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28.


 小さなカップに、キャメロン先生が、ハーブティーを注ぐ。ふわりと、優しい香りが、部屋の中に広がった。私とトレイシーそれぞれにカップを差し出すと、彼は深々と頭を下げる。


「本当に申し訳ありません。その、妖精の強い反応を感じまして、我を忘れて飛び込んでしまいました」


 テーブルの上に置かれているのは、水晶玉。その中には、大神殿で見たあの結晶によく似たものが入っていた。


「これは、妖精を探知できる魔道具です。妖精が近くにいると、中の境界石が輝いて、球体部分に位置が表示されるのですよ」


 にこにこと新しいおもちゃを自慢するような、そんな表情でキャメロン先生は続ける。


「妖精職人の多いプリエール学院なら、妖精をこの目で見ることが出来るはずだと、そう思っていたんですが。いつも、あと一歩というところで、妖精に逃げられてしまうんですよ。なにが悪いんでしょうか。今回は見たこともないくらいの輝きで、今度こそはと思ったのですが……」


 先生はため息をつき、憂いを含んだ顔でそっと目を伏せる。


「そもそも、妖精職人は妖精に愛され、人間の中で最も神々と妖精に近しい存在です。常に妖精を身近に感じています。なのに、その姿を見ることが出来ないなんて。人間は一生のうち、三回、妖精と直接触れる機会があると言われていましてね、生まれたときと、死を迎えるとき。そして、命名式です。だから、私は、本当に期待していたんですよっ」


 妖精学の講義のときよりも、はるかに多い熱量でキャメロン先生は語り続ける。


「命名式の時こそ、妖精に会える、妖精の姿を見ることが出来る、と。なのに、実際は境界石に炎が現れるだけで、その姿を垣間見ることすらかなわなかった。大神殿の、あの巨大な境界石ですら、妖精を見ることが出来ないだなんて。あの日の絶望感はすさまじく、私は境界石の前で泣き崩れましたよ。そのときの大神官様が、妖精職人ならば普通の人より妖精を身近に感じることが出来るはずなのだから、きっといつかその姿を見ることが出来るだろうと、仰ってくださって。それで私は職人になることを決めたのですが、本当なら、神官になりたかったのですよ。神官になれば、姿を見ることはかなわなくとも、あの輝きを毎日見ることが出来ますからね」


 綺麗な所作でハーブティーを一口飲むと、満足げに頷き


「神官は無理でも、 探索者になりたかった。あの大神殿にある境界石よりさらに大きいものを、できることならこの世界のどこかにあるという妖精界に通じる門を、この手で見つけたかったのですが。残念なことに、妖精職人となってしまいました。しかし、しかしですね。私は装丁師なんですよ。恐らく、王国一の」


 私はそっと隣に座るトレイシーを盗み見る。トレイシーの顔からは、表情が抜け落ちていた。


「自分で言うのもなんなんですが、若い頃からそこそこ才能がありまして。おかげで、早い内から王宮図書館に出入りすることが出来ました。ええ、ええ、あそこは素晴らしいですよ。過去の妖精についての文献が、びっしり、と。もちろん、大神殿の書庫も見事なものでした。なにより、禁書庫の稀少な書物。己が装丁師であったことを、どれほど感謝したことでしょう」


 誰にでも優しくて、理知的で、その豊富な知識故に賢者の称号を持つキャメロン先生。攻略対象者じゃないのかと疑うほど、整った顔立ちで、モノクル越しのミントグリーンの瞳には、きっと私達には思いもつかない遠い未来のこととか世界の真理とかを見つめていると、そう思っていたのに。


「ただの、妖精フェチ」


 トレイシーの呟きに、思わず私は吹き出しそうになって慌てて下を向いた。やめて、一言一言が、攻撃力が高いんだから。


「残すはメルリウス公爵家の書庫なんですが、あそこは他家との交流を好みませんし。何度か前公爵夫人にお手紙を差し上げているのですが、返事もいただけず。妖精に近しい家系と言われていますからね、もしかしたら、妖精と会うことが出来るのではないかと。そもそも、妖精という存在ですがね」


「先生、先生。キャメロン先生」


 先生の言葉を遮るように、トレイシーが呼びかける。


「その、今まで妖精を見た人って、いないんですか?」


 今までの話を聞く限り、並々ならぬ努力をしてもキャメロン先生には妖精を見ることは出来ていないようだった。では、私達は。


 あの銀の光の球は、間違いなく妖精だった。

 命名式に見た、あの光景は。


「いえ。ごく希にですけれどね、妖精と親和性の高い人が存在していましてね」


 静かに、いつもと同じ優しい口調で、先生はそう告げた。


「そういう方には、見えるんだそうですよ。きらきらとした、優しい光に包まれた存在が。己の守護妖精と心を通わして、ときにはその声すら聞こえるんだそうです」


 そうして、先生はお茶に口を付ける。


「そんなことを楽しそうに、幸せそうに話すものだから。私は腹が立って腹が立って仕方がなくて、よくケンカになりました。この魔道具は、その人が私のために作ってくれたのですよ」


 目を細めて、懐かしむように水晶球をなでると、先生の魔力に反応したのか、ほのかに淡い緑の光を放った。


「この魔道具が、あんなにも強く光るのは、初めてで。お二人は、なにか気付いたことはありましたか」


 私達は顔を見合わせる。なんと言えばいいのか。

 正直に全てを話してしまうのは、なんとなくだが危険なような気がした。

 少なくとも私とトレイシーには妖精が見えていた。そして、命名式も。

 私達は、自分で選んだのだ。あの光に満ちた世界で、自分の守護妖精を。

 けれど、先生の言う命名式は、結晶に炎が灯るだけだったという。

 私とトレイシーの、大きな共通点は、転生者であるということ。


「あ、あの。私達、その、まだ妖精とは心を通わせることが出来なかったものですから、その、寝付けなくて、クリスと二人で、魔力を巡らす練習をしていたんです」


 胸の前で両手を組み合わせ、トレイシーは声を震わせながら、情感たっぷりに話し始めた。


「そうしましたら、突然、七色のあの光が降ってきて。驚いていますと、私もクリスも、胸の奥から暖かい魔力が」

「それは、素晴らしいっ。もしかしたら、二人同時に初めての妖精との対話に成功することで、妖精の力が発現しやすくなったのかもしれません。しかし、光が降るというのは、この学院でも希な現象です」


 なんだか、ぼろを出してしまいそうで、私は黙り込む。トレイシーの話のどこが琴線に触れたのか解らないが、先生のテンションは上がり始めていた。


「あの光が現れるということは、妖精にとって居心地のいい場所ということなのですよ。神殿が、いい例ですね。もしかしたら、お二人は妖精と親和性が高いのかもしれません。素晴らしい。素晴らしいですよ。お二人の作り上げる作品が楽しみです」


 お茶のおかわりはいかがですか、とついでに聞かれて、私とトレイシーは首を横に振った。


「よろしければ、お二人の作品製作に立ち会わせていただけませんか。妖精との対話の方法、その力の現れ方、魔力がどういった形で膨らみ、収束し、そして作品として具現化するのか。ぜひ、拝見させてください」


 ミントグリーンの目をキラキラさせて、前のめりになる先生の勢いに負けて、思わず頷いてしまう。それから慌てて、


「まずは、ちゃんと作れるかどうか、確認してからで」

「いえいえ。妖精と心を通わすことが出来たのですから、製作出来ないってことはありません。安心してください」


 全然安心出来ない。


 もし、私達の製作過程が、他の人と違っていたら。

 もし、妖精の姿を見たり、言葉を聞くことが出来ると、知られてしまったら。


 私達が前世の記憶を持っているということ、ここがゲームの世界で、それをプレイヤーとして楽しんでいたということ。

 妖精について人並み以上の情熱を持っていて、賢者と呼ばれるほど知識を持つキャメロン先生が、何らかのきっかけでそれに気付いてしまったりしたら。

 少なくとも、私にはごまかしきれない。


 また、同じところをぐるぐると回ってしまう。

 この世界は『フェアリーズ』と同じ世界観で、主人公も攻略対象者であるキャラクターも実在する。でも、それと同時に、ゲームではなかった設定、“カイザルの薔薇”や妖魔、なによりトレイシーを始めとした友人達も、存在している。


 本当に、ここはゲームの世界なのだろうか。


 私は、ゲームのヒロインで、攻略対象者と恋をして、妖精職人として生きていくんだろうか。

 物語はいつだって、めでたしめでたしで終わっている。少なくとも、前世で読んでいたであろう転生ものの小説なんかでは、主人公は幸せになって、そこで終わりになる。

 けれど現実には、私が今まで生きてきた人生と、これから生きていく未来がある。ここが『フェアリーズ』の世界であることを、『フェアリーズ』に関係のない誰かに話すことで、なにかが大きく変わることなんて、あるのだろうか。

 そして。最初の作品を造れば、そこからゲームは始まる。よくある、ゲームの強制力が、これから私達に干渉してこないとは断言できない。

 けれど、ここが『フェアリーズ』によく似た、異世界だったとしたら。偶然、世界観が酷似していて、同じ名前の人物がいただけなのだとしたら。

 そう、いつだって、『フェアリーズ』の世界だという決め手も、よく似た異世界に過ぎないという確信もなく、私はそこで思考の迷路にはまってしまうのだ。


 「先生、あの。私達、なんかいろいろあって、今日はもう疲れてしまって」


 トレイシーがおずおずとそう申し出ると、はっとしたキャメロン先生は、いつもの教師の顔に戻ると


「そうですね。大変申し訳ありませんでした。こんなに夜遅くまで、話し込んでしまって。また、この話は次の機会にでも。ゆっくり、お休みください」


 お茶のセットをトレイに乗せると、優しく微笑んで部屋から出て行ってしまう。扉が閉まる音がすると、私達は、それぞれにベッドに倒れ込んだ。

 なんかもう、いろいろありすぎて、頭がパンクしそう。


 「寝る。もう、無理。寝る」


 トレイシーのくぐもった声が聞こえた。


「うん、おやすみ」


 体力の限界だった。もぞもぞと、毛布を頭から被って、そのまま目を瞑る。

 かすかに、鈴の音が聞こえたような気がした。



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