第七十四話 演じる覚悟
同日深夜。
響里たちは巫女の塔の一階部分で寝泊まりさせてもらうことになった。
デルウィングによると、白廟の守護者のアジトは大陸の北端に位置しており、徒歩なら丸一日かかるという。途中に小さな村は幾つかあるらしいのだが、今回の一件を考えるとのんびり旅気分を味わっている場合でもないだろう。アキメネスの力が目当てである以上、魔女グリームニルは次にどのような策に打って出るか。下手に寄り道すれば別の犠牲も出かねないのだ。
長い旅路。
体力を回復させるためには、まずはぐっすり眠ること。トーチやデルウィングは既に毛布に包まり、寝息を立てている。
彼らを起こさぬよう、響里たち学生四人は壁際で輪になって互いの顔を突き合わせていた。
「にしても、不思議だよな~」
声を潜めて、芝原は塔の内部をキョロキョロ見渡している。内壁には幾何学的な紋様が彫ってあり、彼は興味津々に触っている。
「何がさ?」
陽ノ下は落ち着かないのか、体育座りをして身体を前後に揺する。
「ここってさ、暖房設備とか何もないじゃん? でも全然寒くないし、むしろ暖かいっていうか」
言いながら、芝原は人目を気にせず大きな欠伸をかます。
「ちょうどいい室温で睡魔がスゲーのよ」
「どんな仕組みなんだろうね」
つられて響里も欠伸を噛み殺しながら、硬質な壁にもたれかかった。大理石の床もひんやりとしているかと思いきや、熱線でも通っているかのような温もりを感じる。
「私も後で知ったんだけど、建物自体に特殊な加工が施してあるみたいなの」
月村は笑みを漏らす。
「魔石が材質に埋め込まれてるらしくてね。魔法を流し込むことで半永久的に効果が持続されるみたい」
「でないとさすがに巫女様でも寒いもんね」
陽ノ下も納得したかのように頷いている。
「アキメネスさんは大丈夫なのかな? かなり無理してるみたいだけど」
「グラネさんが付き添ってくれてるからね」
と、月村が姿勢を崩す。
「それに魔法を扱う人は、そこに対する抵抗力も元々あるみたいだから。それでも心配だけど……明日良くなるのを願うしかないかな」
「なんか……ちょっとでも触れたら壊れそうなくらい、か弱そうだけど」
「でも凄いよ、あの子は。精神的に本当に強い」
眼鏡の奥の瞳が微かに揺れる月村。少しだけ顎を持ち上げ、渦を巻く螺旋階段の先に尊敬をたたえるかのように、じっと見つめる。
「にしても、良かった~。綾音が無事でさ」
「心配かけてごめん。でも、まさか追ってきてくれてるなんて思わなかったよ」
「当ったり前です。こちとら不安で何も食べれなかったぐらいなんだから」
「あの澪が? そっかぁ、それはすっごい悪いことしたんだね、私って」
「そーゆーこと。存分に反省なさい」
笑い合う女性陣二人に、響里と芝原は互いを見合わせる。レトロの村では食事をご馳走になったはずだが、深くは追及するまいと頷き合う。
陽ノ下の中ではそれだけ焦燥感でいっぱいだった、ということなのだろう。まるで見えない霧から小さな出口を探すように。ようやく訪れた再会は彼女の中で何もかも払拭させてくれたに違いない。
「あれから少し落ち着いたせいか、ちょっと記憶が戻ったんだけどね」
月村の表情が途端に影を帯びる。声音を低くした彼女に、陽ノ下は猫のように首を傾げた。
「――うん?」
「紫堂尚嗣さん、だっけ? あの人に連れ去られたときのこと」
息を呑む一同。
月村は考え込むように静かに瞳を閉じた。眉根を寄せて固く結ぶ口元。響里は無意識に前のめりになって、月村の言葉を待った。
そうして記憶を探っていた月村は、ため息を吐きながら大きく肩を落とす。
「何を話したかは具体的にはあまり覚えてないの。ただ、憔悴した心に付け入れられた感は凄くあって。自分でも見たくないどす黒い感情が沸き上がってきたというか……」
言葉巧みに人間を上手く誘導する――紫堂の得意とするやり口だろう。親と喧嘩していた月村は自暴自棄になっていた。その弱りきった状況を利用し、現世への執着を捨てさせる。
あの男にとってはそれだけで十分。お膳立ては彼自身何もしなくてもいい。天権の資質は本人の妬みや嫉み、怒りや悲しみといった絶望や失望なのだから。
「俺たちが紫堂と会ったとき、月村さんは気絶していた。何か変なことをされたとかは?」
「何も。ただ、そこらへんの記憶が曖昧で。もうどうでもいいって思った瞬間に気を失っていた。それで気が付いたら――」
「この異界にいた……と」
響里の言葉に、重々しく頷く月村。
「最初は真っ暗な闇だった。夢の中で漂う感じっていえばいいのかな。不思議と怖くなかったんだけど、そうしてたら意識の奥でどんどん世界が誕生していって。目が覚めたらこの塔の近くに立っていたの」
「世界構築の瞬間……か」
「でも変な話、はっきりと願ったわけじゃないんだ」
「……ん?」
「このルーンガルドってさ、明確にファンタジーの世界観でしょ? 部活で西洋を舞台にした物語はやったことあるけど、別に詳しいわけでもないの」
「まあ作る側じゃないもんね、綾音は。演じる方だし」
うんうん、と一人で納得している陽ノ下。
「うん。役の経験があるから、もしかしたらイメージとして残っていたっていうことなのかな? その辺りが結構、謎なんだけどね」
苦笑する月村。
その点に関しては紫堂側が何かしら手を加えたのかもしれない。天権にとってはイメージの具現化にしか過ぎなくとも、紫堂の目的は現世にある。異界は手段であり、天権は人々を混沌に貶めるための生贄なのだ。
「ねえ、皆は知ってるの? あの紫堂って人のこと」
月村の問いに、芝原と陽ノ下が困ったような視線を響里に向ける。
「……あの人については、俺たちもまだよく分かってないんだ」
「えっと……でも普通の人間ではないんだよね?」
「提供者、って俺たちは呼んでる。現世――つまり俺たちの世界で特定の感情を持つ人間を見出して、異界を創生させる役割をしている男っていうことぐらいしか」
「特定の感情……?」
「恨みや憎しみ、そういった負の感情だよ。現世への嫌悪が強いほど選ばれやすいらしい」
月村の瞳がみるみる大きくなっていく。そして、強く唇を結ぶ。
「現にこれまでの天権は、計り知れない憎悪や野望があった。天権だけじゃない。異界に連れ去られた他の人たちも、全員共通して現世に嫌気がさしていたんだ」
「私の他にも……?」
「アタシのバカ親父もね、天権だったんだよ」
呆れたような息を吐き、陽ノ下は寂しげな笑みを見せる。
「嘘……。銀城さんが……?」
「世界征服ってやつ? いい年こいてガキみたいな理想をずっと抱いていたみたいでさ。そこを紫堂に利用されたんだよ」
言葉が出ない月村に、陽ノ下は形をすくめてみせる。
「ま、アタシがガツーンと目を覚まさせてあげたんだけど」
この力と共に――そう続けた陽ノ下は拳を握りしめ、炎を宿す。驚きつつも、月村は思い出したように問う。
「私も尋ねたかった。それ、魔法じゃないんだよね?」
「聖傑。異界に存在する英傑と絆を結ぶことで人外の能力を手にする……要は異能だよ。天権に対抗するための切り札みたいなものなんだ」
見据えた響里の視線に、月村は生唾を飲み込む。
「でも、俺たちが月村さんに伝えたいのはそこじゃない」
「……え?」
「天権が持つ負のエネルギーは、現実世界では悪意になって蔓延する。現世と異界はリンクしているんだ。漏れ出た悪意は悪魔に形を変え、人々の魂を搾取するんだよ」
「魂を……?」
月村の声が微かに震える。
「御伽町で度々発生する集団意識不明事件はそれが原因。人間の魂は異界の維持に不可欠らしくて、きっと紫堂は魂を回収してもっと多くの異界を創ろうとしているんだと思う」
「そんな……じゃあこの異界も……」
愕然とする月村。
冷酷になるつもりはないが、きちんと伝えなければ意味がない。異界は天権の居心地のいい場所、なだけではないことを。
青ざめた月村の顔色を見ると心が痛むものの、滔々と話を進める。
「俺たちは紫堂を阻止するために動いている。天権の野望が打ち砕かれた瞬間、異界は存在価値を失う。自身が成し遂げたかったことを具現化した世界だからね」
「…………」
「だけど、月村さんの場合は違う。まだ自我を失ってないし、闇雲に人を傷つけたりしていない。そこは救いだった」
響里の懸念はそこだった。
天権になると現世での抑圧された本能が増長されるのか、悪逆非道に陥ってしまう。銀城栄介のように、悪鬼へと変貌を遂げてしまうパターンだってあり得たのだ。
けれど、月村はそこまでには至っていない。むしろ真逆。清廉とした心を持ったままだ。
天権の精神は、紫堂にさえ予想しきれないということなのかもしれない。
「うんうん。ホンット、安心したよー」
胸を撫で下ろしながら、陽ノ下は白い歯を見せた。
「もしかしたら綾子と戦うことになるかもって内心ドキドキしてたし! そうならないって信じてたけどさ」
「…………」
「で、実際どうするよ? こうやって再会出来たわけだけどさ」
と、頭の後ろで腕を組みながら芝原が響里に訊く。
黙考する響里。穏便に事を解決するには、まず現地の問題を処理することからだろう。
つまりはグリームニルを倒し、このルーンガルドを平和に導く。月村にとって満足にいく結果を残して、この世界に別れを告げさせる決断をしてもらわなければならない。
「とりあえずはさっき話した通り、北方のコルヘイムに行こう。今回はこれまでのやり方とは違う。目標はグリームニルだ。まずはその手がかりを掴んで、それから――」
「私は帰らないよ」
本当に彼女から発せられたのかと思えるほど、月村の声音は低かった。ただ、その拒絶の言葉はあまりによく室内に響いた。
「綾音……?」
伏し目がちだった月村の顔がゆっくり持ち上がる。先ほどまでの動揺は微塵もない。鈍く光る瞳が三人を射抜く。
「響里くんの説明だと、私が帰るっていう意思を示す時点で世界は崩壊する……そういう意味でしょ?」
「う、うん。天権にとっての理想郷が異界である以上、月村さんの夢はそこで覚めることになる」
反対に、今度は響里が狼狽える番になってしまった。感情というものを排除したような無機質さ。
「だったら帰らない。私は皆に消えてほしくないもの。アキメネスやグラネさん、里の人たち。私がまだ知らない、大勢の人々も。せっかく生まれ落ちた沢山の命を私がどうこうするなんて、そんなおこがましいことできない。そもそも神を気取るつもりなんて、さらさらないし」
「ちょ、綾音!」
「気持ちは分かるけどよ、さっきも聞いたろ? このままだと御伽町も危ねぇんだって!」
芝原と陽ノ下がほぼ同時に立ち上がり、困惑したように叫ぶ。大声を張り上げてしまったことで、デルウィングの横で眠るアルマが起きてしまった。二人は慌てて口を噤みながらゆっくり座る。
「そもそも現実世界に戻りたくない。だから紫堂さんに狙われたわけでしょ。むしろ感謝してるぐらいだよ、あの人には。八方塞がりで何も出来ない苦しさから解き放ってくれたんだもの」
「綾音……」
「自由に生きられない世界なんて、私にとっては不要。このルーンガルドこそが私の居場所だもの」
「やめてよ、そんなこと言わないでよ。アタシはまた綾音と一緒に学校に行きたいよ」
「澪は自分の手で問題を解決できたんだよね? 私は無理。もうあんな閉塞感に満ちた生活に戻りたくない」
懇願する陽ノ下を突き放すように、月村は告げる。そして彼女は笑う。こちらが底冷えするほどの仄暗い歪んだ笑みを。
「――だから月村綾音という人間はもう死んだと思って」
彼女は一体、どれだけ思い詰めてきたのか。
親と子。
長い年月で徐々に深まっていった関係の亀裂。その衝突は、きっとお互い同士が、自分の気持ちをどうして理解してくれないのかという部分から起因している。
肉親だからこその解決策の無さ。がんじがらめで、どうしようもなく逃げたくて。リアルを破滅させてでも、自分の箱庭で閉じこもる選択をしたのだ。
「――それとも私を倒す? ねえ、響里くん」
月村の苦しそうな表情に、響里は唇を噛み締めた。
無論、そんなことするわけがない。例え、それを彼女が望んでいようとも。
響里は、深く静かに息を吐いた。
「……月村さん。夢はどうするの?」
「……ッ」
「プロの役者に憧れてたんでしょ? 諦めるの?」
月村が露骨に目を逸らす。
「そうだよ! 綾音が一番好きでずっとやり続けてることじゃん。私だってもっと見たいよ、綾音が舞台に立ってるとこをさ!」
俯いた月村の顔を、陽ノ下が前のめりになって覗き込む。
「おじさんたちだってきちんと話せば分かってくれるよ。アタシらも説得するの協力するからさ」
「気休めはよして。あの人たちには他人の言葉なんて絶対耳に入らない。所詮、私のことも人形としか思っていない。自分の人生が失敗したから、もう取り戻せないから、私を使ってやり直そうとしてるのよ。自己満足なだけ」
「どうしてそんなこと言うのさ。ほら、昔に言ってたじゃない? 綾音がテレビの俳優さんの真似事したら、おばさん喜んでくれたって。だから理解してくれるって」
「そんなこともあったね。でも幼稚園の頃の話だし、おままごとだもん。我が子ながら滑稽だなって見てたんじゃない?」
それは自分にか、それとも母親に対してか。かつてあった優しさに満ちた記憶を抹消するかのような嘲笑だった。
「アイツらは私に心なんて必要ないと思ってるの。言いなりになっておけば幸せになれる……そんな風にしか考えていない」
「綾音……」
月村が立ち上がる。そして三人を見下ろしながら、冷淡に言った。
「ごめん。だから三人には悪いけど、今の問題が解決したら帰ってくれるかな。それで、もし親に会ったら伝えてほしい。“あなたたちの娘はもうこの世にはいません”って」
冗談っぽく聞こえるが、紛れもなくそれは決別を意味していた。
親、同級生、それに親友――さらには現実世界における関わってきた人たちすべての。
「私にとって今大事なのは、この世界を守ること。グリームニルを倒して、アキメネスを救う。真の平和を手にして、皆と穏やかに暮らしていきたいの」
決然と告げて、月村は響里たちに背を向けた。
さらに彼女は塔の上部――がらんどうの宇宙を見上げながら、飛び立つが如く大きく両腕を広げた。
「その為に巫女も演じて、天権すらも演じる。これは誰にも譲れない役だから」




