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エレメンタルクロス ~精霊の剣~  作者: KEI
第26話 逃げた少女

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(一)窓を閉めた日

◆ 窓を閉めた日


 窓を閉めたのは、ミレナだった。

 幼い手で重い木の戸を引き、外から吹き込む雨を止めた。

 家族に褒められたことも覚えている。

 濡れた木の匂いも、窓へ打ちつける雨音も、自分の服の袖が少し濡れたことも覚えている。

 それは、ミレナが生きた記憶のはずだった。

 だが、同じ記憶の中に、別の景色がある。

 海の上で生まれた湿った流れ。山へぶつかって持ち上がる風。雲が重くなり、雨となって村へ届くまでの道。

 高い空から、そのすべてを見ている。

 窓を閉めた幼いミレナと、遠い海から村までの風を見下ろす何かが、同じ出来事を覚えていた。


「私は、空にはいなかった」


 長椅子へ座ったまま、ミレナは声に出した。

 閉じた窓の向こうで、小さな風が回っている。


「海も見ていない」


 そう言えば、分けられると思った。

 窓を閉めた方が自分の記憶で、風の道を見た方が精霊王の知識だ。

 頭では分かる。

 だが、自分の中では、どちらも同じように思い出せる。

 片方だけを知らないものとして押し出すことができなかった。


◆ 生まれる前の村


 別の記憶が浮かんだ。

 村の北を流れる細い川。

 ミレナは子供のころ、川沿いの古い水車小屋で転び、膝を擦りむいたことがある。

 泣きながら村へ戻った。

 その時の痛みも、土の冷たさも覚えている。

 だが、その川が今の場所へ流される前の形も知っていた。

 水路が掘られる前。水車小屋が建てられる前。村の家が今より少なかったころ。

 風が草の上を通り、川の流れを少しずつ削っていた景色を知っている。


「知らない」


 ミレナは両手で頭を押さえた。


「私は、そんなころを知らない」


 知らないはずなのに、懐かしい。

 水車小屋が建つ前の川を見て、今の方が狭くなったと思う。

 その感覚が、自分のものではないと言い切れない。

 逆に、膝を擦りむいて泣いた記憶まで、本当に自分のものなのか分からなくなる。

 誰かから渡された知識へ、人間の感情だけを後から重ねたのではないか。

 ミレナという人間の二十年そのものが、風の精霊王が人間として見た夢なのではないか。


「違う」


 否定すると、窓の外の風が強くなった。


「私はミレナ」


 ネアに確認された言葉を繰り返す。


「二十歳。この村で生まれた」


 どれも事実として知っている。

 だが、事実を知っていることと、自分が生きたことの違いが分からなくなっていた。


◆ 呼ばれた名前


 部屋の外から、家族の声がした。


「ミレナ。まだ起きているの?」


 聞き慣れた声だった。

 何度も自分の名前を呼んだ声だ。

 それなのに、今聞いた声なのか、過去の記憶の中で聞いているのか、一瞬だけ分からなかった。


「ミレナ?」


 もう一度呼ばれる。


「起きています」


 答えた後で、ミレナは自分の口を押さえた。

 今の言葉は、自分で考えたのか。

 呼ばれたから答えただけなのか。

 長い間、人の呼びかけに応じてきた記憶を、風の役割がなぞっただけではないのか。

 考えるほど、区別が消えていく。

 風が窓を押した。

 閉めたはずの戸が音を立てる。


「大丈夫?」

「大丈夫です」


 また答えた。

 大丈夫ではない。

 だが、家族へ何を説明すればよいのか分からない。

 自分が本当に家族の一人なのか疑っているなど、口に出したくなかった。

 ここにいれば、家族と過ごした記憶まで一つずつ疑ってしまう。

 そう思った瞬間、ミレナは立ち上がっていた。


◆ 家を出る


 短い外套を羽織る。

 革靴を履く。

 戸を開け、家の裏側へ出る。

 考えて決めた動作ではなかった。

 家族の顔を見る前に、外へ出たかった。

 夜の空気へ触れた途端、周囲の風がミレナへ集まった。


「待って」


 自分で起こした風へ言う。


「今は、動かさないで」


 風は止まらなかった。

 止め方を知らないのではない。

 どうすれば流れを止められるか、分かってしまう。どこへ力を逃がせば家を傷つけないか。どの方向へ進めば村の屋根を巻き上げずに済むか。

 考えるより先に、風の知識が道を選ぶ。

 ミレナの身体が軽くなった。

 地面を蹴ったはずなのに、次の一歩が遠すぎた。

 裏庭を越える。

 柵の前へ着き、いつものように留め金を外す。

 通り抜けた後、手が勝手に留め金を戻した。

 その直後、風が身体を押し出した。


「止まって!」


 声は後ろへ残った。

 畑の外側を通る細い道が、足元を流れていく。

 風は何本にも分かれ、村の外へ広がった。

 ミレナ自身にも、自分がどの流れに乗っているのか分からなかった。



※第26話「逃げた少女」は全六回です。

続きます。



作者個人サイトでは、人物相関図・各話アイキャッチ・用語メモなどの補足資料を公開しています。

※ネタバレ範囲にご注意ください。


https://www.simulationroom999.com/blog/elemental-cross-top/

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