(六)逃げたから
◆ 逃げたから
ミレナは、少し離れた場所に立っていた。
誰の言葉にも入れず、自分の手を見ている。
風は止まっていた。
「ミレナ」
セトが呼ぶ。
ミレナはゆっくり近づいた。
「けがは」
「動けないだけだ」
「私をかばったからです」
「水の精霊王が来たからだ」
「私がここにいなければ、セトさんも一人では来ませんでした」
「探しに来たのは、俺が決めた」
「私が逃げなければ、探す必要もありませんでした」
セトは返す言葉を探した。
逃げるなと言える状態ではなかった。
あのまま家にいれば、ミレナがどうなっていたかも分からない。
「今は、村へ戻る」
「答えになっていません」
「ああ」
「私のせいではないと、言ってくれないんですね」
「全部がミレナのせいだとも思っていない」
「でも、私が逃げたことは変わりません」
ミレナは目を伏せた。
セトを石壁へ叩きつけた水の音が、まだ耳に残っている。
風の知識ではない。
今、自分の目の前で起きた出来事だった。
◆ 村へ戻る
セトは、ハルヴェンとリグに肩を貸されて村へ戻った。
途中からは歩くことも難しくなり、二人が組んだ腕へ身体を預ける。
「動けないだけではなかったな」
リグが言う。
「途中までは動けた」
「それを動けないと言うんです」
ハルヴェンが答えた。
シアは何度も川上を振り返っていた。
「ヴァルナは村へ来るか」
「可能性はあります」
ネアが言う。
「水路は村まで続いています。今のヴァルナが何を基準に動いているかも分かりません」
「なら、見張る」
「ええ。リグとハルヴェンを中心に、水路と川を警戒しましょう」
「セトは?」
「休ませます」
「わたしも残る」
「全員で残れば、見張りになりません。シアはリグたちと水路を見てください」
「ネアは?」
「セトとミレナのそばに残ります。ここからでも、村へ近づくヴァルナの流れは確認できます」
「ならいい」
セトは二人の会話を聞きながら、少しだけ息を吐いた。
「俺は大丈夫だ」
「今のセトが言っても意味がない」
シアの答えは早かった。
◆ 残った風
借りた家へ戻ると、セトは長椅子へ横にされた。
村の者が布と水を持ってくる。
ハルヴェンが脇腹と脚を固定し、ネアは傷の周囲に異常な原光の流れが残っていないかを確認した。
すぐに動ける状態ではない。
だが、命に関わる傷でもなかった。
それを確認した後、シア、リグ、ハルヴェンは水路と村の周囲を見に出た。
ネアは入口近くへ座り、外へ続く原光の流れを見張っていた。
ミレナも、家に残った。
「家へ戻ってもいい」
セトが言った。
「一人にしないようにと言われました」
「俺を?」
「私もです」
ミレナは長椅子の横へ座った。
しばらく、どちらも話さなかった。
「さっき、私を見つけたと言いました」
「ああ」
「自分でも分からなかったのに」
「ああ」
「それで、セトさんは動けなくなりました」
「それは水の精霊王に負けたからだ」
「私を守りながら戦ったからです」
否定できることではなかった。
ミレナは両手を握る。
自分の記憶と風の知識は、まだ完全には分かれていない。
水の精霊王を見た時、会ったこともない相手を知っていた。
今も、自分がどこまでミレナなのかという答えは出ていない。
それでも、古い水車小屋で怖がっていたのが自分だという言葉は残っていた。
風の中から見つけたのは、風の精霊王ではなくミレナだったという言葉も残っている。
窓の外で、弱い風が動いた。
今度は逃げるように広がらず、家の周囲を一度だけ巡った。
※第26話「逃げた少女」は全六回です。
続きます。
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