(六)風を継ぐ少女
◆ 風が止まらない
村の広場には、いつの間にか風が吹き続けていた。
強くはない。
だが、一定の方向もなく、ミレナの呼吸に合わせて行き来している。
「止められますか」
ミレナが尋ねた。
「わたしが?」
ネアが聞き返す。
「この風をです」
「止めることはできます。しかし、あなたの力を外から押さえることになります」
「それでもいいです」
「今は止めない方がよいでしょう」
「なぜですか」
「風が動くことで、あなたの内側にたまる力を外へ逃がしています。無理に止めれば、別の形で現れる可能性があります」
「では、どうすれば」
「ゆっくり息をしてください」
「それだけ?」
「今は、それだけです」
ミレナは戸惑いながら息を吸った。
風が広がる。
ゆっくり吐く。
風が弱まった。
もう一度繰り返す。
乱れていた流れが、少しずつ一方向へ整っていく。
「私が動かしている」
「ええ」
「止めようとすると、止まる」
「ええ」
風が静まる。
残ったのは、ミレナの髪を揺らす程度の弱い流れだけだった。
◆ 受け継いだもの
「風の精霊王の名前は、アイオロスでしたね」
ミレナが言った。
「役割の名前です」
ネアが答える。
「人の名前とは違う?」
「精霊王は、役割名だけを持つ者も多くいます」
「あなたたちは?」
「わたしはセレーネという役割を持ち、ネアという個人名をもらいました」
「私はイフリート。シアはセトが付けた」
シアが言う。
「リグも個人名だ」
リグが続けた。
ミレナは三人を見る。
「では、私の中にあるアイオロスは、誰かの名前ではない?」
「ええ。風の精霊王が担う役割を指します」
「その役割と知識が、私へ来た」
「そう見えます」
「私が望んだわけではないのに」
ネアは否定しなかった。
「前の継承者も、選べなかった可能性があります」
「何代も?」
「おそらくは」
「そんなものを、ずっと誰も知らずに受け継いできたんですか」
「知っていた者がいた可能性はあります。ただ、現在まで明確な記録は残っていません」
◆ 今夜は帰る
話を続けるほど、ミレナの顔には疲労が表れた。
「今日は、もう十分です」
セトが言った。
「でも、まだ何も決まっていません」
「決めるための話は、明日以降にする」
「皆さんはどうするんですか」
「村の外で野営してもいい」
「それでは、村の人が余計に気にします」
ミレナは周囲を見る。
遠巻きに、何人かの村人がこちらの様子をうかがっている。
「宿として使える家があります。村長へ話します」
「いいのか」
「分かりません」
ミレナは正直に答えた。
「でも、帰ってもらって、明日また突然来られる方が落ち着きません」
「それはそうですね」
ハルヴェンが言った。
「ただし、家族へどこまで話すかは、あなたが決めてください」
セトはミレナへ告げた。
「俺たちから勝手には話さない」
「村の人にも?」
「ああ」
「風のことを見られています」
「見たことと、その意味は別だ」
ミレナはしばらく考え、うなずいた。
◆ 風を継ぐ少女
ミレナが自宅へ戻る道を歩き始める。
セトたちは、少し距離を空けてその後ろを進んだ。
風は弱く、彼女の周囲だけを流れている。
道端の草が、ミレナの歩みに合わせて順番に揺れた。
本人は何度も振り返り、そのたびに草の動きを確かめていた。
「本当に、私について来ている」
ミレナがつぶやく。
「今までも、そうだったのかもしれません」
ネアが言った。
「気づかなかっただけ?」
「ええ」
「気づかなければ、今までどおりだったのに」
誰も否定できなかった。
知らなければ、ミレナは明日も普通に目を覚まし、風向きを言い当て、偶然だと思いながら暮らしていたかもしれない。
だが、眠りの王は待ってくれない。
彼女の中にある役割も、存在しないことにはできない。
家の前へ着いたところで、ミレナは足を止めた。
「一つだけ、今答えてください」
「何だ」
セトが尋ねる。
「私は、人間なんですよね」
「ああ」
セトは迷わず答えた。
「それは変わらない」
ミレナは安心したようには見えなかった。
次の言葉が残っていることを、もう理解していた。
ネアが静かに続ける。
「そして、あなたの中には、風の精霊王の役割と知識もあります」
風が、ミレナの周囲で小さく渦を巻いた。
「二つとも本当なんですね」
「ええ」
ミレナは家の扉へ手を掛けたまま、しばらく動かなかった。
人間であることを失ったわけではない。
だが、人間だけだと思っていた今日までの自分には、知らない風が重なっていた。
「少し、考えさせてください」
「ああ」
ミレナが家の中へ入る。
扉が閉じたあとも、家の周囲には弱い風が残り続けた。
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