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聖傑  作者: 如月誠
第四章 雪月華編
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第六十七話 氷の魔女

 突然、地を揺らすような爆発音が轟いた。

 南の方角で花火が上がったのだ。咲き乱れる色彩豊かな火花。グラネが言うにはあの辺りに大きな街があり、市民が感謝の意を込めて放っているのだという。


(懐かしいな……)


 月村は素直にそう感じてしまった。御伽町では毎年花火大会があり、小さい頃はよく親と一緒に行ったものだ。と同時に、あの場所にはもう戻れないんだという寂しさも去来する。

 いや、戻るつもりは毛頭なかった。自分は既に現世と決別している。自分が生み出したこの異界で生きていくしかないのだ。


「……変ですね」


 花火をぼんやりと眺めていたその横で、グラネがぼそりと言った。


「――え?」


 誰もが夜空に散る花火に夢中になる中、グラネだけは館の方を凝視していた。怜悧な相貌が戸惑いに満ちている。


「どうかしたんですか?」

「……時間が経ちすぎている」

「……え?」


 酷く深刻そうに呟くグラネに、月村は眉をひそめた。


「次代への継承が行われないのです。通例であれば、儀式が終わってすぐなのですけど」

「あ……次の巫女への引き継ぎってことですよね」


 グラネは塔の方を睨んだまま、重々しく頷く。


「当人である巫女の方々は知らないのですが、我々の間では“魂の撚糸(ねんし)”と呼んでいます。儀式を完了させた巫女は最後のお勤めとして、新たな巫女候補へその唯一無二の力を託します。それがアキメネス様のような生まれたばかりの赤子かもしれませんし、これまでまったく魔力すら持たなかった一般人かもしれません。その人の運命を大きく変える後任探しなのですが……」

「その継承が起きないってことは、まさかもうアキメネスは……」


 月村は、グラネのローブの裾を強く握りしめた。縋るような眼差しを向けられ、グラネは軽くかぶりを振った。


「流石にそれはありえません。結界の秘術は命を削る大魔法ですが、“魂の撚糸”は別物です。どれだけ消耗しようと本能的に起こる託宣のようなもの。でなければ世界の規則を曲げると同義なので」

「でも、グラネさんも実際にその現場を見たことはないんですよね?」

「それはそうですが……」


 断言してみせたグラネだが、確信は持てないようだった。妙な事態になって不安なのだろう、親指の爪を強く噛む。


「私も古い文献や里の先輩方から見聞きしたに過ぎません。先代の巫女様もその方法は知らないようでしたから」

「それじゃあ、その時にならなきゃ誰も分からないってことじゃないですか! そんな綱渡りな……」


 不確かすぎて、よくこれまで歴史が途絶えなかったものだ。月村は内心でそう思ったが、こういった世界観の基盤の脆さも自分自身の心が生み出した結果なのかもしれない。


「……そうですね。こんなことがあるなんて頭に欠片ほどもありませんでした」

「いえ……。私の方こそごめんなさい。グラネさんを責めるつもりはないんです」

「月村さん……」


 月村は肩を落とす。

 そう、これは己自身が設けた世界の理だ。

 運命の歯車があるとするならば、現時点で欠陥が生じているということ。許してはならない自分のミスだ。

 徐々に周囲の人間も異変に気付き始めた。にわかにざわめきだしている。


「……何があったのか、確かめないと」

「え?」


 次の瞬間、月村は走り出していた。

 グラネの「待ちなさい!」という制止の声も無視。ローファーのせいで濡れた橋で滑りそうになったが気にもせず、塔の中に戻る。塔の広間まで来たところで、追ってきたグラネが月村の腕を強く引っ張った。


「まさか儀式の間に入る気ですか!?」

「だって心配じゃないですか!」

「あそこは巫女にしか入室を許されない神聖な場所! 我々が無断で入ることはなりません! そもそもどうやって――!?」


 塔から館の間の道はすっかり消えている。アキメネスが通った時点で役目は終えているのだ。

 眼前に広がる極寒の湖。

 静まり返った水面はまるで奈落かのように暗く、館を聖域として機能させている。


「こんなもの、泳いでいけばどうにだって!」


 跳躍。

 月村に躊躇いはなかった。

 いくら寒さを感じない特殊な権能があるとはいえ、こんな水の中に飛び込むのはあまりに無謀。ただ、自殺行為であろうと月村は構わなかった。

 グラネが彼女の制服を掴もうと手を伸ばす――しかし、寸でのところで届かない。体勢を崩し、グラネも湖に落ちかける。

 刹那、電磁波が湖面に走った。

 足場が生まれたのだ。それはアキメネスが生み出した魔法と同様、透明なブロックが道として儀式の間へと繋がる。


「な……」


 巫女にしか生みだせないはずの足場に膝をつき、グラネが言葉を失う。


「これはどういうこと……」


 呆然とするグラネ。月村も困惑したが、それも一瞬。また勢いよく駆け出す。館へと辿り着き、巨大な両開きの扉を開け放つ。


「――ッ!?」


 弾丸のような風圧が、月村を襲う。

 月村は咄嗟に口元を腕で覆った。瘴気というやつだろうか。黒い粒子を纏った不快な空気が、密閉された空間から解き放たれたらしい。


(なんなの、これ……! 儀式を終えた後ってこんなに酷い状況になるの……!?)


 いや、違う。月村は即座に否定する。

 こんな穢れた気を、あの純真なアキメネスが持っているわけがない。明確に別種のものだ。

 蔓延していた瘴気が失われたことで視界が僅かに開ける。月村が捉えたのは、硝子のように澄み切った床に横たわる少女の姿。


「アキメネス!」


 月村は慌てて駆け寄って、アキメネスを抱き起こす。ぐったりとした少女の身体はあまりにも軽い。苦悶に歪める彼女に声をかけ続けるが、反応はない。微かな呻きが呼吸と共に漏れている。

 意識はないようだが、生きているのは確かだ。


「月村さん、アキメネス様は――⁉」


 月村が胸を撫で下ろしたところで、グラネも館に入ってくる。彼女もまた室内の異常な空気に顔を顰めた。月村は傍に寄ってきたグラネに力強く頷き、無事だと安心させる。


「よかった……。ですが、これは……」

「魔力ですよね? この気持ち悪い感じって……」

「え、ええ……。しかも桁違いに強い……」


 そのときだった。


『ほう。まさか崇高な儀式の際中に、乱入者が現れるとはな』


 重厚な音圧が頭上から覆い被さる。低く、それでいて艶やかな女性の声。

 アキメネスを抱きかかえたまま、月村は顔だけを向ける。

 まるで血を零したような、べっとりとした真っ赤な滝が視界に飛び込む。それがスカートの波打つ部分だと理解するのに、月村はかなりの時間を要した。

 おそるおそる、顎を持ち上げる。そこには、通常の人間のサイズを何倍も大きくした女性が立っていた。

 深紅のドレスは高貴さを醸し出しているが、何よりも不気味さを強調しているのは相貌をすべて覆い隠す仮面だ。デザインセンスの欠片もない鉄仮面。隙間から覗いた鋭く光る瞳が、月村を射抜く。


「――ッ!」


 思わず鋭い悲鳴を発してしまう月村。その背後で、グラネが臆せず叫ぶ。


「誰ですか、アナタは!」

『祈り子の里の住人か。小賢しい集団に宿るその脆弱な魔力……何年たっても変わらんよな』


 深紅のドレスの女は仮面の奥からくぐもった笑い声を上げる。


『だが誉めてやろう。巫女の危機に際し、こうして禁忌さえも破って飛び込んできたのはお前が初めてだ』

「ではアナタがアキメネス様を……!」


 愕然とするグラネ。深紅のドレスの女は肩を揺らした。


『ククク……。万物の頂点に立つ巫女の従者よ。そう怯えもなくともよい。それとも畏怖か? ならば喜ばしいことよ』

「ふざけないでください! このバケモノ風情が……!」


 怒気を放つグラネ。彼女の全身から可視化された粒子があふれ出す。手のひらに魔力を集中させ、収束。冷気をまとった球体を生み出す。


『まあ、そういきり立つな。こうして我が他人の目に触れるなど久方ぶりなのだからな。要件を済ませたらまた隠れるつもりであったが……、こういったアクシデントもまた面白い』


 臨戦態勢のグラネをあざ笑うように、わざとらしく女は慇懃に深々と頭を下げた。


『我が名はグリームニル。遥か太古から生きる魔女よ』

「魔女……?」


 そう言葉を零したのは月村だった。


「魔女ってこの世界に実在したの……?」

「い、いえ、私も初めて知りましたが……」


 グラネも戸惑いを隠せない。月村も、我ながらとんちんかんな疑問だと恥じる。生みだしたのは恐らく自分だというのに、何も知らないのだから。


『お前はただの人間か。どうしてこの場にいるのか知らんが……まあ、どうでもよかろう』


 興味なさげにグリームニルと名乗った女は鼻を鳴らす。


『便宜上の呼称だと思うならそれもよい。しかし、太陽を雲で覆い隠すように、お前たちが歴史の裏に捨て置いた闇の結晶よ』

「なんですって……? 我々が隠蔽していたとでも言いたいのですか、アナタという存在を」


 伝統を重んじるグラネにとっては聞き捨てならない言葉に、眼光がより鋭くなる。


『何百年ともなればその罪さえも消え、端から無かったことになる。実に醜悪な集団よ。であろう、当代の侍女よ』

「祈り子の里の人々を愚弄するのは許しません。それに、魔女だかなんだか知りませんが、そちらの言葉を信じる理由はありません」

『悲しいよの。表舞台に立つ者の証言が歴史の正史となる。だからこそ我はこうして復讐のために現れた』


 仮面の奥で、口元が嗜虐的に歪む――そんな気がした。


「復讐……ですって?」

『何十、何百年……。生き永らえるには巫女の生命力が必要なのでな。だからこうして奪いに来たのだよ。純潔であり、高潔。清廉とした巫女の命をな』

「…………⁉」

『魔力の本質を理解していないお前たちに教えてやろう。命を対価として行使する秘術など本来あってはならないのだ』


 グリームニルは、静かに言い放つ。


『あってはならないのだよ。尊い犠牲の上に成り立つ魔法? そんなもの人間が持つ美徳が生み出した幻想に過ぎん』

「……ちょっと待って」


 月村が震える唇から言葉を絞り出す。


「それじゃ、結界の術式で巫女は死なないっていうの……?」

『ほう。お前は他の人間とは違って凝り固まった考えは持っていないようだな』


 興味深そうにグリームニルは月村に視線を移す。


『か弱き人間を救うために放つ強大な術式。確かにそれは魂を削る。ただし、魔力の枯渇によって死に至るというのは、我の存在を公に知られると都合の悪い誰かが流布したもの。実に嘆かわしい』


 月村は生唾を呑みながら、グラネの方に目線だけを向ける。グラネは憤然とした様子で魔女を見上げている。


「……作り話も大概にしなさい」

『我には些末なことだ。俗世がどう動こうと我の目的は変わらん。儀式の直後こそ、巫女の命を奪う絶好の機会。その魂ごと喰らい、我の生きる糧とする』

「…………ッ!?」


 絶句する月村。


「じゃ、じゃあ……巫女が次の巫女へ力を受け渡すのは……」

『いつも滑稽に見ておったぞ。最後の悪あがきとして魔力を外へ飛ばす姿はな』


 哄笑。

 響き渡るグリームニルの発狂にも似た笑い声に、月村もグラネも愕然としていた。

 魂の撚糸など、初めから存在しなかったのだ。

 儀式の度に襲来するこの魔女をどうにかしてほしいという、死に際の想い。言葉では伝えることができない。だから残った僅かな力を次世代に託す――決死の抵抗だったのだ。


「よくも……!」


 グラネの全身が震える。

 隠されていた歴史の裏側。魔女への怒りとこれまで何も知らなかった自身の不甲斐なさ。ぐちゃぐちゃに混ざり合った感情が爆発する。


「あああぁぁあああああああ!」


 もはや悲鳴に近い咆哮を上げ、グラネはその手を魔女にかざす。冷気を纏った濃密な魔力は氷塊へと変質。鋭利な刃物と化し、一直線にグリームニルに襲い掛かる。


『愚かな……』


 嘆くようにグリームニルは呟く。まるで羽虫を邪険に払うかのように腕を雑に振るった。乾いた音が反響。グラネの渾身の一撃である氷塊はあっけなく砕かれ、破片が宙を舞う。


「な……ッ!?」

『やめておけ。祈り子の里では戦の仕方など教わってこなかっただろう。巫女の後方支援にしか価値のないお前らに、我をどうこうできると思うな!』


 グリームニルは振りきった腕をさらに反対方向に凪ぐ。硬質な床が衝撃波によって抉られ、暴風が荒れ狂う。こちらも氷を軸としているようだが規模がまるで違う。純度の高い透き通った氷山が館全体を呑みこんだのだ。

 その絶大な魔力の余波だけでグラネは簡単に吹き飛ばされ、壁に激しく衝突。力なく崩れ落ちる。


「グラネさん!」


 月村の叫びは届かない。グラネは倒れ伏したまま、ピクリとも動かない。

 圧倒的な力の差。そもそもの次元が違う。


『安心するがいい、小娘。取り巻きの命など初めから興味はない』


 魔女の意識が、月村に向く。

 果てしない絶望。これまで感じたことない恐怖が、月村にのしかかる。

 グラネだけが頼りだった。堅物だったのかもしれない。けれど優しく、慈愛も持ち合わせていた彼女をいつの間にか心の拠り所にしていたのだ。


「グラネさん……」


 項垂れたまま、月村は呻く。

 抱き締めたアキメネスを床にそっと下ろす。月村はゆらりと立ち上がり、涙に濡れた瞳を、魔女グリームニルに向ける。


「よくも……!」

『ほう、我に楯突くか。その勇敢さは褒め称えてもいいが、貴様に何が出来る? 所詮、何の力も持たない人間風情に』


 月村を見下ろし、高らかに笑うグリームニル。


『今ならばまだ見逃してやってもよいのだぞ? 無駄に命を散らしたくはないだろう?』

「――させない」


 怯えはあった。脚は震え、つま先までの感覚はまるでない。

 けれど、それ以上に。許せないという怒りの感情が勝ってきていた。

 ――奇跡は起きる。


「あなたの目的がどうであれ、アキメネスを殺させはしない。私が絶対に守る」


 仮面の奥の瞳が細くなる。剣呑な光が鈍く輝く。

 月村の全身が揺らめいたのは、その直後だった。正確には、彼女の周囲が蜃気楼のように歪み、蒸気が立ち上っている。


 ――その正体を、グリームニルはよく知っている。


『小娘……ッ、まさかそれは魔力……⁉』


 青白いオーラが迸る。そして光の柱が月村を中心として突き抜ける。穏やかな風が吹いた。

 グラネやグリームニルとも異なる。しかし、純度の高い濃密な魔力。天権としての覚醒。そう呼べる瞬間だった。


『貴様――!』


 本能的に危機感を覚えたのか、グリームニルは攻撃をしようとした。掲げた手のひらから巨大な氷塊を生みだし、月村に落とそうとする。

 だがそれよりも先に、月村が腕を振るう。

 あくまでもゆったりと。緩やかに流れる川のように。氷の結晶が乱気流を呼び起こし、無数の欠片が容赦なくグリームニルを襲う。


『ぐ、おぉぉおおおおおおおおお!』

「うぐ……!」


 全身全霊。訳も分からず、己に流れる得体のしれない力を感じながら、それを一気に解き放つ。


『なんじゃ、コイツは……!』


 魔女にとってはこれまで体感したことのない威力だったのだろう。

 氷魔法というものは一般的に大気中の水分を凝結させ、術者の魔力によって変質させる。グラネの放った氷塊でさえ、実は高度な技術なのだ。

 そのため、広域のものとなれば当然威力は落ちるのだが、月村のそれはグリームニルでさえ理解の範疇を超えた常識外の破壊力。暴風の中に潜む無限の氷刃が館の中を暴れ狂った。

 回避しようのない攻撃を浴び、グリームニルの長身がぐらりとよろめいた。


『ぐ……!』


 月村の強大な魔力の余波は、凄まじいものだった。

 冷気が漂う内部には煌めく粒が舞う。極限まで低下した気温は、生命が活動を停止してしまうほどの冷たさだった。

 グリームニルが力無く崩れ落ちる。月村を何の力も持たない矮小な人間だと侮っていたのだろう。その油断が予期せぬ展開を招いたのだ。


『ククク……』


 不敵な笑み。グリームニルは月村を睨む。


『面白い小娘よ。貴様が何者かは知らぬが、ここは一旦退くことにしよう』


 突発的な強風が、部屋の中心部に流れ込む。どす黒い瘴気が再び噴出。不吉を呼び込む正体は、グリームニルの背後にあった。

 何もない空間に縦線が一本描かれていた。グリームニルが指でなぞるように動かし、次元に亀裂を作ったのだ。

 じわじわと広がる黒い裂け目。

 ブラックホールと酷似したそれは、何もかも喰い荒らすようにあらゆるものを吸い上げていく。

 重い瓦礫さえも呑み込み、いくつかの欠片が月村の背中に激突。力を使い果たした月村では吸引力に抗えない。

 それ以上に焦ったのは、その前方でアキメネスが裂け目に吸い込まれそうになっていることだった。床を滑り、彼女を必死に抱きしめて、近くにあった壊れた柱に身を隠す。


『人間の小娘よ――名は?』


 厳かに、魔女は問う。


「つ……月村綾音」

『月村綾音。巫女は貴様に預けておくぞ。だが次はない。覚悟しておくことだ。貴様の命ごと、巫女は必ず手に入れる』


 グリームニルは月村たちに背を向け、自らが開けた次元の扉に入っていく。そして収縮し、消滅。魔女の持つ淀む気配は跡形もなく消え去った。

 後に残されたのは、無残ともいえる破壊の痕跡のみ。

 脅威は過ぎ去った。呆然としていた月村は、そのまま眠るように気を失った。






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