episode10
カーテンの隙間から、朝焼けの光が差し込んだ。眩しさに顔をしかめ、瞼を押し上げる。
手はしっかりと繋がれたままだった。
彼の髪は光の妖精が遊んでいるかのように、透き通ってきらめいている。
顎を触ると、少しちくりと指に刺さった。
唇の輪郭をなぞり、そっと重ねる。
するとゆっくりと瞼が持ち上がり、カイドの瞳にアタシが映った。
「……おはよう」
「おはよ」
昨夜散々互いを貪ったせいで、体は気怠く重たい。
朝の冷えた空気が肌に触れ、もう一度布団に潜り込んだ。
「カイド、そこの引き出しに入ってる回復薬とってちょうだい」
「引き出し……これかい?」
ベッドサイドにあるチェリーウッドの引き出しを開けていく。
「一番上の引き出しよ」
「これかな……あ」
カイドが引き出しを開けて、何かを取り出した。
それは、あの夏の日にカイドからお土産にもらった、紫色のリボンだった。
「これ懐かしいね。まだ持っててくれたんだ」
カイドはアタシの黒髪を指ですき、片方によせてリボンを結び出した。
「……リリーは南部の風習って知らなかった?」
「南部の風習?」
「うん。僕は南部の小さな村の出身なんだけど、古くから伝わる手縫いの刺繍が今も伝統として残っているんだ。限られた地域だけに伝わる風習があって……」
リボンをつけたアタシをみて、彼は満足そうに頬を緩めた。
「やっぱり似合うね」
「ねえ、風習って?」
「満月の夜に想い人の瞳の色のリボンを贈ると――縁が結ばれるっていう可愛らしいものだよ」
「……じゃあ」
あの日渡り廊下で見上げた空には、大きな満月が煌々と二人を照らしていた。
「狙った訳じゃなかったんだけど……僕って案外乙女でしょう」
はにかんで照れたカイドの顔が、ぐにゃりと歪んでいく。
両手で顔を覆うと、掌に熱い雫が染み込んだ。
「もっと早くに、伝えればよかったなぁ……」
抱きしめられると、いつも使っているラベンダーの石鹸の香りがした。
カイドから自分と同じ匂いがするだなんて、なんだか変な気分だ。
大きな手がアタシの頭を同じ速さで撫でていく。
それがとても気持ちよくて、だんだんと落ち着きを取り戻していった。
「朝食食べようか。ホットココアも作ろう」
「うん……」
立ち上がろうとしたその時、腰が抜けてぺしゃりとその場に崩れ落ちた。
「あれ?」
足に力が全く入らない。
すかさずカイドがアタシを抱き上げた。
「ごめんね、昨日は僕も夢中になっちゃって。年甲斐もなくはしゃいじゃったよ、今までこんなに欲情したことないんだけど流石に三回は多かったよね」
「デリカシー無いのよ馬鹿カイド!!」
怒って顔面に枕を叩きつけると、「いたっ」という小さな悲鳴が上がる。
ずり落ちた枕の下で、カイドは満面の笑みを浮かべていた。
「頬におはようのキスはしてくれないの?」
「え……」
「僕が机で寝ているとよくしてくれたじゃないか」
「まさか、起きて……?」
彼は指で頬をぽりぽりと掻きながら、嬉しそうに眉を下げた。
「若気の至りだと、思ってたんだけどなあ……」
「~っ!!」
声にならない叫びをあげて暴れるアタシを、カイドは抱え込んで離さなかった。
「回復薬だけじゃ足りないだろうから、回復魔法もかけてあげるね」
「い、いいわよ!」
「遠慮しなくていいよ!サナティオルス≪光属性魔法・癒しの光≫」
呪文を唱えても、部屋はしん、と静まり返って何も起こらない。
「……あれ?」
カイドは自分の掌をまじまじと見つめた。
「魔法が発動しない……」
♢♢♢
「魔力貯蔵器が消失していますね」
治療院で精密検査を受けた結果告げられたのは、魔法使いではなくなったという残酷な宣告だった。
体内にある魔力貯蔵器が無くなったということは、もう魔法は使えないということ。
「そんな……」
アタシは喉元まで出かかった嗚咽を懸命に飲み込んだ。
誰よりもショックを受けたのはカイドだろう。あれだけ長い年月を研究に費やして魔法を愛した彼から、魔法を取り上げられたのだ。
もしかしたら、死ぬよりも辛いことなのかもしれない。
なんて声を掛けていいのか、分からなかった。
しばらくの間沈黙して俯いていたカイドは、「……そうですか」と思いのほか明るい声で返事をした。
「体に不調や異変があればすぐに受診を」
「はい、ありがとうございました」
アタシ達は黙って治療院を後にした。
♢♢♢
魔法宮廷の中を歩いていても、誰もカイドに気が付かない。思い出したのは、アタシだけのようだった。
「あーあ、魔法使いじゃなくなっちゃったのかあ……」
中庭のベンチで空を見上げながら、カイドは気が抜けたように呟いた。
なんと言えばいいんだろう。カイドがこんなにも辛いのに、何もできない。
するとカイドは慰めるようにアタシの髪を撫でた。
「そんな顔しないでよ。あの魔法は代償が必要な魔法だったんだ。臓器一つで生き返れたならラッキーだよ」
「でも、研究は……」
「魔力が無くてもできることはあるはずさ。幸い僕の頭脳の中には膨大な術式が詰め込まれているからね」
カイドは自分の頭を指さして笑っていた。
「でも、自分でも驚いたんだけど……魔法が使えなくなったこと自体はそこまで辛くはないんだ」
「え……」
「僕はもう魔法使いじゃない。普通の人間と同じ速度で年を取る。思っていたよりも随分早くリリーを置いていってしまう……そっちの方が、辛い」
アタシはカイドを抱きしめた。強く、自分が持てる全ての力を込めてしがみつくように。
「僕、おじさんからすぐにお爺ちゃんになってしまうよ」
「……それでもいいわ。残りのカイドの人生、全部アタシにちょうだい」
カイドの肩が震えてる。肩越しに感じる彼の熱。
背中に回された腕に、軋むくらい力が込められた。
「できるだけ、長生きするよ」
「そうね、今までみたいな生活送っていたらあっという間にアタシは未亡人よ」
「僕が死んだ後は、忘れて……」
「忘れないわよ」
被せるように否定して顔を上げた。
「アタシは絶対に忘れない。カイドが死んだあとも、ずっと忘れないから。逝く時は、忘れないでって言って死ぬのよ。アタシに消えない呪いをかけて」
脅しのような言葉を吐いたアタシを、カイドは眩しそうに目を細めて見つめた。
透き通った檸檬色の瞳に、今にも泣き出しそうなアタシが映る。
「分かったよ……僕は最期に君に呪いをかける、悪い魔法使いだ」
呪いでもなんでもいい。
もう二度と忘れたくなかった。
♢♢♢
月日は瞬く間に通り過ぎた。
郊外にある、黄色い屋根の一軒家。
レンガの壁にはモッコウバラが這うように咲き乱れ、最期の時を見守っている。
「僕のこと……忘れないで」
あの日の誓いを、カイドは守ってくれた。少しだけ、形を変えて。
「そして僕を忘れない君を、愛してくれる人を探して」
「……うん」
彼の乾いた頬に、ぽたぽたと涙が落ちていく。
その瞬間、呪いは永遠に消えない魔法に変わった。
小指を絡めて、最後の約束を交わす。
年老いた眠り姫の頬にキスをしても、もう目覚めることはない。
♢♢♢
死者の眠りを告げる鐘の音が聞こえる。
見晴らしの良い高台に、真新しい白い墓石が佇んでいた。
墓前に白い百合を供え、アタシは静かに手を組み祈りを捧げた。
カイドがいなくなっても、アタシはまだ生きなければいけない。彼が死ねばアタシも死んでしまうのだろうと、そう思っていたけれど。
「母さん」
後ろを振り返ると、髪を短く切り揃えた黒髪の青年と、金髪の髪の毛を一つに束ねた少女が佇んでいた。
こうして三人並べば、きっと三人姉弟のように見えるだろう。
「……大丈夫?」
アタシは黙って頷き、二人を抱きしめた。いつかこの子たちも、アタシを置いていくだろう。
魔法使いと人間では、生きる時間軸が違うのだ。
それでも。
分かっていても、アタシは何度でもカイドを選ぶのだろう。
何度でも、カイドを愛するのだろう。




