第七十三話 魔女の手がかり
その日の夜は、いつも以上に冷たい風が吹いていた。
雲に隠れた月は普段ならうっすらと淡い光を照らしてくれるものだが、今夜ばかりはその大きな存在すらも消えてしまっている。雪景色も分からないほど世界は暗く、あまりに静かだった。
巫女の塔。
響里たち聖傑組と月村、トーチにデルウィングはアキメネスの部屋に集まっていた。
元々状態が良くなかったアキメネスが無理をしたため、まずは彼女を休ませることにしたのだ。ベッドに横になりながら、か細い呼吸を繰り返すアキメネス。そんな弱々しい少女を見つめつつ、トーチが口を開く。
「初見でただならねぇ嬢ちゃんとは思ったが、まさか前任の巫女様とは。聞かされたときは理解できなかったんだが――」
窓辺に背を預けながら、眉間に指を当てるトーチ。
「まさか俺たちの知らないところでそんなことが起きてたとはねぇ……」
「多分、私が異変に気付いて行かなかったら永遠に儀式の真実を知ることはなかった。儀式の最中は誰もあの神聖な間に入ってはならない、ってしきたりがあったみたいなので」
巫女だけが入室を許される部屋に、月村の沈んだ声が響く。
調度品は最低限、生活感の薄い空間は巫女という役職は孤独だと教えてくれるようだった。
「ですが、この国の人たちに動揺を与えるのは避けたかったんです。隠していてすみません」
「いや、月村の嬢ちゃんの判断は正解だろ。んなの、ぶっちゃけてみろ。国中大パニックなのは目に見えてる」
月村が語った衝撃の事実。
巫女は術式によって命を落とすのではなく、グリームニルという謎の魔女に殺されていた。世界にとっての美しい犠牲はまやかしてあり、その裏側にあったのは大いなる脅威。巫女がどれだけ次世代に託しても、いつも無慈悲な結末を迎えてしまう悲劇の歴史だったのだ。
魔女の存在を公にするわけにはいかない。ルーンガルドの民は巫女を心の拠り所としているのだから。
巫女に出会い、接してきたからこそ痛感した月村は、アキメネスを守るため、人々を守るためにお披露目式に身代わりとして出る決断をしたのだ。
「私のやることが例え時間稼ぎだったとしても、そうするしかなかったんです」
それでも民を騙していることに罪悪感を感じているのだろう。月村は、力無く頭を振った。
「綾音……」
なんと声をかけたらいいのか。陽ノ下も、アキメネスに寄り添う月村の丸まった背中を見つめるだけ。
「だけど、まさか里が襲われるなんて……」
項垂れる月村。スカートをぎゅっと握りしめる。
「……トーチさん。これって……」
世界の真実について多少は驚いたが、現地民とは違って動揺の少ない響里は頭を整理しつつ、隣のベテラン冒険者に話しかける。
「ん? まあ、お前の想像してる通りだろうよ」
ぶっきらぼうに答えて、トーチは頭を掻く。響里は、なるべく眠っているアキメネスや月村を刺激しないよう声を潜めた。
「グリームニルの存在が周知された直後のザインによる祈り子の里襲撃……。狙いはアキメネスさんだったってことですよね」
「タイミングが……な。繋がってると考えるのが妥当だよな」
祈り子の里は魔物の襲撃でほぼ壊滅状態となった。重傷者多数、死者も数名。これだけ甚大な被害が出てしまっては今後の機能すら果たせない。
今も故人への弔いは続いている。
これまで魔物と争ったことのない里の人々は悄然としながら治療にあたっている。
当然、響里たちも救助活動を手伝い、落ち着いた頃には既に陽は落ちていたのだった。
「なあ、デルウィング。ザインってのは結局なんなんだ? 魔物って括りで間違ってないんだよな?」
部屋の隅で屈み込むデルウィングに視線が集まる。彼もまた疲労の色が濃く、槍に寄りかかりながらゆっくりと立ち上がった。
「そうですね。明確な違いとしては、一般的な魔物は縄張り意識がある。自分たちの生活圏を脅かす者には襲いかかってきますが、基本的には温厚な性質です」
デルウィングは「けれど」と顔をこわばらせた。拳に力が入ったのか、ミシリ、と槍が軋む。
「ですが、ザインは人間に敵意を持っている。怨恨のような、強い憎しみで満ちているようなんです。僕たち“白廟の守護者”はそいつらがコルヘイムから出ないよう戦っている」
「……でもよ? アイツ等……ってほら、何つーんだっけ。どこからともなく急に現れんだろ?」
「次元の壁……ですか」
「そう、それ。あんなもん対処のしようがないだろ? 普段どうしてんだよ?」
「その為に、アルマたちがいるんですよ」
デルウィングは再び屈み、床に伏せて大人しくしているオオカミの頭を撫でた。
「白廟の守護者にいる戦士は皆、それぞれお供を連れていく規則なんです。この子たちは感知能力に優れていまして。魔物の匂いを敏感に感じ取ることができるんです」
「へ~、随分勇敢だと思ってたが、ただのオオカミじゃないってことか」
「ええ。この子たちも魔力も宿していますし、特殊な訓練を受けている。頼れる相棒ですよ」
デルウィングの言葉を理解しているのか、まんざらでもなさそうな様子で尻尾を振るアルマ。デルウィングも穏やかに微笑む。
「……ですが、今回襲ってきたザインは普段のものとは違います。白廟の守護者の警戒網を抜ける賢さ。それも魔女の指揮系統にあるとすれば合点はいきます」
と、神妙に語るデルウィング。そこへ、陽ノ下がこっそり近寄っていく。
「ねぇねぇ、デル君。ちょっとお願いがあるんだけどさ」
「あ、はい?」
「ちょっとさ、触らせてもらっていいかな? 最初見たときから可愛いワンチャンだと思っててさ」
と、デルウィングの返答も待たず、陽ノ下がアルマの鼻先に手を伸ばそうとする。が、アルマは「キャン」とまるで子犬のような情けない声でデルウィングの後ろに素早く隠れてしまった。
「……あ、ありゃ?」
「ご、ごめんなさい。この子も僕に似て臆病な性格でして。警戒心が強いんですよ」
魔物に立ち向かった勇敢さはどこへやら。ブルブルと美しい毛並みを逆立て震えるアルマ。デルウィングはアルマの背中を撫でながら、申し訳なさそうに苦笑する。
「お前が鼻の穴おっぴろげて近づくからだ。魔物よりおっそろしい顔だったんじゃね?」
「違わい! そんな顔なんてしとらんわ!」
呆れる芝原に鬼の形相で振り返る陽ノ下。その光景を見て、月村から笑みがこぼれた。
懐かしさを感じているのか――と響里は感じていた。そっと月村は椅子から立ち上がると、アルマの傍に寄る。
「ごめんね。知らない人たちばっかりで居心地悪いんだよね。でも、大丈夫。怖くないよ」
優しく声をかけ、そっと手を差し出す月村。
デルウィングの脚から顔をのぞかせていたアルマは、最初こそ怯えていたものの月村の指先の匂いを少し嗅ぐと、彼女に身を委ねるように顔を摺り寄せた。
「アルマが僕以外に懐くなんて……」
一瞬にしてお腹まで見せて月村に心を許すアルマに、デルウィングは驚愕。よほど珍しいのか、今度は彼が困惑してしまう。
「同僚にもそんなことしたことないんですよ」
月村が楽しそうにアルマを撫で回すのを見て、陽ノ下は懐かしそうに目を細めた。
「それが綾音なんだよ。昔から何故か動物には好かれてたからね。きっと、いい匂いがするんだよ」
「……って、おい。それ」
「……うん。自分で言っときながら……ショックです」
芝原のツッコミに同意するかのように、クンクンと自分の服を嗅ぐ陽ノ下。そして、激しく肩を落とす。
「アタシって臭いのか……?」
室内を満たしていた重苦しい空気が、少しだけ和む。陽ノ下は意図しないところだろうが、彼女のこういった天真爛漫さが殺伐とした異界には必要不可欠なのだと痛感する。
「……私からもいいかな?」
と、かすれたような声で言ったのはアキメネスだった。目が覚めたらしく、上半身を起こそうとする。
「アキメネス!」
弾かれたように振り返った月村は、すぐさま彼女に駆け寄る。身体が痛むのか、苦しげに呻く少女の背中を支える。
「……次元の壁で思い出したの。僅かではあるんだけど、ザインって魔物とグリームニルが残した魔力……。どっちも同じ気がした」
「本当か、嬢ちゃん」
言いながらトーチは思わず「しまった」と口を手で押さえた。巫女に対する無礼だと思ったらしい。ただ、アキメネスは気にしてないようで言葉を続ける。
「魔素っていうんだけどね。これって指紋と同じで唯一無二なの」
アキメネス曰く、魔法は体内を巡る魔素を練り上げることで発動されるものだという。魔力というのは一般的な定義らしく、魔法を扱う人間を強さの評価基準なだけらしい。
「エネルギーの器は人それぞれで生まれながらにして決まってるからランク付けが容易かもしれないけど、そもそもの魔素自体、個別に判別できるほど無限なの。氷を生みだす人が多いけど、魔法使いならその魔素で誰かを識別できるものなの。だから――」
負担になったのか、激しく咳き込むアキメネス。慌ててテーブルの上にあったコップを取り、水を飲ませながら月村が答える。
「私も同一存在のような気がします。魔女グリームニルも次元の壁を破ってあの儀式の間に現れましたから」
「……となると、ますますコルヘイム地方が怪しいってことになるよな」
腕を組みながら顎を撫でるトーチ。
「グリームニルがその辺りを根城にしているかもしれない……と」
響里の言葉に、トーチは唸った。曖昧な反応なのは彼自身、コルヘイムという土地を知らないからなのかもしれない。冒険者にとって未知というのは死と同義でしかない。
「――でしたら、白廟の守護者のアジトに直接赴かれてはどうでしょう」
階段を昇る足音と共に入ってきたのはグラネだった。ようやく事後処理が終わったのだろう。そのまま来たらしく、ローブに付着した乾いた血があの現場の凄惨さを思い起こさせる。
「遅くなりました」
「グラネ……ごめんね。全部任せてしまって」
弱々しく声を落とすアキメネスに、グラネは疲れた様子も見せず毅然と言った。
「アキメネス様が謝ることではありません。あなたの今の仕事は休むことですよ」
月村から促され、グラネは礼を言いながら椅子に腰掛ける。
「グラネさん、さっき言ってたのはどういう意味だ?」
彼女に気を遣ってか、躊躇いがちにトーチが訊く。
「白廟とは、巫女の書庫だからです」
「巫女の……書庫?」
復唱するトーチは目を数回、瞬かせた。グラネは深く頷く。
「始祖の巫女はあの場所で生まれたのです。コルヘイム出身だった巫女は灼熱の太陽から人々をどう守るか考えた末に、結界を張ることを思いついた。それが歴史の始まりなのです」
静まり返る室内。グラネは立ち上がって窓の方へ移る。外の景色に視線を向ける。そう、祈り子の里の辺りを。
「結界を張るには地理的に大陸の中央がいいということで、今のこの場所に移ってきた。コルヘイムは、生活をするのにもかなり厳しい地域というのもありますしね。旅には白廟の守護者のメンバーが数名、護衛として同行。それが我々の先祖でもあるのです」
「それが祈り子の里の起源ってか。じゃあ白廟の守護者と祈り子の里の侍女さんたちは、親戚みてぇなもんか」
「ええ。長い時間でその繋がりは失われましたけど」
「し、知りませんでした……」
もっとも驚いた反応をしたのはデルウィングだった。あんぐりと口を開ける彼を半眼で睨むグラネは、嘆くように息を吐いた。
「僕は下っ端も下っ端なので……」
と、デルウィングは苦笑を浮かべて視線を逸らす。
「確かに魔物を駆逐する組織ではありますが、本来の役目は巫女に関する記録を保持、保管することなのです。歴代の巫女に関する情報が収められている――と、私も先輩から教えてもらっただけで確かめたことはないのですけれど」
「でも、どうやって記録を? 話を聞く限り、かなり離れた場所なんですよね?」
「それは……さすがに」
月村が食いつくようにグラネに問うが、彼女も困惑したように首を振る。
「巫女の交代にしたってグリームニルが秘密裏にやっていた。巫女の情報を把握していたならグリームニルの存在に気が付かなきゃおかしいじゃないですか」
月村のもっともな指摘。全員の注目がデルウィングに再度集まりかけるも、彼もまた分からないといった様子で黙り込む。
「ともかく行ってみるしかないよ」
と、アキメネス。声の張りが戻っているが、強がりは隠せていない。
「まさか、行く気ですか!? アキメネス様!」
「うん、もちろん」
むしろそんな選択肢はないとばかりに断言するアキメネスに、グラネはベッドに突っ込まんばかりの勢いで彼女に近寄る。
「私は反対です!」
「だって、グラネが今ここを離れるわけにはいかないでしょう? 私が解決すべき問題でもあるし」
「あなたこそ安静にしていないと。それに巫女がここを離れてどうするんです!?」
「残念。私はもう巫女じゃないから」
「そんな屁理屈……!」
グラネが肩を震わせる中、アキメネスは身をよじらせ、窓辺にいる大柄な冒険者に笑みを向ける。
「トーチさん」
「お、おう?」
「トーチさんはここの警護をお願いできるかな。私が不在ならもうここが狙われることはないと思うけど、何かあったらいけないから」
「そりゃ構わねぇが……」
トーチも、どうしていいやらアキメネスとグラネを交互に見やっている。とはいえ、アキメネスの判断も最適解。グラネの背中から立ち上る怒りに顔を引き攣らせながら了承する。
「アキメネス様!」
グラネの絶叫もアキメネスはどこ吹く風だ。卒倒しそうな勢いのグラネの両肩を、月村は気の毒そうにそっと手を置く。
――大人しそうに見えて、図太い神経をしている。
そんな感想を抱いていた響里と、アキメネスの視線が合う。
「見てたよ。きみたち凄い力を持ってるね。だから一緒に来てくれるかな? グリームニルに対抗するにはその力が必要なんだ」
「……あ、え、は、はい。もちろんです」
絶対に年下のはずなのに、なぜか敬語になってしまう響里。畏敬の念というやつだろうか。本能的に逆らえないと感じてしまう。
そして、改めてグラネの方に向き直ったアキメネスは、真剣な顔つきで言った。
「グラネ。私は許せないんだよ。里の皆は家族同然。それなのに、私のせいであんなことされてのうのうと休んでなんかいられない。グリームニルは私の手でどうにかしないといけないの」
「アキメネス様……」
静かな怒りを滲ませる彼女に、それ以上グラネは何も言えなかった。責任を一番に感じているのはアキメネス本人であり、グラネも唇を噛み締めるしかない。
説得を諦めたグラネに、アキメネスは「ありがとう」と囁く。
「そういうわけで道中よろしくね。デルウィング」
「え、ええ……」
「ん? どうかした?」
気乗りしない様子のデルウィング。唇を噛み締めているのは葛藤なのか。
やがて、長い時間をかけて頭を強く振る彼は、観念したように言った。
「いえ、分かりました。案内します」




