第六十八話 月村の決意
それから数時間後。
祈り子の里は沈痛な空気に包まれていた。
月村やグラネによって事情を聞かされた里の住人たちは、動揺を隠せなかった。それも当然。これまで信じてきた世界のルールが崩壊してしまったのだ。月村が感じる以上に、天地がひっくり返るような衝撃だったはずだ。
従者の中には泣き崩れる者までいた。その年老いた女性はグラネよりも先輩らしく、もう何代と渡って巫女の世話をしてきただけに殊更にショックは大きかったのだ。
アキメネスはというと、塔の自室へと連れ帰りベッドで眠らせていた。時間が経ち、だいぶ呼吸は安定してきてはいるが、それでもいつ目覚めるのか分からない状態だ。
「…………」
月村はアキメネスに寄り添い、看病を続けていた。あまりに穏やかな寝顔。すっかり冷え切った彼女の華奢な手を強く握りしめる。
「あなたももうお休みになってください。疲れているでしょう」
部屋の中に入ってきたグラネが、小さな桶をテーブルの上に置く。水に浸したタオルを絞り、汚れたアキメネスの身体を丁寧に拭いていく。
「平気です。グラネさんの方こそ傷の方は大丈夫ですか?」
「大したことはありません。あの魔女も言っていたでしょう。私たち巫女の従者は後方支援に特化していると。治療魔法が専門なので、致命傷でもない限りすぐに治せます」
自虐を込めているのか、苦笑するグラネ。
言葉とは裏腹に、彼女の腕や太ももには包帯が巻かれている。その痛々しい姿に胸が締め付けられ、月村は唇を噛み締める。
「魔女グリームニル……。あれは、一体何なんでしょうか?」
「……分かりません」
疲れたように息を吐くグラネ。
「ですが、あれは時空の壁を越えてやってきていた。恐らくはこの世のモノではないでしょう」
月村はあの巨大なブラックホールのような物体を思い出した。グリームニルという魔女は別の場所から出入りをして、館に侵入したのだ。これまでに幾度となく。
「悪霊……みたいなことですか?」
「というより魔物に近いかと」
グラネは声音を一層低くする。
「魔物は自然の環境が生み出した淀みです。風や水、木々といった自然は我々に活力を与えてくれますが、同時に穢れればそこに淀みが発生します。生命の循環から外れ腐食してしまうと、世界への悪意として捉えられて攻撃性を持つ。やがて実体化し、我々に危害を加えるのです」
「でも、あれはどう見たって――」
「ええ。そう、“人”なのです。だから何かしらの突然変異かもしれませんし……。推測するにも情報がないので、何とも判断できないのですが……」
グラネは、タオルを絞りながら困ったようにかぶりを振った。
「あれから里の皆にも魔女について聞いて回ったのですが、やはり知っている者は誰もいなくて……」
「グリームニル自身はこの世界の歴史をずっと見てきたような口ぶりでしたよね」
「みたいですね。まさか人々のために犠牲となっていた巫女が、あの者の犠牲になっていたなんて……残念でなりません」
巫女を守るという重責。
月村よりもほんの少しだけ年上の彼女は、祈り子の里の代表として多くのものを背負い、その重圧に耐えながら使命を全うしてきた。
堅物な性格だったのは、そうしなければ他の侍女たちに示しがつかないし、毅然としなければと己を鼓舞し続けていた結果なのだろう。
いわば、教科書通りのような人間を演じて。
その点は似ているかもしれない。いや、月村の因子が彼女にも宿っているのだ。
「そして、本当なら今回もアキメネス様の命も喰われてしまうはずだった。外側にいる我々は何も知らずに」
痛切に表情を歪め、自身を責めるグラネ。深呼吸をした彼女は、月村をまっすぐ見据える。
「ですが、あなたのおかげでアキメネス様は救われた。感謝致します」
「や、やめてください。私にも何が何だか分からないんですから」
両手をブンブンと振って慌てる月村。
天権としての力。発現したのは本当に偶然だった。アキメネスを守りたいという気持ち。とにかく必死だった。我を忘れるほどに。
だからこその不安も、今はあった。
「……でも、グリームニルはまたアキメネスを狙うんですよね」
「ええ。月村さんがダメージを与えてくれたおかげで時間は稼げますが、奴はまた必ず現れるでしょう。対策を練らなければなりません」
「……はい」
「ですが、我々では到底太刀打ちできない。あの魔女には底知れない闇の魔力を感じました。正攻法でまず勝ち目はないでしょう」
「……私がもう一度、あの力を使えればいいのですが……」
「すみません。月村さんをアテにしてしまって……」
月村は自身の手のひらを眺める。
魔女グリームニルに対抗する唯一の希望。グリームニルが次に襲ってくるのはいつなのか見当がつかない。
それでもやるしかない。
「それまで最大限の準備はしましょう。この塔の結界をより強固にして防御を固める。無駄かもしれませんが、何も施さないよりマシでしょう。それと、月村さんには私が魔力の練り方を教えますから」
「はい、お願いします」
硬く頷く月村に、グラネは柔らかに微笑む。
艶然として儚さも含んだ笑みは、あまりにも美しかった。
「――ですが、別の問題もありまして」
「え?」
考え込むグラネに、月村はキョトンと目を丸くする。
「明日は後夜祭があるんです」
「後夜祭?」
「次の巫女のお披露目会のようなものです。人々に次の希望を持ってもらうために、リンネの街に行って姿を見せるのです」
「え……。それって、でも……」
「真実がこうである以上、新しい巫女なんてあってはならなかった。アキメネス様もこのような状態では……」
嘆息して、頭を抱えてしまうグラネ。
やむを得ない事情で中止するかとも考えたが、それでは市民を落胆させてしまう。変な勘繰りさえも与えてしまうことになりかねない。
かといって、無慈悲な真実を打ち明けるなんて馬鹿な真似は以ての外。そんなことをすれば、祝福の祭りは一気に阿鼻叫喚の地獄と化すだろう。
「弱りましたね……」
困り果てたグラネは、ゆっくりと席を立つ。
「まあ、そちらの方は私が皆と相談して決めますよ。月村さんは気にせず、お休みくだ――」
グラネは不意に言葉を切った。月村の視線はアキメネスを捉えつつ、その表情はかつてなく真剣だったからだ。
「月村さん? どうかしましたか?」
アキメネスのまぶたにかかった髪を、優しく梳いてあげる。
この少女にも、覚悟があった。あるがままに運命を受け入れ、為すべきことを為した。待ち受ける死をも、まったく恐れず。
そして、グラネや祈り子の里の従者たちも。自身の使命のために命を懸けた。
――ならば。
自分も向き合わなければいけないのだろう。
天権として。創神として。何をすべきかを。世界に対し、何を与えるのかを。
「グラネさん」
「は、はい」
そして。
月村は、決然と言い放つ。
「私に考えがあります」




