27.
「クリス、起きてる」
トレイシーの問いかけに、私は生返事をする。
日が暮れて、運ばれてきた夕食を食べた私達は、隣合ったベッドにそれぞれ横になったものの、なんとなく寝付けずにいた。仕切りのカーテンを使わなかったため、横を向けばすぐにトレイシーの顔が見える。
「……ジャンル、変わったかと思ったわ」
そんな言葉とは裏腹に、トレイシーは笑っていなかった。前世では私より年上で、大人の女性という印象があった彼女だけど、いまはどこか弱々しく、年相応に見えた。
「うん」
私は、相槌を打つことしか出来なかった。
『フェアリーズ』は、乙女ゲームだけれど、ライバルも悪役令嬢も出てこない。攻略に失敗しても、職人として一人前になれなくても、普通の貴族令嬢として生きていくという終わり方で、よくある修道院行きや国外追放、ましてや命を落とすなんて結末はなかった。けれど、今日、私達は命の危険にさらされた。あとほんの少しアンドリューの到着が遅れていたら、メーレ卿や“鍵”の皆さんが駆けつけてくれなかったら、私かトレイシーのどちらかは死んでいたかもしれなかった。
「怖かったね」
「うん」
「助かって、良かったね」
「うん」
「爪、見せて」
私は起き上がって、ベッドに腰掛ける。今は制服ではなくて、医務室で渡された貫頭衣のような寝衣に着替えている。同じように、寝衣を着たトレイシーが体を起こして、差し出した私の手を取る。
「綺麗な手をしてるのに。爪、痛んじゃったじゃない」
「うん」
「ばかね。私のことなんて、放っておけば良かったのに」
「うん」
「あとで、爪、手入れしてあげる」
「……ありがとう」
「にしても、あんなのがいるんなら、ゲームで出しときなさいよって話よ。ビビるじゃないっ。本当、しっかりして欲しいわ、運営っ」
突然、トレイシーが大声で抗議し始める。そのテンションが、次第に上がっていく。
「チート能力があるわけでもなく、なにも予備知識なくこっちに放り込んどいて、サポートなしって、最悪じゃないっ。せめて、ヘルプぐらい用意しときなさいよっ、クソ運営」
「お、落ち着いて」
「なに言ってんのよ。こっちは、殺されかけたのよ。責任とってもらわなくちゃ」
「いや、これって運営にいうこと? っていうか、どうやって」
いくら乙女ゲームの世界だからって、ゲームの運営会社は関わっていないと思うんだけど。でも、あれ、この世界を作ったのがゲーム会社なら、関係あるのかな。
「そもそも、死の危険なんてなかったゲームでしょ。だからこっちは安心して、モブ人生満喫しようと思ったのに」
いやある意味充分満喫してると思うんだけど、という言葉は胸に秘めておく。もう既に夜の医務室にあるまじきボリュームの声になってるし。
「せめて、転生するときに、こっちの希望訊いてくれてもいいじゃないっ」
「希望って。訊かれたら、なんて答えるの」
「決まってるじゃない。平穏なモブ人生よっ」
そのトレイシーの台詞に、私達は同時に吹き出した。
結局変わってないじゃないとか、どんなチート能力が欲しいとか、ゲームで苦労した話とか。話は尽きなかった。
「伝説の逸品、あれは苦労したわ。レイノルドルートでしか出来ないのかどうか試したくて、一ヶ月ぐらいログインしたらクレイトン商会に通い詰め。素材を揃えるだけで、三ヶ月かかったわよ」
「それで、作れたの」
トレイシーは、当然といわんばかりに右拳を握りしめて見せた。
伝説の逸品とは、ゲーム内で作れる最上級品だ。素材の種類も数も多く、稀少な物もけっこうな数が必要だったことから、私ははなから製作を諦めていた。
素材収集のために、クレイトン商会を始めほぼ全部のお店を回らなくてはならず、完成したところでレイノルドの好感度がちょっと上がって、本来なら商会長である彼の父親に反対されるところ、すんなりと受け入れられるに変わる程度で、他の攻略対象者にはあまり影響がない。
苦労の割には成果がほぼない、ということでプレイヤーの中でも伝説の代物だった。しかも、クレイトン商会に通い詰める必要があり、そのせいで他の攻略対象者と会っている余裕がなくなることから、レイノルドルート以外では、製作は不可能と言われていたはず。
「……ガチ勢」
乙女ゲームとしてはどうかと思うが、作品作りを主として、恋愛要素すら製作のためという人達がいたことは、知っている。
「元々あの会社、そういうシミュレーション系のゲームを作っていたところよ。だから、作品製作の辺りが凝ってて。絵が綺麗だなぁって思って始めたけれど、がっつりハマっちゃったわ。でもねぇ」
トレイシーが、ため息をつく。
「その私が、私がよ。チュートリアルでつまずいてるって、どういうことよ。ゲームバランスどうなってるのよっ、運営」
「いや、運営関係なくない」
「じゃあ、どこに文句言えばいいのよ」
どこと言われても。私は散々迷ったあげく
「……妖精?」
この世界には神々がいて、その神々が私達をここに転生させたのだとしたら、文句を言うべき相手は神々で、その神々と人間の橋渡しをしているのが妖精なんだから、まずは妖精に訴えるべき、なのかなぁ。
「妖精、そうよね。妖精よね」
あれ、なんか納得された。
トレイシーは、ベッドの上に仁王立ちすると
「チュートリアルなんだから、少しは難易度考えろっ、妖精っ」
左手を腰に、右拳を空へと高く突き上げる。
瞬間。
鈴の音が、鳴り響いた。
きらきらと、七色に輝く光の粒子が、降り注ぐ。
銀色に輝く光の球が、螺旋を描くようにトレイシーの周囲を飛び回っている。
あれは、命名式の時に見た妖精だ。
一体どこから、突然に、どうして妖精が。訳がわからなくて、私はただ呆然と目の前の光景を眺めていた。トレイシーも、事態が飲み込めなくているのか、なにか言いたげに口を開いたものの、そのまま力が抜けたように、座り込んでしまった。
綺麗だ。
光の粒子は、そこに妖精がいる証。妖精に愛される妖精職人の学校であるここには、たくさん妖精がいるのだろう。けれど、今みたいにこの目で、その存在を見ることなんて一度もなかった。
医務室の石造りの天井を見上げても、光の粒がどこから降ってきているのか、解らなかった。けれど、それはとても綺麗で、この部屋自体が七色の光でデコレーションされているかのようだった。
前世のイルミネーションみたいだ。
ぼんやりと上を向いていた私は、いきなり強い力で襟元を捕まれて、トレイシーに引き寄せられる。
「クリス」
「なっ、なにっ」
トレイシーの目が怖すぎて、たじろいでしまう。
「妖精、呼んで」
「へ」
妖精を、呼ぶ。
「いいから、よびかけて。妖精さん来て、でも、助けて妖精、でもいいから、早くっ」
「えっ、なに、どういうこと」
「いいから、早くっ」
「……妖精さん、妖精さん」
「もっと大きな声でっ」
なんで、どうして。そんな疑問を口にすることすら許さない、問答無用の勢いと迫力だった。猫を脱ぎ捨てたトレイシーは、本気で怖い。逃げられないと感じた私は、もう半ば自暴自棄で、
「妖精さん、妖精さん、とにかく来てっ」
透き通るような澄んだ鈴の音が、耳元で鳴り響いた。
水の波紋のように、私を中心に鈴の音と七色の光が広がっていく。
ふわりと、私の前に現れたのは、優しい銀の光。それを両手で受け取ると、
〈…………た〉
胸の奥に、ゆっくりと流れ込んでくる暖かい力と感情。これは、夜空の妖精の魔力と想いだ。
〈ずっ……と待って……いた……よ〉
途切れ途切れではあるけれど、はっきりと夜空の妖精の気持ちが伝わってくる。
会いたかったという、そんな切ない思い。
もしかしたら、これが妖精と対話をするということなのだろうか。私の手の中の銀の輝きは、まるで心臓の鼓動のように、光の強弱を繰り返している。
正面には、なにか言いたげに微笑むトレイシーの顔があった。
トレイシーもこの感覚を味わったのだろうか。それで、私にも、妖精を呼べ、と。
今なら、作れるような気がする。初めての作品を。
暖かいそんな空気に包まれて、心地よい気分に満たされていたときだった。
「ここに妖精がいますねっ!!」
勢いよく開け放たれた扉から飛び込んで来たキャメロン先生の大声に、光の粒子が、一瞬にして消え失せた。
ベッドに腰掛けていた私達二人は、その場に崩れ落ちるキャメロン先生を、なんともいえない気分で見つめることしかできなかった。




