30.
晩秋の爽やかな日差し。
遠くに聞こえる鳥の声。
落ち着いた雰囲気の面会室。
装飾は少ないが、上質な材で造られた上品なテーブルと、その上に並べられた花の絵付けの茶器。
そして、お小言を受ける私達。
どうして、こうなった。
朝、運んでもらった朝食を食べ、制服に着替えた頃、医務室にやってきたのはロマンスグレーのイケオジだった。
サイラス・フロー・ヒベロリアン。
学院の講師で、芸術を担当している。製菓師の妖精職人でもあり、トレイシーの担当教官でもある。
「デヴュタント前とはいえ、君たちは令嬢で、立派な淑女だ。それを忘れてはいけないよ」
額にかかった髪を軽く指ではらって、ヒベロリアン先生は微笑んだ。
「はい」
トレイシーと二人並んで、先生の前に座っていた私達は、力なく返事をするしかなかった。
昨夜、キャメロン先生と医務室の応接セットで、寝衣にショールを羽織っただけという恰好で話し込んでいたことを、叱られていたのだ。
淑女として、あるまじき行為だと。
確かに、あの場にメグがいたなら、医務室に飛び込んで来たキャメロン先生に、隣の面会室で待つように伝え、身支度を調えて応待するか、翌朝にするように伝えたはずだ。
今世では、貴族の令嬢として生まれ、厳しい淑女教育を受けたけれど、どうにも前世の感覚が抜けなかった。とくに、貴族令嬢に求められる貞淑さや慎ましさなどは、頭から抜け落ちることがよくあった。
足首より上を見せてはいけない、とか、家族や婚約者以外の異性と二人きりになってはいけない、など。
きれいさっぱり、忘れてしまっていた。
キャメロン先生なんて、そういう対象として見たことがないから、余計に、だ。
ただひたすら反省するしかない。
「妖精職人は」
呆れたような、それでいてどこか楽しげに、ヒベロリアン先生が口を開いた。
「妖精と心を通わすことができる、稀少な存在だ。ガドリアーナ王国、特にプリエールにいると忘れがちだが、他国では最上級のもてなしを受ける貴賓でもある。ましてや、これほどまでに魅力的な淑女なら、名だたる紳士達が愛を乞うても不思議ではない」
そうして先生は茶目っ気たっぷりの笑みを浮かべると、
「私も、妻さえいなければ、今すぐにでも花束を持って求婚しただろう」
ロマンスグレーの魅力たっぷりのウィンクを受けて、隣でトレイシーが胸を押さえて感極まっていた。
ヒベロリアン先生は、トレイシーにとって、理想の大人の男性そのものなのだそうだ。
アッシュグレイの髪は、ほどよい抜け感でまとめられており、銀にも見える灰色の瞳は、甘く優しい。きちんと整えられた髭も、顔のシワですら、攻略対象者でないのが不思議なくらい魅力的に感じる。
なによりも、ヒベロリアン先生といえば、そのファッションセンス。
ウール交じりの格子柄のフロックコートに同柄のウエストコート。そしてトラウザーズ。クラヴァットと同じ色のチーフが、胸元のポケットに入れられている。
シンプルで上品で、そしてとてもよく似合っていた。
この世界、この時代、貴族男性の服装といえば、装飾過多のコートにフリルのシャツ、そしてブリーチズに白のストッキングというものだ。
彫りの深い顔立ちの、美形多めのこの世界の人達は、見事にそれらを着こなしてはくれてはいるのだけれど、前世を思い出した辺りから微妙になってきたのだ。
特に、全体的に丸いお父様を見ていると、もう少しなんとかならないかと、つい思ってしまうのだ。せめて、フリルのシャツはやめて欲しい、とか、白いストッキングってどうよ、とか。
学院では、学院の徽章が刺繍されたローブを着用することが定められており、その下は男性なら簡素なシャツとトラウザーズ、女子ならブラウスにくるぶし丈のスカートを身につけるようにと指導されている。
だから、ゲームでは特になんとも思わなかったし、スチルの全身絵はそれなりにアレンジされていた。
期間限定イベントなんかは、ある意味定番の浴衣だったり、サンタコスやハロウィーンの吸血鬼コスだったりと、心にもお財布にも攻撃力が高かった。ちなみに、アールレイ様の浴衣姿は、即死ものの素晴らしさだった。
攻略対象者の白ストッキング。
見たいような、見たくないような。そんな気分のなか、ヒベロリアン先生はある意味救いだったりもする。
「さて、お説教はこれくらいにして」
そう言って、先生は入り口の扉へと視線を送る。医務室付きのメイドが扉を開けると、神官服に身を包んだ二人の人物が入ってきた。
「治癒士のアルカ殿とナイシス殿だ」
真っ白な二人だった。
アルカ様は白に近い灰色の、長身のナイシス様は、薄い金の長い髪。白い肌に純白の神官服。なにもかもが、白かった。
「神々と妖精の祝福があらんことを」
二人はそう告げて、頭を下げた。
「大神殿が派遣してくれた。魔と遭遇した者は、治癒士の治療を受けることになっている」
そう言って、ヒベロリアン先生は、二人をそれぞれ私達へと促した。
「ガドリアーナ王都大神殿の治癒士、ナイシスと申します」
ナイシス様は跪くと、そっと、壊れ物を扱うかのように優しく私の右手をとった。思いもしない彼の行動に、どぎまぎしながらトレイシーの方を盗み見ると、彼女もまたアルカ様に恭しく手を取られていた。
「妖魔と遭遇した者は、たとえ傷を負っていなくても、身体と心に治癒を施します」
心に染み渡るような、優しい声だった。ナイシス様は、静かに言葉を続ける。
「魔は、心の隙間に入り込み、人を惑わします。知らぬ間に、魔におかされているということもあるのですよ」
「目に見えぬ傷は、見えぬが故に気付きにくく、己が思っているより深く、悪化しやすいものです。なにより、そのような傷を魔は見逃しません」
ですから、ささやかな心への癒やしと浄化、魔除けの祝福を与えるのだと、アルカ様が続けた。
ふわりと、温かなものが両手から流れ込んでくる。ぬるま湯のようなそのぬくもりには覚えがあった。命名式のとき、初めて妖精と出会ったあのときと同じ、全身を包み込むような優しいそれ。これが祝福なのだと、はっきりと解る。
あまりの気持ちよさに、思わず目を閉じかけた瞬間、日だまりのような温かさがふつりと途絶えた。
目の前には、私の手を握ったまま満面の笑みをたたえたナイシス様がいた。
「これ以上は、身体に毒になりますので」
なんのことか解らず、思わず首を傾げていると、
「妖精職人の皆様は、妖精に愛されているが故に、祝福を取り込みやすいのです。人によっては、前後不覚に陥ったり、酩酊状態になったりする場合があるのですよ」
アルカ様がそう告げて立ち上がり、ヒベロリアン先生のすぐ傍に、ナイシス様と並んだ。
「プリエール神殿におりますので、なにかありましたら、足をお運びください」
ナイシス様がそう告げると、ヒベロリアン先生が、驚いたように
「おや。てっきり組合長に招かれたのだと。城下の神殿では手狭だろうに」
一瞬、お二人の表情が曇った。がすぐに、
「あちらは、我らを必要としておりませんから」
美しい完璧な笑顔。けれど、その笑みも声も、どこか冷たく感じた。
微妙な空気を一変させるように、ヒベロリアン先生が軽く手を叩いた。
「さて、そろそろ始業の時間だ。なにかあれば、必ず申し出るように」
トレイシーと顔を合わせ、それから立ち上がると、先生と治癒士のお二人に向かって、深く頭を下げた。




