ、さらに風を置く。
流れが増える。
遠い景色が重なる。
身体の感覚が薄くなる。
「ミレナ」
セトの声が届く。
「聞こえています」
「無理なら戻れ」
「戻れます」
右手を握る。
今は戻らない。
戻れることを確かめたうえで、続ける方を選んだ。
◆ 名を呼ぶだけ
中央へ集まりかけた水が、突然大きく持ち上がった。
ヴァルナが人型を作る。
前回より輪郭は崩れている。
右腕は水のまま伸び、何本もの流れへ分かれた。
狙いは、風を制御しているミレナだった。
「来ます!」
ハルヴェンが迅雷で前へ出る。
轟雷が水の腕を貫く。
水は雷を受けた部分だけを切り離し、その外側からミレナへ回り込んだ。
シアの炎が二本を焼く。
ネアが三本を曲げる。
さらに細い流れが、その隙間を抜けた。
セトが白刃で切る。
切れた水が二つに分かれ、別々の方向からミレナへ向かう。
「下がれ!」
ミレナは下がらなかった。
今、自分が風を止めれば、集まりかけた水が再び村へ散る。
セトが黒刃を作る。
右脚を引きずりながら、ミレナの前へ入ろうとする。
「来ないでください」
「守れない」
「一人では、ですよね」
ミレナはセトを見る。
人間の記憶と風の知識は、今も重なっている。
どこまでが自分なのか、すべて分かったわけではない。
それでも、この瞬間に決めるのが誰かは分かる。
「私がまた自分を見失っても、見つけると言いました」
「ああ」
「今、預けてもいいですか」
セトは、迫る水とミレナを見た。
「必要だからじゃない」
「分かっています」
「剣にならなくても、別の方法を探す」
「それも分かっています」
ミレナは右手を開いた。
戻るために握っていた手を、自分の意思でセトへ向ける。
「私が選びました」
水流が近づく。
ミレナの髪が大きく揺れた。
「シアさんとネアさんから聞きました。名前を呼ぶだけでいいって。」
セトは差し出された手を見る。
風の精霊王アイオロスではない。
水車小屋で見つけた少女。
自分が誰なのか分からなくなり、それでも今、自分で選んだ一人の人間。
「ミレナ」
◆ 風の精霊剣
淡緑色の風が、一度すべて止まった。
次の瞬間、ミレナの身体が銀緑色の光へ変わる。
光は周囲へ散らなかった。
差し出した手から細く伸び、セトの右手へ集まる。
二本の淡い銀緑色の外刃。
その間を通る、霧のような半透明の風路。
鍔には、後方へ流れる二枚の薄い導流板と、下側が切れた小さな円環がある。
濃茶色の柄巻きが、セトの手へ収まった。
細身の片手直剣だった。
剣を受け取った瞬間、セトの身体を風が巡る。
右脚の傷が治ったわけではない。
それでも、身体へかかる重さの向きを風が支え、立つことができた。
『聞こえますか』
ミレナの声が、剣から届く。
「ああ」
『私ですか』
「ミレナだ」
返事と同時に、鍔の開放円環へ淡い風が回り始める。
迫っていた水流が目の前まで来ていた。
『右から外へ流してください』
セトは剣を右へ振る。
巨大な風の斬撃は出ない。
複数の薄い流線が広がり、水流の側面へ触れた。
水は切れず、向きだけを変える。
セトとミレナの横を通り、草地の中央へ流れた。
「できた」
シアが言う。
「精霊剣です」
ネアが答えた。
「見れば分かる」
「確認です」
※第28話「風の精霊剣」は全九回です。
続きます。
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