(一)眠れなかった朝
◆ 眠れなかった朝
翌朝、ミレナは日が昇りきる前に、セトたちが借りた家を訪ねてきた。
戸を開けたハルヴェンが、少し驚いた顔をする。
「おはようございます。早いですね」
「すみません。まだ休んでいましたか」
「いえ。リグ以外は起きています」
「俺も起きている」
家の奥から声がした。
床へ横になっていたリグが、目を閉じたまま答えている。
「起きている者は、普通は目を開ける」
シアが言った。
「目を開けなくても聞こえる」
「なら寝ていても同じだ」
リグが目を開ける。
「お前に言われると、起きるしかなくなるな」
ミレナは二人のやり取りへ小さく笑いかけた。
だが、すぐに表情を戻す。
目の下には、薄い疲れが残っていた。
「眠れなかったのか」
セトが尋ねる。
「少しだけ」
「少しだけ眠れた?」
「少しだけ眠れませんでした」
ミレナは言い直した。
「横になってはいました。でも、風が動くたびに、自分が動かしているのか気になって」
外では、朝の弱い風が家の壁をなでている。
自然に吹いている風なのか、ミレナへ応じているのか。
本人には、もう区別できなくなっていた。
「昨日の続きを聞きに来ました」
ミレナはネアを見る。
「私の中が、どうなっているのか。調べられるんですよね」
「ええ」
「調べてください」
◆ 分けてほしい
ネアはすぐに応じなかった。
「昨日は、考える時間が必要だと言っていました」
「考えました」
「一晩だけです」
「長く考えても、知らないままでは同じです」
ミレナは自分の胸元へ手を当てた。
「私の中に風の精霊王の役割がある。それが本当なら、まず、どこまでが私なのか知りたいです」
「調べても、すべて分かるとは限りません」
「何も分からないよりはいいです」
ネアはミレナの表情を見た。
眠れなかった疲れと、不安がある。
それでも、誰かに押されて来たようには見えなかった。
「一つ、先に確認します」
「はい」
「調べる途中で、あなたの中にある風の役割へ触れることになります。昨日より深く触れれば、今まで感じなかったものを感じる可能性があります」
「危険ですか」
「分かりません」
ネアは曖昧に安心させなかった。
「身体を傷つけるつもりはありません。しかし、精霊王の知識がどのようにあなたへ重なっているのかは、実際に触れなければ判断できません」
「それでも、お願いします」
「途中でやめたくなったら、すぐに言ってください」
「分かりました」
ミレナは一度うなずき、それから続けた。
「もし、本当に二つあるなら、分けられますか」
「人間のあなたと、風の精霊王を?」
「はい」
「完全に切り離せるかは分かりません」
「一時的にではなく、ずっとです」
「それも、今は答えられません」
ミレナは目を伏せた。
「できるなら、分けてほしいです」
シアが首を傾ける。
「風はいらないのか」
「昨日まで、なくても生きていました」
「本当はあった」
「知らなかったなら、私にとってはなかったのと同じです」
ミレナは風の動く窓へ目を向けた。
「普通の人間として生きてきました。戻れるなら、そこへ戻りたいです」
◆ 重なっているもの
調査は村の外で行うことになった。
ミレナの力が大きく動いた場合、家や畑へ影響を出さないためだった。
村から少し離れた草地には、低い木が数本あるだけで、周囲を見渡せる。
ハルヴェンとリグは外側へ立ち、村人や魔物が近づかないよう周囲を見る。
セトとシアは、ミレナから少し離れた場所へ座った。
ネアだけが、ミレナの前に立つ。
「まず、昨日と同じように流れを見ます」
「何をすればいいですか」
「何もしないでください」
「何もしないというのが、一番難しいですね」
「そうかもしれません」
ネアが手を上げる。
銀青色の原光が細い線となり、ミレナの周囲へ広がった。
線は身体へ触れず、肩、腕、胸元、足元の少し外側を巡る。
そこへ、淡い緑の流れが反応した。
風はミレナから外へ出ているようにも、周囲からミレナへ集まっているようにも見える。
「昨日より、はっきりしています」
「風が強くなった?」
シアが尋ねる。
「強さではありません。ミレナが、自分の中にあるものを意識したためでしょう」
「意識すると出てくるのか」
「今まで見ないようにしていたわけではありません。存在を知らなかったため、すべてを自分の感覚として受け入れていたのです」
ネアは銀青色の線を一本だけ、ミレナの胸元へ近づけた。
淡緑色の流れが線を避ける。
その奥には、風とは異なる流れがあった。
血の流れ。呼吸。身体の重さ。
二十年間、人間として生きてきた一つの存在。
「二人いるのですか」
ミレナが尋ねる。
「二人ではありません」
「でも、二つあるんですよね」
「二つの存在の形が、同じ場所へ重なっています」
「同じでは?」
「別の人格が中へ入っているのではありません」
ネアは言葉を選んだ。
「人間として生まれたあなたが中心にいます。その同じあなたへ、風の精霊王の役割と知識が重なり、精霊王として存在できる形も作っています」
「風の精霊王も、私?」
「今ここにいる風の精霊王側の存在は、あなたから切り離された他人ではありません」
「昔のアイオロスが、私の中にいるわけではない?」
「ええ。過去の個人の人格や記憶が、そのまま入っているようには見えません」
ミレナが少しだけ息を吐いた。
安心したようにも見えた。
だが、その表情はすぐに曇る。
「それなら、風の精霊王であるのも私なんですね」
「その可能性があります」
「可能性」
「まだ、風の側を表へ出していません」
※第25話「分けられたミレナ」は全八回です。
続きます。
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