第七十二話 集結する者たち
肉体を伴った黒くべっとりとした巨大な影。
その魔物が足を踏み出す――ほんの一歩が大地を揺るがし、地割れを呼び起こす。
さながら厄災の類。
デルウィングが呼んだザインという魔物は、どちらかといえば細身で、全身鋭利な刃物のようなシルエット。
だが、こちらはどうだ。
異常なまでに膨らんだ筋肉の鎧。人間とは違い、生身の質感はない。だが、構成物質があの黒い霧だとしても、あまりに濃い密度のせいで生々しい光を帯びていた。
「な……」
誰もが圧倒されて、言葉も出ない。唯一、ほとんどわめくように叫んだのは芝原だった。
「なんなんだよ、アレはぁぁああああああ!?」
「気を付けてください、ヤツは何かが違う!」
歯噛みするデルウィング。その背後で、頭を抱えながら芝原が半ば八つ当たり気味に発狂する。
「んなの、見りゃわかるっての! 全部じゃん! 規格から姿から全部まるごと、ごっそり段違いじゃん!」
無意識に、響里は後退りしていた。
周囲に視線だけ這わせてみれば、他のザインたちは動きを止めてしまっている。それこそ置物のように。こちらをじっと見つめ、ときおり聞き取れないほどの唸り声を上げている。
「デルウィングさん、コイツは……」
立場を弁えている、とでも言えばいいのか。
残虐性の塊でしかない魔物が、怪物クラスの大物が現れた途端に鳴りを潜めた。自分たちが小者であると自覚しているように、上位種の脇に控えて様子を窺っている。
「そのようですね。ですが、僕も初めて見ます」
槍を低く構えながら、ゴクリと喉を鳴らすデルウィング。
「ザインというのは、人間を喰らうことだけを目的としています。本能と言っていい。ゆえに、統率なんかあってないようなものなんですよ。本来、思考なんてないんですから」
そう断言するデルウィングの眉間に、深い皺が刻まれる。
「なのに、ヤツらは理屈として理解しているようです。アレは王だと。認めている」
「要はボスってことですか……」
「確認するまでもないでしょう。ですが、さっきも言った通り僕も初めて見るんです。長い歴史を持つ“白廟の守護者”のこれまでの記録のどこにもそんなものは記されていなかった」
「ってことは、誰かの差し金ってことになんのかね」
大剣を肩に担ぎ、トーチは乾いた笑いを浮かべる。
「かもしれません。僕もこれまでザインは野生生物のようなものだと思っていました。ですが、あの巨大なザインを見る限りそうじゃない。誰かが産み落としている……のかもしれません」
「……とにかく、倒しましょう」
声音を落とし、響里が太刀を構える。
腰を落とし――瞳を閉じて呼吸を整える。
薄く立ち上る蒸気。金色の光が螺旋を描き、響里が目を見開いた瞬間に白色へと変化。聖傑の力を解放したことで、間欠泉のように光が溢れ出す。
体勢をさらに沈み込ませて、響里は勢いよく地面を蹴った。風をも置き去りにして。
その隣には陽ノ下もいた。
彼女も響里が攻撃を仕掛けるタイミングに合わせ、駆け出したらしい。
陽ノ下の聖傑“ダリア”もまた、高い敏捷性を持つ。その点に限っていえば、響里の“源咲夜”よりも速度は上だろう。
二人は地を這うように、巨大なザインへ真正面から立ち向かう。
肉薄してみれば、あまりに高く分厚い壁。巨大なザインは天を衝く咆哮を上げた。掲げた戦斧を、二人のいる足元に振り下ろす。
「――ッ!? 陽ノ下さん、避けて!」
左右に飛び退いた二人の隙間を、武骨な物体が滑り落ちる。手入れなど微塵もされていない刃が大地を粉砕する。
純粋な腕力。抉れた地面の破片が撒き散らされる。
だが、問題なのはそれだけではない。
黒い雷のような衝撃波が、巻き起こった。ザインが持つ魔力なのか。爆風で拡散され、周辺の倒れている人々をさらい、さらには侍女たちの住む家まで倒壊してしまう。
「が、あああ!」
「きゃあああああああ!」
当然、間近にいた響里と陽ノ下も例外ではない。迸った雷が鋭利な刃物のように肩や太ももを刺す。さらには余波で軽々と数メートルは吹き飛んでいった。
「坊主ども!」
舌打ちをしたトーチが突っ込む。いかにも荒々しい瘴気が巨大なザインを守るように渦巻いている。
「気を付けてください! ザインが持つ魔力は人間の身体には毒です。“常なる腐朽”といって、一度傷を負えば皮膚が溶けて治るのも時間がかかる。なるべく触れないようにしてください!」
追従してきたデルウィングが、切迫した声でトーチに叫ぶ。
「そういうのは最初に言ってほしいもんだぜ!」
「すみません! 雑魚程度ならどうとでもなるんですが、アイツの魔力は異常です。浴びれば、ものの五分と持たないでしょう」
「ってオイ! 坊主どもは大丈夫か!?」
「グラネさんが治療に向かってます。かすり傷程度でしたし、祈り子の里の人たちに任せれば大丈夫でしょう――来ますよ!」
気が逸れていたトーチは反射的に、顔を前方に戻した。
眼前に迫る戦斧。ザインが腰を回しながら、斧を横薙ぎに振り回してきたのだ。
「んなろぉぉぉおおおおおおおおお!」
甲高い衝突音。
トーチが大剣で戦斧を受け止める。
「ぬ、ぐぉぉおおおおおおおおお!」
勢いを殺す。歯を食いしばったトーチの腕がさらに膨れ上がる。
力は互角。
対して、巨大なザインは憤慨したような咆哮を上げた。さながら闘牛のように。ザインの王として絶対の自信でもあったか、それとも人間に対する憎しみが増幅されたか。ともかく、力任せにトーチを寸断しようと戦斧を押し込んでいく。
そこに、音もなく飛び込む影があった。
「悪鬼を喰らわば毒を以て滅せよ――“破邪討雷”!」
跳躍したデルウィングに、黒い稲妻が噴出。槍の穂先に集中させる。
それは、ザインの体内で構築される魔力と同様のものだ。
“白廟の守護者”はザインという悪魔を徹底的に屠るため、この凶悪な悪魔を分析、解体。どうすれば完全に消滅させられるか研究し続けた。
その答えこそ――毒を以て毒を制す。呪われた力を自らの血に注入し、どれだけ身体を蝕まれようともより強い腐朽の魔力でザインを内部から崩壊させるという、諸刃の剣を考案したのだ。
鋭い突きが、巨大なザインの胸元の胸元を捉える。槍の帯びた魔力が溢れ返り、火花を散らす。
「グルゥゥオオオオオオオ!」
さしものザインも苦悶の雄たけびを上げた。効果は絶大。しかし、巨大なザインは怯まない。耐久力も段違いなのか、反撃を仕掛けてくる。斧を持っていない左腕がデルウィングの腹部にめり込む。
「ぐッ!」
軽々と宙を舞うデルウィング。さらには、巨大なザインが重い蹴りをトーチに放つ。盾になるだけで精一杯だったトーチにかわすだけの余裕はなく、直撃。何トンものの衝撃に、あっけなく吹き飛ばされる。
「くそッ!」
響里の視界に入ったのは、膝をつきながらもデルウィングに追撃を行おうとする巨大なザインの姿。グラネの治癒魔法もまだ完了していないというのに、よろよろと立ち上がる。痛みを無理やり誤魔化そうと聖傑の力を振り絞る。
「おい、響里!」
「芝原くん、フォローお願い!」
「だああ、マジかよ!」
駆け出した響里に、芝原は頭を乱暴に掻く。これまで巨大なザインに臆していた芝原だが、四の五の言っていられないとばかりに銃を構え、やけくそ気味に放つ。
唸りを上げた風の弾丸は頭部に直撃。疾風が魔物の実態のない顔面を容赦なく切り刻む。
芝原は弱気だったようだが、確実に対象には通用した。よろけたその巨体。響里が生まれたその隙に攻撃を仕掛ける。
白く輝く燐光が刀身に宿る。渦を巻き、この異界において異質な聖傑の力を増幅させる。
跳躍。響里が渾身の一閃を放つ。
一刀両断――かと思われた。
しかし。
感触がない。巨大なザインが忽然と消えた。代わりに、視界を埋め尽くすほどの黒い霧が生まれていた。
そしておびただしいほどの黒い粒子は虫の大群のように蠢きまわり、響里の背後へ。密集し、巨大なザインとなって再び姿を現す。
「――!?」
絶望。予想だにしていない移動方法。無防備な背中。
戦斧が鈍い光を放つ。
そのときだった。
何かが魔物を貫いた。凍てつくような冷気。一直線に、魔物の腹部を貫通したのは、まさしく絶対零度のレーザービームだった。
着地した響里は、開いた腹から発生源を見る。
撃ったのはグラネか。
いや、違う。彼女には申し訳ないが、威力が桁違いだ。
いうなれば純度。この世界の魔法がどんなものか理解できているわけではないが、聖傑である自分との物差しで測ってみても次元が違う高出力。
崩れ落ちる巨大なザイン。大きな壁に押し潰されそうになった響里は慌てて横っ飛びしてその場から離れた。
盛大な音を立てて倒れた巨大なザインに粉雪が舞う。響里はすぐさま太刀を構え直し様子を窺ってみたが、動く気配はない。警戒はしつつも、肩の力を抜くようにゆっくりと息を吐く。
「終わった……のか……?」
響里の疑問に答えるかのように、その他のザインたちが一斉に奇声を発し始めた。そもそも感情など無いと思われたが、動揺した素振りはやはりボスだと崇めていた者が倒された影響か。慄き、わめき、果ては次元の壁を生みだし、その中に逃げ帰っていく。
しんと静まり返る祈り子の里。
壊滅してしまった里の惨状に、守れなかったという悔しさが響里にこみあげてくる。怪我人がとにかく多い。中には死者も出ているのかもしれない。それだけで自身が不甲斐なく、曇に包まれた空を仰ぐ。
「アキメネス様!」
その声はグラネだった。彼女は里の入り口に立つ少女に駆け寄っていくところだった。響里たちよりも年下のような幼げな顔立ち。薄氷のように儚げで、どこか浮世離れしているように思えた。
巨大なザインを倒したのは、まさかあの少女なのか。
踊り子のように布を重ねたドレスを身にまとっているが、線はかなり細い。戦闘をするような気丈さはとてもじゃないが、見受けられない。
「アキメネス様! 無茶ですよ、そんなお身体で……」
「大丈夫……。グラネってば大袈裟だから……」
アキメネスと呼ばれた少女はふらつきながら、グラネに身体を預けた。魔法を使った影響だろうか。かなり消耗しているのか、息遣いも荒く、誰かに支えてもらわなければ立っているのも困難なようだ。
ただ、次の瞬間。響里は思わず息を呑んだ。
アキメネスに寄り添うようにして、もう一人。眼鏡をかけた少女がそこに立っていた。
その学生服は響里の通う私立明霊山高校のもの。スカート丈は規定そのもので、まるで模範的な生徒を体現しているかのよう。大きな眼鏡は少々野暮ったいが、怜悧な瞳にはむやみに人を寄せ付けない強い輝きが灯っていた。
「綾音!」
誰よりも早く、万感の想いを込めてそう叫んだのは陽ノ下だった。
こちらを見ながら呆然と立ち尽くしていた彼女は、ビクッと肩を震わせる。
「え……」
我に返ったかのように瞳を瞬かせる月村。
「月村さん!」
「ああ、やっと会えたぜ……」
真っ先に駆け寄る親友と、ゆっくり近づいてくるクラスメイト二人。月村にとっては現世にいるはずの彼らが、どうして自分の世界にいるのか理解できず、思わず後ずさりしてしまう。
「みんな、どうして……」
どういった表情をしたらいいのか。複雑な感情が入り混じった、そんな顔を浮かべて同級生たちを見て、声を震わせる。
「綾音!」
陽ノ下が涙を浮かべて月村の肩を強く掴む。
「アンタって子は……! やっと見つけた!」
「み、澪……」
「ほんっとアタシがどんだけ心配したか……!」
「アタシ等、だ。アタシ等」
と、芝原が苦笑を浮かべる。
「ずっと探してたんだよ。ね、ほら。どこも怪我とかしてない?」
「う、うん……」
まるでお世話係のように月村の周囲をぐるぐる回る陽ノ下に、月村はますます困惑してしまう。ひとしきりチェックしたところで満足したのか、陽ノ下は安堵の息を吐いた。
「よかった~。綾音のキレイな顔も傷一つ付いてないね。ここ寒いし、病気とかしてないかと心配したけど、なんともなさそうだね」
「う、うん」
「お前はオカンかよ」
陽ノ下の過保護っぷりに辟易する芝原がそうツッコミを入れるも、彼女は鮮やかにスルー。
陽ノ下は月村のこととなるとやや暴走しがちだが、それも小学生時代からの関係値あってこそだ。
自身の秘密を打ち明けるほど信頼し、大切な親友だと信じている。それは月村も同じ。積み重ねた長い年月が絆を育み、強い繋がりが構築される。その点は、響里も羨ましく思う。
「ちょ、ちょっと待って。三人とも、なんでここにいるの?」
「なんでって、アンタがアイツに攫われて心配だから追ってきたに決まってんじゃん!」
「アイツ……?」
「紫堂尚嗣だよ」
響里が月村をじっと見据える。月村は記憶を探るように顔を顰めた。
月村がこの異界を創造して、どれだけの時間を過ごしてきたかは定かではない。響里たちがすぐに後を追ってきたとはいえ、月村は長期間生活していた可能性もある。となれば、記憶も定かではないだろう。
神として。天権として。奥に隠された本性が助長される世界で、人間性がガラリと変わってしまうケースを見てきただけにかなり不安だったが、月村はすぐに思い出したらしい。
「ああ、あの人……」
呆けたように小刻みに頷く。
「そう。あの男が月村さんにこの世界を与えたんだ。その時のこと、何か覚えてる?」
「えっと……」
瞬間、月村の顔がさらに険しくなる。頭痛でもするのか、こめかみを押さえて微かな呻き声を上げた。
「分かんない……。眠らされて、それから……。思い出せそうなんだけど」
「ちょっと待った、響里くん。話を聞くのは後にしようよ」
陽ノ下は諫めるように言って、月村の腕を取った。
「まずは私たちの世界に返ってからにしようよ。帰ってからさ、ゆっくり情報を整理すればいいじゃない。深雪っちにも協力してもらってさ。それで、あんの馬鹿野郎をぶん殴りに行けばいいわけだし」
「やる気満々だな、おめー」
「トーゼンっしょ! あの人をなめ腐ったようなヤツは一発じゃ物足りない。メチャクチャのギッタンギッタンにしてやらなくちゃ!」
憤然とまくし立てる陽ノ下に、芝原は乾いた笑みを浮かべる。
「さ、とっととこんな場所から早くオサラバしようよ。あ、でもどうすればいいんだっけ? 綾音は創造者なわけだし……」
「陽ノ下さん、それは……」
響里は答えに窮した。月村本人が望めば扉を生みだして、元の世界に帰ることは容易いのかもしれない。ただ、それが叶うかどうか。経緯はどうあれ、陽ノ下が言うように月村は創造者だ。見たところ他の天権とは違い、理性は保たれているようだが果たして。
響里は月村の方にまた視線を向けてみた。
すると、月村は掴まれた腕をそっと振りほどく。
「綾音……?」
「澪……、ごめん。私は……」
そのときだった。
大きな影が、その場にいる全員を覆った。
「――!?」
振り返るまでもない、その圧力。
背筋を突き刺す、痺れるような痛み。粘り気のある鱗粉がべっとりと張り付く嫌な感覚。黒き闇が自分たちを呑みこもうとしている。
巨大なザインは死んでなどいなかった。
腹に穴が開いた状態で立ち上がり、斧を振り上げている。
緊張感が一度抜けたために、すぐさま戦闘態勢に移行することもできない。
一瞬の油断。
不意打ちを食らうには十分な時間だ。
「――くッ!」
アキメネスだけが唯一反応した。魔力を練り込み、両手に冷気の球体を生みだす。
――しかし。
普段は美しいのであろう彼女の声は呻きとなって吐き出される。ガクリと膝が落ち、グラネが支える。
戦斧が振り下ろされる。対象は特にない。腐朽を込めた力でまとめて叩き潰す。それだけだ。
――やられる。
誰もがそう覚悟した。
瞬間。美しい燐光がどこからか溢れだした。
それは、柔らかな魔力。けれども確かな濃密さが含まれていた。
発生源は月村。
無自覚だったのか無意識だったのかは定かではない。彼女は全身に魔力を纏い、しなやかな動きで腕を前に突き出す。アキメネスと同じ、氷結の魔法が顕現。吹きすさぶような嵐が巨大なザインの身体を切り刻み、いともあっさりと消滅させる。
暴風の後に残されたのは降りしきる雪の結晶。里に舞い散り、今度こそ勝利の余韻を教えてくれた。
「綾……音……」
唖然する陽ノ下。どこか申し訳なさそうに月村は顔をそむけた。
「それが天権の権能……なのか……」
響里は神妙な面持ちで呟く。
「みんなは知ってるんだね。私やこの世界のこと」
どこか距離を感じるような、突き放した口調。月村は真剣な顔で問う。
「……詳しい事情を教えてくれるかな?」
「お互いにね。ようやくゆっくり話せそうだ」
途方に暮れるように、響里は首筋を撫でた。




