第六十九話 生誕祭
結局、月村を見つけることはできなかった。
リンネの街はルーンガルドの首都なだけあってかなり広く、歩き回るだけで骨が折れる。その上、祭りとあって全長十キロもある細長い街には人がごった返しており、その中から少女一人探し出すのは困難を極めるというもの。客が集中する商業地区は勿論、住宅区域にも足を伸ばしたがどこも空振り。顔が利くトーチには宿の主人に掛け合ってもらったが、月村の名は宿泊者名簿には無かったという。
凄まじい徒労感。響里たちの落胆は何倍も大きくのしかかる。
月村は、一体どこにいるのか。
リンネの街は大陸のちょうど中央に位置する。ならば、もっと北のエリアか。捜索の範囲をもっと広げるべきだろうかとも思えたが、ルーンガルドがどれくらいの規模か分からない以上、むやみやたらに歩き回るのも愚策に思えてならない。
ただ、トーチによれば、祭りは二日目が本命だそうだ。
俗に生誕祭と呼ばれ、新しい巫女のお披露目式が行われるのだという。
巫女は基本姿を現さないため、間近で見られる絶好の機会。その一度きりのチャンスに、一目見ようとさらに人手が増えるらしい。ただでさえ人で溢れている状況でより混雑するのはどうかとも思えたが、淡い期待を抱きつつ、響里たちは一晩を過ごすことにした。
――そして、二日目の夜。
メインの会場となる街の広場に行くと、異様な光景が広がっていた。
屋台は撤去され、舞台のようなものが設置されてあった。壇上はライトアップされ、照明をスタッフらしき人影が位置を細かく調整していた。
その手前では、噴水の周りを踊る人々。前夜でもその光景は見受けられたが、異様なのはその姿。年齢層はバラバラでも、誰もが仮面を被っている。動物を模したもの、シックなものもあれば富裕をアピールしたいのか豪華に飾り立てたものまで様々。楽器を鳴らす吟遊詩人までもが仮面を付けていた。
「――仮面舞踏会?」
「そういうことだ」
響里が何気なく発した言葉に、トーチは得意げに頷いた。
「昔からのしきたりでな。巫女は顔を見られちゃいけないんだ」
「え、どうしてですか?」
「俗世を隔絶した超越者ってのを表現しているのさ。神格化するため……てのが表向きだが、素顔を見られちゃどんな危険があるか分からないだろ?」
「巫女に対して敵意を向ける輩もいる……と?」
「これまでそんなバカなことをする奴はいなかったけどな。自分の命が関わってるし。ともあれ、巫女は崇高なる者として。俺たちは仮面を被ることで身分も関係なく踊り、巫女を敬うのさ」
ほれ、といつの間に用意したのか三人分の仮面を、響里達に手渡すトーチ。本来の目的があるというのにこんな浮かれたことをしていてもいいものかと疑問が過ぎったが、郷に入っては何とやら。渋々白の無機質な仮面を被り、様子を見守ることにした。
――そして。
楽器をかき鳴らしていた吟遊詩人の演奏が止まる。
輪を描いて踊っていた街の人間が互いにお辞儀しながら、人ごみに散っていく。
その静けさも一瞬。
突然、後方の商業区域から大挙として人が押し寄せてきた。まさにそれは津波そのもの。抗うことのできない人の圧が響里たち四人を呑みこみ、分断させてこようとする。
「うお、おいおいおいぃぃいいい!」
「ちょっ、ナニコレ!」
呼吸さえも塞がれるような苦しさ。意図したものではないにしろ、誰かも分からない腕が響里の顔面や腹部にぶつかる。痛みに呻きながら響里はどうにか手を上げる。どこかで彼の名を発した芝原がそれを掴み、同時に陽ノ下の手を握る。
「お前ら無事か!?」
「は、はい! なんとか!」
さすがはトーチである。屈強な肉体で壁とも思える人ごみをかきわけ、さらに芝原や陽ノ下を連れて響里の元へ戻る。
「やっば、いつもこんな感じなんスか?」
乱れた服を直しながら、芝原がうんざりした様子でいう。
「まあな。怪我人やら熱気でぶっ倒れる奴も毎回いるさ」
「誘導とか注意するスタッフとか必要でしょ、こんなん」
「ははは、今度運営に文句言っとくわ」
不満を大いにぶちまける陽ノ下に、トーチは頭を乱暴に掻いた。
「はぐれなかったのは良かったけど、だいぶ後ろに流されちゃいましたね」
ぐったりと息をつきながら響里は前方を見つめる。背伸びしても人々の後頭部ばかりしか見えず、舞台は豆粒のように遠い。何メートル押し戻されたのか定かではないが、相当な距離を移動させられたようだ。
「どうだ、月村はいたか?」
「それどころじゃなかったっての。イテテ……見てよ、誰かが引っ搔いてさ。傷になってる」
袖をまくって腕を見せる陽ノ下。痛々しい赤い筋が浮き出ていた。
「でも……ここから見る限りじゃ前列にはいないかも。つっても、人が多すぎて何がなんやら」
「有名なアーティストのライブみたいなもんだよな。田舎モンの俺は行ったことねーけど」
「それを言うならアタシだってないよ。……いっそここから叫んでみようか。そしたら反応してくれるかも」
「……ありかもな、それ」
芝原と陽ノ下は互いに頷き合い、同時に息を吸う。
「――お二人さん。ちょっと待ってくれるか」
今まさに声を張り上げようとした芝原と陽ノ下。彼らの前に腕を出したトーチが、顎で前方をしゃくる。ざわめきが大きくなったのはその直後だ。
舞台装置の照明が、ある一点を射した。
甲高い音が、石畳を叩く。街の奥から綺麗な白い毛並みの二頭の馬が荷車を引いてやってきた。どこかの王室を思わせる立派な幌付きの馬車は、ゆっくりと舞台の前で停まる。
幌のカーテンが開き、背の高い紫髪の女性が降りてくる。目元だけを隠した仮面に加え、白いローブを羽織っているためにどこかの宗教団体のような怪しげな風貌だが、所作は無駄が無い。優雅さはなく、どちらかといえば凛とした佇まいだ。
「あれが、新しい巫女ですか?」
「いやいや、アイツは祈り子の里の住人だ。巫女のサポート役、侍女頭ってところさ」
周囲が息を呑む空気から、自然と声を潜めてしまう響里とトーチ。
衆目に晒されつつも紫髪の女性は観客に一瞥もくれることなく、幌の中へゆったりと手を差し伸べる。
そこから時が止まったかのように何も起きなかった。こちらを焦らす演出なのかもしれない。そのまま時間が流れ、やがて細長い指が彼女の手を掴む。
どよめきが広場に集まった民衆から起こった。
新しい巫女が、遂に姿を現したのだ。
薄い絹織物を何枚も重ね合わせたような衣装。艶のある黒髪で線が細く、背丈は響里よりも少し低い。紫髪の侍女と比べると、こちらは顔を全部覆い隠す鉄仮面だが、華奢で幼いように思えた。
「……今度の巫女も若ぇな」
「前回もあれぐらいの年頃だったんですか?」
「繊細な力だからな。発達途上の段階の方が扱うには適してるのさ。感情の機微が重要だからな。大人になればなるほどそういった大胆さや正確さは弱まってしまう。妥協で物事を進めるからな」
そういった部分では聖傑という力も似ているのかもしれない――そう響里は思った。絆を紡ぐ……その根本は感情の発露だ。猛る想いを相手にどうぶつけるか。練った交渉技術よりも不器用さが必要なのだ。
黒髪の新しい巫女が壇上に上がる。緊張しているのだろうか。やや動きがぎこちない気がする。付き添いであった紫髪の侍女も彼女に続くが、こちらは毅然とした態度だ。
「――静粛に」
巫女の前に立った紫髪の侍女が、厳かに言った。遥か後方にいる響里たちにも聞こえるほど、よく通る澄んだ声。その一言に、観客が一斉に静まり返る。
「皆の者、よく集まってくれた。昨日は祝福の宴、誠に感謝する。我々の元にもその喜びの声は確かに届いていた。巫女様にとっても心強い力であったと思う。だからこそ、儀式は成功した」
一つずつ丁寧に。紫髪の侍女は言葉を置いていく。そして、周囲を見回して長く息を吐いた。
「そして、先代は力を託して次なる希望を繋いだ。しきたりがあるため面は明かせぬが、この方が今度の巫女として皆を守ってくれる」
新しい巫女が、一歩前に出た。
慇懃に深々とお辞儀をすると、民衆がドッと沸いた。拍手が鳴り止む数分間。彼女はずっと頭を倒したまま。本当についさっき選ばれたとは思えない楚々とした姿。
「なんつーか、今度の巫女様はやけに堂に入ってるつーか、まるでもう何回も経験してますよってなぐらい肝が据わってんな」
顎を撫でるトーチも、驚きを隠せないようだ。
「不思議ですね。昨日の今日で選ばれたばかりなのに」
「俺も過去何人か見てきたけどな? 大体がビビって震えてる感じだったぞ」
「これだけ多くの人に見られてたら、そりゃあそうなりますよね……」
今、この広場にいる人数だけでも軽く二百人は超えているだろう。それだけの注目を浴びるなんて、普通の人生ではまずありえない。
響里にも経験がないわけではないが、クラスの教壇に立って作文を発表するのが精々だ。三十人ほどの視線だけでも頭が真っ白になった苦い記憶がある。
「しかも前の巫女様のときはまだ子どもだったからな。五、六歳……ぐらいだったんじゃないか」
「物心ついた瞬間には重い使命を背負わされる……か」
物憂げに呟く響里。
「残酷な運命って言いたいなら、それは逆に失礼ってもんだ。幼い頃から“そうするしかない”と刷り込まれれば、自然と受け入れるもんさ」
「…………」
ある種の覚悟、か。ならば、今回のあの黒髪の少女も、十年後の儀式のために本来ならばもっと生きられた人生を捨てて、巫女という崇高な使命と向き合うのか。
文字通り、死ぬ覚悟で。
「綾……音……」
掠れて今にも消え入りそうな声。
しかし、周囲の歓声よりもはっきりと、響里には聞こえてしまった。だからこそ陽ノ下が言った単語が理解できず、響里は彼女に顔を向ける。
「……え?」
「あれ……綾音だ……」
震える唇で、陽ノ下はもう一度確かに言った。いっぱいに見開かれた彼女の瞳は大きく揺れている。
その後ろで芝原が愕然と叫ぶ。
「ちょっ、ちょっと待て! あそこにいる巫女が月村だってのかよ!?」
「間違いないよ! アタシには分かるもん!」
まさか、そんな――響里は改めて巫女を凝視する。
全体的なシルエットは白のローブで覆われているものの、背丈や線の細さは確かに月村に近い。判断材料となるものは長い黒髪だけなのだが、幼なじみの陽ノ下にはそれだけで十分だというのだろうか。
「陽ノ下さん、本当に?」
「綾音だよ、絶対! どんなに姿を隠したって関係ない。小さい頃からずっと見てきたんだ。ちょっとした仕草も全部記憶してる。あれが綾音だってアタシの本能がそう訴えてる!」
「マジかよ……」
呆気に取られる芝原。彼の場合、巫女が月村ではないかいう事実よりも陽ノ下の観察眼に引いているようだが。
「でもなんで月村さんが……」
「そんなことどうだっていいよ!」
前のめりに陽ノ下は駆け出した。目の前にいる男性二人を無理やり引きはがし、強引に割って入る。
「綾音!」
「ちょっ、オイ!」
「陽ノ下さん!」
響里と芝原が慌てて追うも、そこにあるのは分厚い人の壁だ。陽ノ下も懸命に舞台の方に向かおうとしているのだが、密集された人の群れの前に近づくことすら許されない。満員電車の中を歩くどころのレベルではない。おまけに巫女に対する不審者として判断されたのか、三人は観客たちによって危うく拘束されそうになる。
「綾音ぇぇぇえええええええええ!」
どうにか伸ばした腕も、もみくちゃにされ人の渦の中に消える。
陽ノ下の叫びすらも届いていないらしく、巫女は身じろぎ一つしない。己に課せられた役目を全うしているようだった。
やがて壇上では紫髪の侍女の演説が終わりを迎えていた。そして彼女の手に引かれて、巫女はまた馬車に戻っていく。
蹄の音が遠ざかる。あまりに短いお披露目式が幕を閉じる。
観客たちもぞろぞろとその場を離れていった。残されたのは響里たちのみ。
「綾音……」
弱々しく嘆く陽ノ下。響里たちには落ち込む彼女の姿に、かける言葉が見つからない。地面に散った花吹雪が、より虚しさを感じさせた。
◇ ◇ ◇
「やれやれ、一体何がどーなってるのやら……」
トーチが狭い宿の部屋で、頭をボリボリと掻いた。
昨晩はさすがに満室だということで街の外で野宿になったが、祭りも終了となり二部屋借りることができた。
陽ノ下は思春期の女子なので別室。一人にしてほしいと本人の希望で、充てがわれた部屋でずっと籠りっきりである。
「俺らにもさっぱりッスよ。月村が今度の巫女? 候補は現地人じゃなかったんスか?」
簡素なテーブルに突っ伏す芝原に、トーチも眉間を指で揉むながら疲れたように息を思いっきり吐いた。
「そのはず……っていうか、いや、もう訳が分かんねぇ」
トーチが嘆くのも無理はない。
前提が覆る――これまでの常識が常識でなくなったのだ。
月村綾音が雪華の巫女として生きている。妙な雲行きになってきたところで、響里たちはたまらずトーチに素性を明かした。
この世界は異界と呼ばれる造り物だということ。さらに月村綾音という天権の存在。神と同義である彼女が何故、巫女に選ばれてしまったのか。
「混乱するのは分かります。でも、これ以上隠していたらトーチさんが俺たちに不信感を持つと思ったんで」
「う〜ん、キッツい酒が欲しいとこだ……」
「すみません、黙っていて……」
ベッドの上で深々と頭を下げる響里。
「いや、お前の判断は間違っちゃいねぇよ。んなこと、おいそれと簡単に暴露するわけにはいかねぇだろ。ま、正直まだ信じられねぇってとこだけどよ」
「構いません。とにかく、天権である月村さんが巫女であることがあり得ない……その解釈を俺たちとトーチさんで一致させたいだけなので」
「その……天権? ソイツは悪者ってことでいいんだよな?」
単純な理屈。響里は軽く頷く。
「俺たちの世界に憎悪を抱く者がそもそもターゲットにされる。だから自分が創った世界なら、好き勝手やっても許される……これまではそうでした」
「でも、お前等が探してる嬢ちゃんは違う……と。そう信じてるんだよな、あの子は」
チラッとトーチは部屋の横壁に目を眇めた。その視線の先には陽ノ下がいる。物音一つ立てないところを見るに、既に眠ってしまったのか。
「巫女は自分の意志でなるものじゃない。そこが厄介な点なんですけどね。月村さんの目的が見えてこないんで」
「ま、こうなったらさ。本人に直接事情を訊く方が早いんじゃね?」
敢えて楽観的に芝原が言う。あれこれ考えるより、確かに手っ取り早いだろう。
響里は無言で頷き、トーチに向き直る。
「トーチさん。祈り子の里に案内してくれますか?」
「ん〜。そりゃ、構わねぇが……」
「何か問題でも?」
「あそこは部外者に厳しいからな〜。素直に入れてくれるかどうか……」
トーチは天井を仰ぐ。
雪華の巫女だけではなく、祈り子の里も、世間から切り離された地。排他的であるためにセキュリティが厳重らしい。
「ま、ツテがあるからどうにかなると思うが……。あんま期待すんなよ?」
「お願いします。月村さんに会って話を聞かなきゃ始まらないので」
「陽ノ下も、端っからそのつもりだろうしな」
芝原が言った瞬間、ゴツンと静かに壁を叩く音が返ってきた。
三人が同時に笑みを漏らす。
こうして、長かった夜は更けていった。




