第二十一話「踏切」
【地方ニュース速報 音声書き起こし】
放送日時:7月4日 06:12
ソース:関東広域ローカルニュース、および鉄道警察隊発表
概要:中央線阿佐ヶ谷―荻窪間の踏切内で発生した、運行障害に関する速報。
「本日未明、午前2時45分頃、東京都杉並区のJR中央線沿いの踏切内で、30代の男性が警報機が鳴った後も敷地内から退避せず、長時間にわたって立ち尽くしているのが発見されました。男性は遮断機が下りた状態の線路内に、およそ六分間にもわたり留まり続けていたということです。
接近中の上り回送列車が特殊信号発光システムを検知して緊急停止したため、衝突は免れ、男性を含むけが人はありませんでした。警察は事件と自殺の双方の面から、当時の状況を詳しく調べています」
◇
現場で緊急ボタンを押し、男性の確保に奔走した駅員の証言は、単なる『死にたがり』のそれとは根底から異なっていた。
【現場駅員へのインタビュー記録】
「最初、遠目に人影が見えた時は、よくある深夜の酔っ払いか、あるいは人生に絶望した自殺志願者だと思ったんです。慌てて非常ボタンを押して、全力で走りながら『出ろ! 戻れ!』って大声で叫びました。でも、近づくにつれて、ゾッとしたんです。様子が、これまでに見たどの自殺志願者とも違っていた。普通、死の恐怖を前にした人間は、泣き叫んだり、身体を震わせたり、何かしらのパニックを起こすものです。でも、その男性は全然焦っていなかった。肩の力が完全に抜けていて、ただ突っ立っている。
……むしろ、深夜の公園で涼んでいるみたいに、ものすごく、穏やかな顔をして落ち着いていたんです」
深夜の静まり返った住宅街。網膜を刺すような黄色と黒の縞模様のなかで、その男は完全に『物質』と化していた。
【防犯・監視カメラ映像ログ(アングル:踏切北側高所)】
02:44:11──
街灯の薄暗い明かりのなか、ビジネスバッグを抱えたスーツ姿の男性が、踏切の中央──上下線のちょうど中間に位置するバラスト(砂利)の上で、不意に足を止める。男性は衣服のポケットからスマートフォンを取り出し、画面を見つめている。
02:44:33──
カン、カン、カン、と夜の空気を切り裂くように警報機が作動。赤色の発光ダイオードが交互に点滅を開始。直後、重々しい音を立てて遮断機が降下する。
通常の心理であれば、人はこの時点で慌ててバーをくぐるか、あるいは前後に走って敷地外へ脱出する。しかし、男性は指一本動かさない。ただ、画面から放たれる青白い光にその貌を照らされている。
02:45:18──
列車接近の振動が線路を伝わり、画面が微かに揺れる。
ここで男性は、ゆっくりとした所作で両耳のワイヤレスイヤホンを外した。
その瞬間、カメラが捉えた彼の横顔から、現代人が常に張り付かせている『緊張』や『疲弊』が、潮が引くように綺麗に消え去るのが確認された。
【鉄道警察隊 提出:周辺環境音声記録データ】
(カン、カン、カン、カン――という、至近距離での凶暴なまでの大音量警報音)
(遮断機が下りきった際の、ガシャンという重い金属音とモーターの駆動音)
(ガタゴトと、遠くの闇から凄まじい質量で接近してくる列車の轟音と地鳴り)
(踏切板が震え、砂利が擦れ合う微小なノイズ)
そんな、鼓膜を破らんばかりの音の濁流のなかで、男性の口元から零れ落ちた小さな呟きが、警察のマイクに拾われていた。
男性:「……静かだ」
【警視庁杉並警察署 任意聴取記録(抜粋)】
取調官:「もう一度聞くよ。なぜ、遮断機が下りたのに動かなかったんだ。あと数十秒、列車のブレーキが遅れていたら、君は今ここにいないんだぞ。なぜ逃げなかった?」
男性:「……久しぶり、だったんです」
取調官:「何がだ。何が久しぶりだったんだ?」
男性:「頭の中が……あの場所に入った瞬間、あんなにうるさかった頭の中が、すうっと静かになったんです。」
取調官:「静かになった? 警報機が目の前で鳴り響いていたんだぞ? 列車だって迫っていた。静かなわけがないだろう?」
男性:「いえ、静かでした。仕事のメールも、SNSの通知も、誰かの愚痴も、ニュースも……何も聞こえなくなった。ただ、目の前の世界だけになったんです。あそこは、本当に、良い場所でした」
男性のビジネスバッグから押収されたスマートフォンは、警察の手によって解析され、彼が『あの瞬間』まで何を見ていたのかを饒舌に物語っていた。
【押収スマートフォンアプリケーション履歴】
最終アクティビティ:動画再生アプリ(バックグラウンドで一時停止状態)
再生動画URL:『あなたはもう選んでいるのだ』
タイムスタンプ:04:03(全4分15秒の終盤)
画面キャプチャ:ダークグリーンの髪のキャラクターが、画面一杯に虚無的な笑みを浮かべているカット。
表示字幕:『全部、止めてもいいのだ。あなたの世界を、誰も邪魔できない場所にするのだ』




