34.
学院の裏手は、騎士の鍛錬場になっている。
“鍵”の皆様の鍛錬場だけでなく、装備師の装備の試験場でもある。
鍛錬場を囲む、古びた石造りのアーチの先に、目的の人物を見つけて、自然と足が速くなった。
「アンドリュー」
振り返ったアンドリューが、軽く手を上げた。
青みがかった銀の髪が、夕焼け色に染まっている。
鍛錬用のラフな格好は、アンドリューの鍛えられた、しっかりとした体つきがよくわかって、どきりとしてしまう。
「おう、クリス。めずらしいな」
アンドリューは、私を見て、いたずらっ子のような笑顔を浮かべる。
「明日には帰るって聞いたから。私、ちゃんとお礼言ってないから」
試験が終わり、全員が作品を提出した後、黒の十日間の前に、学院は新年の休みに入る。
国境にあるグランクト辺境伯領は、遠い。転移ゲートを使っても、数日かかるのだという。
「お礼?」
「妖魔から助けてもらったお礼」
あの後、なんだかんだとアンドリューと話すタイミングがなかったのだ。
たいしたことはないとはいえ、私とトレイシーを守るために、妖魔に立ちはだかって、怪我をしたのだから。なのに、アンドリューは、けろりとした表情で
「なんだそんなことか」
あっさりと言い放った。
「そんなことって、死ぬかもしれなかったんだよ」
そんなことじゃない。
人は、妖精を傷付けることは出来ない。そして、妖精職人は、妖魔にとって格好の餌。
いくら“鍵”の皆様と一緒だったとは言え、命の危険があったことは間違いなく、あの場で一番危険だったのは、アンドリューだったはずだ。
しかし、アンドリューは、困ったような顔をして、頭をかいた。
「気にするなって言っても無理だろうけど。あんなの、辺境じゃ、よくあることなんだよ」
息をのんだ。
大樹海に面するグランクト辺境伯領。
魔獣が跋扈し、ときには魔獣の大量発生すら起こるという。
私達が職人として材料にする魔物とは、違う。
妖魔によって、狂わされ魔に堕とされた獣たち。人や他の獣、魔物を襲い、ときには村一つ壊滅させることすらあるという。
あの妖魔と対峙したときのえも言われぬ恐怖が蘇って、手が震えた。
「大丈夫だ。ここには、いない」
優しい声で、アンドリューが告げる。顔を上げると、いつになく優しい表情の彼がいた。
「アンドリュー」
「辺境は、そういうところだ。子供の頃から、剣を握っていたし、魔獣が出れば真っ先に駆けつける。それが、辺境伯家の責務だからな」
魔獣が出る地。それはつまり、妖魔が存在する場所を意味するのだから。
オレンジ色に染まる空を見上げたアンドリューの横顔が、どこか寂しく見えたのは、きっと夕焼けのせいだ。
なんだか、切なくて、ふと視線を逸らしてしまう。
「まあ、それでも、俺に感謝してるっていうなら、それ」
そうして、アンドリューは、私の髪のリボンを指さした。
女の子四人で、試作品を交換しようと約束したそのとき、私とメグの二人でリボンを作ったのだ。薔薇色のそれは、皆の髪や服を彩っている。
「くれよ」
「え、駄目だよ」
思わず即答してしまった。
おそろいで作った記念の品物なのだ。そう簡単にあげられない。
「お礼に来たんじゃないのかよ」
それを言われると、言葉に詰まってしまう。
アンドリューにお礼の気持ちはあるが、このリボンをあげられるかどうかは、別の話で。そこまで考えて、ふと、思い出した。
「これでも、いい?」
アンドリューに差し出したのは、リボンと同じ薔薇色のハンカチ。
リボンを作った残りの布で、作ったものだ。というより、思ったより大きな布を染めてしまい、リボンを作っても余ってしまい、メグがハンカチにしてくれたのだ。
お父様とお姉様の婚約者であるルグラン伯爵家のフォレスト様にプレゼントしようと思っていた。それでも、三枚ほど手元に残っていたのだ。
ハンカチを見た途端、アンドリューは嬉しそうな、それでいてどこか信じられないものを見るような目で私を見つめる。それから
「それが、いい」
そうして私からハンカチを受け取ると、それに口づける。
「なっ、なにしてんのっ」
思わず、声が出てしまった。
「クリス。ありがとな」
その笑顔は、ずるいくらい優しくて静かで、それでいてなんだか目が離せなくて、一瞬息をするのを忘れてしまった。
「じゃあな、またな」
そうして、片手を上げて男子学生用の宿舎へと戻っていく。
その背中が見えなくなるまで、私はそこから動くことができなかった。




