第二話「個人記録:A-17」
【回収資料:警察証拠品 整理番号104-B】
発見場所: 千葉県内 マンション 402号室(対象者自宅)
媒体:スマートフォン内蔵ノートアプリ 書き出しデータ
記録期間:20XX年6月3日〜6月11日
特記事項:6月12日以降のデータは物理的に破損、または抹消されている。
6月3日(月)
最近、ずっと疲れてる。
朝起きた瞬間から、まるで身体が鉛のように重い。
別に大きな問題があるわけじゃない。仕事も普通。人間関係も普通。
でも、家に帰って明かりもつけずにソファに座ると、もう何もしたくなくなる。
なんとなくYouTubeを流し見してたら、おすすめに変な解説動画が出てきた。
ダークグリーンの髪のキャラが喋ってるやつ。
最初はよくある安っぽい自己啓発かなって思ったけど、なんだか妙に耳に残る声だった。
「無理しなくていいのだ」
その一言が、暗い部屋にやけに響いた。
6月4日(火)
昨日の動画、またおすすめのトップに出てきた。
アルゴリズムのせいだろうけど、少し気味が悪い。
コメント欄を覗いてみたら「人生変わった」「もっと早く見たかった」って書いてる人が溢れてて、ちょっと笑ってしまった。みんな疲れてるんだな。
でも。「全部の人と仲良くしなくていい」っていうのは、今の自分には少し刺さる。
考えてみたら、自分ってかなり周囲に色を合わせて生きてる気がする。
自分がどこにいるのか、最近よくわからなくなる。
6月5日(水)
動画の中で、あのキャラクターが言ってた。
「その人といると疲れるって、それはこころのサインなのだ」(※原文ママ)
そんな大げさな、と思ったけど、妙に頭から離れない。
今日、帰りにサオリから電話が来た。
またいつもの彼氏の愚痴。もう三ヶ月同じ話を聞かされてる。
受話器から漏れる彼女の声を聞きながら、ふと画面に映る自分の顔を見た。
ひどい顔をしてた。
途中から、彼女が何を話してるのか、ただのノイズにしか聞こえなくなった。
電話を切ったあと、手が震えるくらい疲れていた。
6月6日(木)
人間関係、少し整理してみようと思う。
断捨離みたいなものだ。別に誰かを嫌いになったわけじゃない。
ただ、今まで他人のゴミ箱になっていた気がする。
ノートの裏に、今の自分を取り巻く「重荷」を書き出してみた。
【添付画像:IMG_0821.jpg】
(手書きのメモを撮影した写真。筆圧が異常に強く、一部紙が破れている)
・会社(営業三課の飲み会)
・家族(母親からの過干渉なLINE)
・サオリ(一方的な相談)
・タクヤ(金の無心)
・高校の同級生のグループLINE(通知がうるさいだけ)
これを全部、捨てていいんだと思ったら、少しだけ呼吸が深くなった。
6月7日(金)
今日は誰のLINEも返さなかった。
スマホが震えるたびに心臓が跳ねる。少し罪悪感はある。
でも、無視し続けて三時間を過ぎた頃、驚くほど心が軽くなった。
「返さなきゃ」という強迫観念そのものが、自分を削っていたんだ。
動画のあいつが言ってたことは、正しいのかもしれない。
6月8日(土)
またあの動画を見た。
今度は関連動画の「優しすぎる人が損をする理由なのだ」。
再生を始めると、部屋の温度が少し下がったような気がした。
コメント欄の一番上にあった言葉。
「自分を守れるのは自分だけ。邪魔なものは排除していい」
それが、今の自分には唯一の救いみたいに見えた。
6月9日(日)
サオリから何度も着信。
出なかった。
そのあと、画面を埋め尽くすような長文LINE。
「最近冷たくない?」「私なんかした?」「信じてたのに」
前なら、必死で謝って機嫌を取っていただろう。
でも今は、画面をスワイプする指に何の感情も乗らない。
「うっとうしい」
初めて、口に出してそう言ってみた。
口の中が鉄の味がした。
6月10日(月)
世界が、静かだ。
前まで、頭の中は常に「誰か」のことでいっぱいだった。
誰を怒らせたか、誰を助けるべきか、誰にどう見られているか。
今は何もない。
ただ、部屋の中に自分だけがいる。
すごく楽だ。
(追記:23:45)
動画で言ってたこと、ようやく完全に理解できた。
距離を取るっていうのは、ただの「逃げ」じゃない。
「自分の領域から、不要なものを駆除する」ことなんだ。
6月11日(火)
朝、通知をすべてオフにした。設定からではなく、アプリそのものを削除した。
視界がクリアだ。
自分の時間、自分の人生。ようやく自分でコントロールできている。
(深夜:01:30)
ずっと、人に流されて生きてきた。
親の言う通りに、友達の顔色を伺って、誰かのために自分を削って。
でも、もうやめる。
「自分」を完成させるためには、ちゃんと選ばなきゃいけない。
たとえ、それが取り返しのつかない選択だとしても。
6月12日(水) 02:14
もう大丈夫。
全部、整理がついた。
「流れ」は私が作る。
あいつが言った通り、すごく、すっきりしたのだ。
◇
【調査補足情報】
対象者は6月12日以降、無断欠勤。
警察が自宅に踏み込んだ際、玄関は内側から施錠されていたが、窓はすべて全開であった。
室内は異様に整理整頓されていたが、『人間関係』に関連するあらゆる物品(写真、手紙、プレゼント等)が、シュレッダーで粉々に裁断されていた。
【端末内検索履歴(抜粋)】
・人間関係 整理
・縁を切る 呪詛(※途中で削除されている)
・他人の気配 消す方法
・自分で決める 最終手段
【未送信メモ(クリップボードに残存)】
> 他人に流されるのはもう止める。
> ここからは、私が流れを作る。
> 私は、私を邪魔するものを、すべて選別した。
> これで、私は一人になれた?
【備考】
対象者のスマートフォンのマイク機能が、失踪直前の数時間、『未知の周波数の音声』を継続的に拾っていた記録がある。音声解析の結果、それは合成音声によるささやき声で、『よくできたのだ』という言葉を繰り返していた。




