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episode6

 

 十年間の修行が終わり、優秀だったアタシはいくつもの宮からスカウトされていた。

 でも、アタシはカイドがいる巨蟹宮を選択した。


 カイドの隣に立ちたかった。

 彼の夢を、一番近くで支えられたらそれでいい。


 アタシはカイドの自慢の弟子。

 その線を飛び越える勇気は、何年経っても生まれなかった。


 ♢♢♢


 仕事にも慣れ、それなりに経験を積んだ五年目のある蒸し暑い夏の日。国の南側の領地に数日間カイドは出張に出掛けた。魔法宮廷は最北に位置するので、国の両端に互いがいるのだと甲に浮かぶ星紋が教えてくれる。


 長い一ヶ月だった。

 カイドがいないと、時間を持て余してしまう。


「リリーボレア、久しぶりに飲みに行かない?宮廷から近くの街に良いお店見つけたのよ」


「そうね、仕事もひと段落つきそうだし、行こうかな」


 友人のメリディアナと共に、少し洒落たレストランで食事をした。食通の彼女のおすすめだけあって、貝のワイン蒸しと子鹿のソテー、チーズでお酒が進む。


「ほんっっと!手がかかるのよぉアイツは!!」


「飲み過ぎよリリーボレア」


 ワイングラスを片手に、久しぶりの飲酒でアタシはベロベロに酔った。


「この間もね、会議資料を失くして宮員総出で探したのよ!信じられる!?机の引き出しの中からくっしゃくしゃになって出てきたのよ!」


「カイド宮長って黙っていれば綺麗な顔してるのにね」


「顔だけじゃないわよ!研究に対する情熱は誰にも負けないし、ああ見えて努力家なんだから!」


「悪口言いたいのか惚気たいのかどっちなのよ」


 メリディアナに水の入ったグラスを手渡され、勢いよく飲み干した。喉に冷たい水が流し込まれると理性が戻ってきた。


「惚気なんかじゃないわよ」


「……拗らせてるわね」


 言われなくても知っている。放っておけばいずれ枯れるだろうと思っていた花は、あの日からずっと咲き続けている。


 恋人を作ればこの想いも消えるのだろうか。そう思って男の子とデートをしたことはあった。


 でも、カイドを好きな気持ちのまま誰かと付き合うのは不誠実だ。結局アタシは誰とも恋人にはなれなかった。


「魔法使いの寿命は長いけどさぁ、花の盛りを叶わぬ恋に捧げるのは勿体無いんじゃない?」


「……」


「せめて告白して振られたら?異動願いだって出せるじゃない。そろそろケジメつけて前に進みなさいよ」

 

「ねえ、デザート頼も」


 振り上げられる正論から目を逸らした。自分でも分かっているのだ。

 メリディアナは呆れた顔をしてメニューを渡してくれた。


 ♢♢♢


「もー飲めない……うええ」


「ちょっと、こんなところで吐かないでよ!?」


 千鳥足で宮廷に帰ってきたアタシは、メリディアナに肩を抱えられてふらふら歩いていた。


「あ、リリーボレアなのだ」


「酔っ払いじゃねえか」


「あ、ちょうど良いところに。この子寮まで送ったげてよ」


「しゃあねえなぁ……おい、歩けるか?」


「んん……だい、じょうぶ」


 視界が揺れる。

 体がふわふわして箒がなくても飛んでいきそう。


 次に目を開けた時、アタシは大きな背中に背負われていた。二階の渡り廊下を歩いている。

 ガラス窓から見える夜空には、大きな満月が浮かんでいた。

 中庭の夜光蝶が、揺蕩うように青白く光っている。


「え……?」


「あ、リリー起きた?飲み過ぎだよ。一体何杯飲んだの?お酒の許容量を教えておくべきだったね」


「カイド?なん、で……」


「出張から帰ってきたらエントランスで君が酔い潰れていたからね。弟子の不始末は師が拭えってメリディアナ君から託されたよ」


(メリディアナったら!!)


 頬に熱が集まり、一気にぶわっと汗をかいた。


「お、おろしてよ、歩けるから」


「え?もう着くからいいよ」


 渡り廊下を超えて、星紋をかざせば巨蟹宮の扉が開錠する。右が男子寮、左が女子寮だ。カイドはアタシを下ろして荷物から何かを取り出した。


「部屋に戻ったら水を飲みなさい。君はしばらく飲酒禁止」


 小言と共に手渡されたのは、白い小さな紙包みだった。


「これ、なに?」


「お土産。みんなの分はないから、内緒だよ」


 アタシにだけ。

 弟子の特権だとは分かっている。

 カイドに特別な感情はない。


「――ありがと」


 大きな手が、くしゃりと頭を撫でていく。


「うん、おやすみ」


 自室に帰って中身を見れば、南部の花の刺繍が入った紫色のリボンだった。


 特別な意味なんてない。

 弟子だからくれただけ。


 それでも、不毛な恋を美しく飾るには十分過ぎるほどの贈り物だった。

 髪の毛を編み込み、リボンを結んでみる。

 鏡の中の自分は、頬が緩み切っていた。


 魔法宮廷に入宮してから二十年が経った。

 しがない魔法使いだったカイドは王都の結界魔法を構築した功績で、巨蟹宮の宮長という立場にまでなっていた。

 アタシは四十歳。鏡に映る顔は二十歳からほとんど変わっていない。

 カイドは百三十を超えた。以前よりも白んだ髪の毛は、相変わらずぼざぼさだ。


 魔法使いは人間の六倍ほど長生きするらしい。外見年齢は二十歳で止まり、その後緩やかに老いていく。

 二十年という月日が経っても相変わらずカイドはカイドで、アタシは面倒見のいい弟子であり同じ宮の部下だった。


 空は高くなり、ひやりとした秋風が髪の間を通り過ぎていく。今年も修行中の魔法使いを各宮で受け入れる、中間研修の時期がやって来た。


「宮長、今日は中間研修の見習い魔法使いが来ますよ」


「中間研修……もうそんな時期かあ。今年は珍しく我が宮での研修に立候補してくれた子がいるからね!リリーボレア、指導員としてよろしく頼むよ!」


「はいはい、こっちは任せてちょうだい」


 ♢♢♢


 新人の十二歳の少女は、アテラスというらしい。真面目で礼儀正しく、素直そうな見習いだった。

 

「おや、新人くんは戦線離脱したのかな?」


 彼女はペンを握りしめたまま、机の上でスヤスヤと眠っていた。窓の外は真っ暗で、長い間課題と格闘していたことが目に見えて分かる。


「あらあら、やっぱりまだ十二歳の子には難しかったかしら」


 カイドは机にあるノートに目を留めた。子どもの殴り書きでぐちゃぐちゃに書かれた術式は、およそ研究ノートと呼べる代物では無いだろう。

 しかし、彼はそのノートからしかと彼女の意思を受け取った。


「いや……そうでもないみたいだ」

 

「え?……まぁ……」


 ノートを覗き込んだアタシも思わず口をぽかんと開けて、頬を緩めた。


 《だれかを守るための魔法 だれにもやぶれない結界魔法》


「この研究テーマは中間研修には向いていないわね」

 

「いや、しかし我らはとんでもない原石を発見したようだぞ。数年ぶりに入宮してくれる候補生が現れたんだ、今から是非ともスカウトしなければ!」

 

「ふふ、随分と気が早いこと」


 カイドはペンを取り、彼女のノートに一言書き加えた。

 彼の文字は蛇が這っているようで、慣れないと読みづらい。

 特徴的なKのサイン。アタシは目を細めてその一ページを見つめた。


 こんな穏やかな日々を、これからも過ごしたい。

 多くは望まない。ただそばにいられるだけどよかったのに。


 日常は、ある日突然終わりを告げる。

 当たり前に享受していたものは、唐突に失われるのだ。

 

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