episode8【side カイド】
『魔物の巣が孵化しました!数は数百を越え、り、竜が……!援軍を要請します、至急援軍を……ああああ!!』
通信機はそこで途絶えた。魔法宮廷の大会議室では全員が言葉を失っていた。
「……急速に成長が早まり巣が孵化した模様です」
「わたしの結界も、解除されてしまった……申し訳ございません、我らがもう少し早く魔法陣を解析できていれば、このような事態を……」
机の上に置いた拳を硬く握り込んだ。
僕の結界が破られなければ、こんなことにはならなかったのに。
「動けるものはすぐに現場へ向かうのじゃ。三賢者は王都へ向かい、王城の守護を」
宮長達は一斉に立ち上がり、アークトゥールの指令に従って戦闘準備を開始した。
♢♢♢
転移魔法陣を使って、エゼリア領についた僕たちは、目の前に広がる地獄のような景色に言葉を失った。
「これは……」
「なんてことだ……」
火の手が上がり、肉の焼ける匂いが町を包み込んでいる。低い呻き声はどちらのものなのか、もはや判別も不可能だ。地面に転がっているのは魔物の死体だけでは無い。かつて人であった物の肉片が塵のように散らばっている。
まだ若い魔法使いはそれだけで嘔吐き、胃から迫り上がってくるものを止められなかった。
「魔物の殲滅を優先しろ!一匹たりとも町から出すな!」
「処女宮、巨蟹宮の宮員は学校に医療避難所を!負傷者はこちらへ運んでください!」
♢♢♢
地響きが町を揺らす。次々と運び込まれる負傷者に対応する処女宮の宮員と、学校に結界を張り続ける巨蟹宮の宮員。
僕の守りたかった国が、命が、掌からこぼれ落ちていく。
幼少時代、僕は魔物に襲われた。
その時救ってくれた魔法使いが使った、結界魔法。
世界を隔てる美しさに、僕の心はまるごと奪われた。
僕は自分自身に誓ったのだ。
いつか人を救う魔法を作るのだと。
それこそが、この世界で一番美しい魔法なのだと――例え自分を犠牲にしても。
覚悟を決めて、細く息を吐き出した。
「……さあ、良い機会だから使ったことのない魔法を使ってみようかな。君たち、記録に残しておいてくれたまえよ!そしてその結果を今後の研究に役立ておくれ!」
唐突に切り出された会話といつも通りの僕の様子に、巨蟹宮の魔法使い達は戸惑い、唖然と見つめた。
「では諸君、各自健闘を祈る!」
そのまま部屋を後にして廊下を歩いていると、慌ただしい足音が響いた。
僕の腕を強く握りしめたのは、リリーボレアだった。
「待って……どこ行くの?何をしようとしているの?」
「……僕の最後の研究発表だよ」
リリーボレアの瞳が激しく動揺して揺れた。
「やめて、行かないで」
「……リリー」
彼女の瞳からは、涙が溢れ出していた。
「いっ行かないで、行かないでっお願い!戻らない気でしょう!?駄目よそんなの、許さないんだから!行くならアタシも連れていって、カイド1人じゃ何も出来ないでしょ!?」
「……おいで、リリー」
僕は両手を広げて彼女をそっと抱きしめた。
師弟時代の幼かったあの頃が思い出される。
『あ、カイドまたこんな所で寝てる!』
『ああ、いつのまにか朝だった』
『もぉ、本当にカイドったらアタシがいないとダメね!』
だらしがなくて頼りない自分を、師匠と呼ばずに名前で呼ぶ。僕はそれが決して嫌ではなかった。
成長と共にいつしか彼女は一線を引き、名を呼ばれることはなくなった。
曖昧なまま、緩やかな幸福を続けた自分は、師匠失格だ。
ずっと真実から目を背け、君の気持ちを享受していたのだから――。
「お願い、置いていかないで……一生のお願いだから……!」
リリーボレアの鼓動が胸にひしひしと伝わる。
この手を、離したくない。
顔を歪め、震える唇でそっと彼女の額に口づけた。
「大丈夫、大丈夫だよ。全部、忘れてしまうから……愛してるよ、リリーボレア」
「カイ……!」
「パラリシス《光属性魔法・神経麻痺》」
その瞬間、彼女の体が僅かに痙攣し、力無く崩れ落ちた。
リリーボレアを受け止めてウレンに託すと、僕は扉を閉めて魔法で施錠した。
「いや……カイド……待っ……」
「宮長……」
「ウレン、リリーボレアを頼む。私の大切な弟子だ。君たちも私の大切な部下で仲間だ。必ず生き残って研究を続けるように!」
「……狡いのだ、宮長は」
部屋に閉じこもった僕は、細く長く息を吐き出して床に魔法陣を描き始めた。
これは僕が長年に渡って研究を続けてきた、非公開の守護魔法。
「……対象範囲はこの国すべて、発動対象を人間に固定、制限回数は一度、発動条件は、愛する者に名前を呼ばれること……」
魔法陣を描きながらブツブツと呟く。描き終えると、中央に立って天井を見上げた。
(この魔法が発動すれば、僕の記憶は誰にも残らない。今から僕は、二度死ぬ)
一度目は肉体の死。そして二度目は全ての人の記憶から僕が失われる、存在の死。
二つの死を対価にして、この国全ての人間を一度だけ死から回避する、究極の守護魔法――。
こんな状況でも、この魔法が上手くいくのかどうか結果を期待している自分は、本当に根っからの研究者気質なのだと自嘲した。
扉の向こうから弱々しくドアを爪でかきむしる音が聴こえる。
「やだぁ……カイド……カイド……!」
うわごとのように名前を呼ばれ、胸が強く締め付けられた。
リリーとの生活は、幸せだった。
何度も自分の気持ちに蓋をした。
師が弟子にこんな気持ちを抱くのは間違っている。
でも、僕を怒るリリーの姿が、僕を構うリリーが、どうしようもないほどに愛おしかった。
早くしないと、魂がこの世に引き留められて魔法が失敗しそうだ――。
杖を両手で強く握りしめ、全魔力を魔法陣に注ぎ込んだ。
(ごめんね、リリー。君は可愛くて大切な、僕の……)
「我が命と記憶を捧げて発動する。愛する者がその名を呼ぶ時、魂と肉体の糸を結び、命の鐘を再び鳴らせ。記憶は彼方に、命は無に、一度限りの祝福を!プラエフェクトゥス・ヒエムス・エヴァネースケレ・ウェール!《雪溶けの反魂》」
「嫌ぁ!カイドォォー!!」
眩い光で、目の前が真っ白に爆ぜた。
痛みはない。むしろ温かな光に包まれ、心地よい穏やかな消失だ。
指先の感覚が無くなっていく。
僕の体は少しづつ雪の花となって空へと昇って行った。
瞼を閉じる瞬間に浮かび上がったのは、やり残した研究でもこの国の未来でもない。
リリーの笑顔だった。
もしも、次の生があるならば。
今度は同じ年頃に生まれたい。
隣に並んでも違和感の無い、青々しい春を共に過ごしたい。
誰に遠慮することもなく、人目を憚らずに、好きだと伝えたい。
好きだと、言えればよかった。
(君を選べなかった僕を、どうか忘れてくれ――)




