第六十五話 儀式の日
サルーナの酒場で一泊した響里一行は、翌朝出発。
この世界で一晩過ごして改めて痛感したのは、自分たちが日頃どれだけ太陽を基準に生活していたか、ということだ。
昼夜の境が無いため時間の感覚が掴みづらく、そこでサルーナにお願いして起こしてもらったのだが、体内時計が狂ったかのように全身は重たく、気分も優れない。
寝つきが悪かったのも過分にあるだろう。疲労の溜まる異界で調子が整わないのは今後に不安を覚えてしまう。
とはいえ、弱音を言っている場合でもない。
約束通り、トーチの案内の元、体力を使う雪道を歩きながらリンネの街を目指す。幸い、トーチの言っていた魔物に出くわすことはなかった。出発前にサルーナから貰った毛皮のコートも三人にとっては有難く、厳しい旅路も少し楽になった。
途中休憩を挟みながら、ようやくリンネの街に到着。やはり半日かかったようで、時は夕刻に迫っていた。
「つ、着いた~」
謎の達成感と凄まじい疲労感で、陽ノ下が地面にへたり込む。ぐったりと息をつく三人に、旅慣れしているニールがねぎらうように笑う。
「ようこそ。ルーンガルドの首都、リンネの街にってな」
重々しいアーチの門をくぐったその先の景色は、これまでに焼き付いた淡泊な色合いの自然とは真逆の、絢爛豪華な街並みであった。
気品を感じさせるような浅葱色の巨大な建物は、すぐに宿屋だと分かった。街の入り口から続く長蛇の列は老若男女問わずで、わざわざ今日のためにやってきた外部の人たちだろう。近くが商業区域とあってか、生花店や服飾雑貨、レストランまで人で一杯だった。
中央に屹立するのは時計塔だ。それが象徴的なオブジェとばかりに、そこから蜘蛛の巣のように各店舗にロープが張られ、飾りつけられた小さなランプが風になびいてキラキラ輝く。
そこかしこで楽器を手にした吟遊詩人も祭りを盛り上げようと余念がない。鳴り響く軽快な音楽に、まだ本番でもないのに石畳の上で若い男女が陽気にダンスを踊っている。
「すっげ、盛大ッスね~」
寒さに耐えるためにすっぽり被っていたフードを取る芝原。
これまでの苦労も吹き飛んだかのように感動する三人。どちらかといえば陰鬱な空気さえ感じていたこの異界で、あらゆる人々の希望が、活力が、これでもかと広がっていた。
「驚いたろ? もう何日も前からこの騒ぎだ。許可を得た外部の商人もこぞって店を構えるからな。人生で一番の稼ぎ時と言ってもいい――行ってみるか?」
月村を探すという本来の目的はあるものの、三人は祭りの空気に当てられ街の奥へ。針葉樹の木々が囲う円形の広場は露店が連なり、店主たちの声が響き渡っていた。無論、客は盛況。すでに販売終了の看板を出す店まで出てきていた。
「すごいな……」
と、響里も素直な感想を口にするも、その表情は冴えない。
「どしたん、響里くん?」
彼の神妙な様子に、隣にいた陽ノ下は小首を傾げた。
「ん……」
うつむく響里。トーチは振り返ると、彼の方に歩み寄って目を細めた。
「腑に落ちないって顔だな?」
「え? あ、ああ……まあ……」
「巫女のこと、だろ?」
思わず顔をしかめた。考えていたことをトーチに見抜かれ一瞬ドキリとしたが、響里は邪念を払うように強く首を振った。
「儀式って……祈り子の里っていうところでやるんですよね?」
「ああ」
「それは……どの辺りにあるんですか?」
トーチは賑わう露店の上空を指さした。正確にはその前方――なだらかな丘のような段差に建てられた物体に向けてだ。
リンネの街は高い塀で囲われているのだが、それを遥かに超える人型の石像が建っている。十メートルはあるだろうか。遠近感が狂いそうなほどの巨大な芸術作品に目を凝らせば、それは女性のようだった。
精巧でありながら、どことなく幼い顔立ち。しなやかな曲線を描く両腕が天へと掲げられている。
「雪華の巫女の像だ。あそこからさらに五キロほど行ったあたりにある」
「割と近いんですね。じゃあ、あの位置関係って――」
「そういうことだ」
薄く笑みをこぼすトーチ。
「儀式が行われるまさにそのとき。巫女の塔から発せられる光は、まるであの像の手から放たれるように天へと昇るんだ」
「なるほど……」
巫女の石像をぼんやり眺めていた響里。そのあとの「でも……」という言葉は、周囲の喧騒に消えてしまうほどに儚く消え入る。
「……こう距離が近いと、この皆さんの声もきっと届くんでしょうね……」
「そして、それを聞いた巫女がもしかして憤慨するかもってか? “私はみんなのために犠牲になろうとしているのに、どいつもこいつも呑気に浮かれやがって!”みたいな?」
「……そこまでは言いませんけど」
「だっはっは!」
トーチは豪快に笑って、響里の背中を強く叩いた。
「むしろそれは逆だな。俺たちはな、ああやって感謝を送るんだ」
「そう……なんですか?」
「こうして平穏無事にいられること。我々はあなたのおかげで、また生き永らえますってな」
過去に魔物にでもやられたのだろうか。頬についた傷跡を掻きながら、感慨深く言う。
「確かに巫女がどういった想いで儀式を遂行するのか、直接聞いたことはない。けど、巫女が犠牲になることを、誰も当然のことだと思ったりはしない。最後のその瞬間、巫女へ最大限の感謝の気持ちを届けるためにお祭りをするんだ。皆が元気だと示すために」
「そういうもの……ですか」
「そういうもんだよ。――証拠に、ほら見てみろ」
気づけば、祭りに興じる人々の歓声が鳴りやんでいた。あれだけ騒がしかった演奏も止まっている。話し声すらもない、奇妙な静寂。
街の誰もが、石像に向かって手を組んで祈りを捧げているのだ。
「――さあ、いよいよだぜ」
彼方の暗雲が、ざわめくように渦を巻いている。雷鳴でも轟くのかとも思うが、違う。あくまで厳かに、畏敬の念を抱かずにはいられない雲のうねり。雪もピタッと止み、大地からの風が静かに吹き上げ、木の葉や草が舞う。
街の人々はそんな空の変化に気づいたからこそ、祭りを中断したのだ。
直後、巫女の石像の両手から直線状に光が放たれる。
◇ ◇ ◇
その夜は一段と厳粛な空気に包まれていた。
儀式が始まろうとしている、その五分前。月村はアキメネスに連れられ、塔の一階へと降りていた。
前日、アキメネスの部屋に泊まらせてもらった月村は一睡もできなかった。頭から離れないのは、無論、儀式のことだ。世界の理と、アキメネスの純然たる覚悟。当の本人はスヤスヤと寝息を立てているのも不可解ではあるし、胸に抱いたもどかしい気持ちを整理できないでいた。
一階ではグラネが待機していた。彼女は、こちらが話しかけるのも憚られるほど緊張した面持ちだ。侍女としての役割と、アキメネスへの想い。凛とした佇まいには、グラネなりの責務を全うしようとする意志が感じ取れた。
「――それじゃあ、行ってくるね」
まるでふらっと遊びに行くかのような気軽さで、アキメネスが手を振る。柔らかな微笑みには、やはり死ぬことへの恐怖心は微塵もない。
アキメネスの足音が響く。塔の奥にある重厚な門を開くと、静かな闇が姿を現した。夜風にさらされた湖だ。かろうじて届く月の光が、水面の揺らめきを反射していた。
「あっ!」
思わず、月村は叫ぶ。
あろうことか、アキメネスはそのまま身を投げ出したのだ。陽気な散歩の延長のように、少女は軽く跳躍。広大な水面に向かって。
しかし、結果としてアキメネスは湖に沈むことはなかった。
突然、足場が生まれたのだ。氷のように透明なブロックが次々と生まれ、一直線に連なっていく。アキメネスはその足場を利用しながらゆっくりとした足取りで渡り、その先を目指していく。
「あれも魔法ですよ」
「――え?」
小さくなっていくアキメネスの後ろ姿。それを呆然と見つめる月村に、グラネが声をかける。
「巫女を受け継ぐ方たちは皆、特別な魔力を宿しています。あの足場はそれを感知して発動するのです」
「そんな仕掛けが……」
「資格があるものにしか許されない神聖な道。儀式の間には巫女に選ばれた者にしか行くことは適わない」
アキメネスの姿が遠ざかっていくと同時に、彼女の通った後の道はその役割を終えたかのように崩れ去っていく。魔力の粒子となった破片は水の中に溶け、やがて完全に消える。
アキメネスが向かった先は、あまりに小さな孤島。ここでも巫女の気配を察知してか、何もない島に突如、館が出現した。
儀式の間。それ自体が魔力で構築された、円形のドームだ。純白の輝きを放つ清廉な神殿のようで、月村は遠くにいながらも圧倒されてしまう。
「綺麗……」
そんな場違いな感想が漏れ出る。
「さあ、行きましょう」
グラネが踵を返す。アキメネスは儀式の間に入っていってしまった。その様子を見届けた月村も、後ろ髪が引かれつつ塔の外に出る。
かける言葉が見つからなかった。
これでお別れだというのに。未だに、あの少女の小さな灯火が消えてしまうことを受け入れられないでいる。
芯が強く、純真で。それでいて呑気。彼女のあどけない笑顔が脳裏にこびりついている。
残酷で理不尽。――自分は、こんな世界を望んだというの?
月村の心を弄ぶように、儀式の準備は万端だった。
巫女の従者と呼ぶべき祈り子の里の住人が全員、湖に集合していた。彼女たちは湖を取り囲み、静かにそのときを待っている。
「まずは我々が、先代の施した結界を解きます」
と、桟橋を渡ったところでグラネが説明する。
「……え?」
我に返った月村は、彼女の言葉を理解するのに時間がかかった。
「でも結界は巫女にしか扱えないんじゃ……」
ルーンガルドは、巫女がたった一人だけで全てを背負う世界。祈り子の里の住人は、そんな重責を担う彼女のお世話係という認識でしかない月村は目を丸くする。
「脆弱な魔力しか持たない我々でも経年劣化による結界ならば解除することは可能です。しかし、それも祈り子の里全員で力を流してようやくなのですが」
と自虐気味に笑うグラネ。
「忠義の証と言いましょうか……。負担を少しでも軽くするためのサポートですよ。アキメネス様はこの十年間、結界を生成するだけの修行をしてきました」
「そうなんですか?」
グラネは頷く。
「ええ。故に解き方まで習得する余力はありません。同じ巫女といっても、やはり他人が施した術式。微妙な差異があるのです」
「ああ……」
理解は難しいが、納得はできた。
結界の術式というのは、一族相伝というわけではない。儀式の後に、まったく関係のない素人が次の巫女に選ばれるのだ。そんな重要なもののやり方さえ、先代から教えてもらうこともなく。
「それでも我々は飾りでしかありませんが」
グラネの呟きには痛切な響きが滲んでいた。巫女が渡していくバトンを間近で見届ける運命を受け入れつつも、不甲斐ない自分を責めるかのように。
そんなグラネはそっと胸に手を当てた。深呼吸を挟み、決然と言葉を結ぶ。
「――時間です。始めましょう」
侍女のトップであるグラネの号令の下、祈り子の里の住人たちは魔力を解放する。どれだけの数があるか分からない。細長い滝のような無数の光の柱が立ち昇り、これまで世界を守ってきた暗雲を直撃する。
圧倒的な光景に、月村は後退りした。
分厚く覆われた雲と眩い黄金が混ざり合い、ゆっくりと中和されていく。決して魔力のぶつかり合いなどではない。それこそが偉大な魔法の完成形。
次第に、青く澄んだ空が垣間見えてきた。そして、どこまでも強い陽光が地上へ降り注ぐ。
太陽だ。こうして拝むのも何年振りかと錯覚してしまいそうなほど久しぶりな気がした。月村は手をかざし、目を細めた。
その直後だった。
どこからともなく呻き声が聞こえてきた。
グラネだ。否、彼女だけではない。祈り子の里の人々が魔力を放ちながら苦悶の表情を浮かべていた。
「グラネさん!」
不意に、グラネの身体がふらついた。崩れ落ちるように膝をつく。
駆け寄った月村は彼女の肩に触れたが、弾かれるようにその手を引いた。まるで水のように柔らかな感触。太陽を浴びれば溶ける――その性質を証明するように、グラネの全身から湯気が立ち昇っている。蒸発現象が起きているのだ。
愕然とする月村。
「……これでいいのです」
荒々しい呼吸で、月村の方を振り返らずグラネは言った。
ただ、言葉は希望に満ちていた。後は託す――周囲を見渡せば、その誰もが憔悴しながらも笑みを浮かべている。
お膳立ては済んだ、とばかりに。
直後、黄金が空を切り裂いた。
湖の中央、儀式の間から膨大な魔力が放出された。天高く飛翔する龍がその威光を知らしめるかのように、鋭く、そしてしなやかに輝きを放つ。
逆巻く雷鳴のごとく轟音を響かせながら、あれだけの人数で放った祈り子の里の住人とは比べ物にならない爆発的な光線が、青空を蹂躙していく。
(アキメネス……!)
これが、雪華の巫女の力か。
そのとき、歌が聞こえたような気がした。アキメネスが口ずさんでいたあの歌が。
慈愛で包み込んでくれる、優しい音色。しかし、それは残響だ。彼女が直接歌っているわけじゃない。館にいるはずの彼女の声が聞こえてくるわけがないし、そもそもそんな状況下じゃない。
それでも感じるのだ。アキメネスという少女を。
大気が渦巻く。光は拡散され、空と大地を分断する防御壁が形成される。
新たな結界が作られたのだ。
そして、厚みを持った雲が再び空を覆い隠す。やがて、結晶が生まれ月村たちのいる地上へと舞い落ちてきた。
――雪だ。
瞬間、歓喜が訪れた。
苦しんでいた祈り子の里の住人たちは立ち上がって、抱き合ったり感謝を口にしている。拍手喝采だ。
「……無事、終わりましたね」
グラネは安堵の息を漏らす。
「グラネさん、大丈夫ですか!?」
慌てたように月村が声をかけると、彼女はニコリと笑った。
蒸発化は止まっている。ゆっくりと立ち上がったグラネは、おもむろに手を差し出した。その細くしなやかな手を、月村は恐る恐る握ってみた。
「……安心しましたか?」
「よかった……」
今度はしっかりと両手で握りしめて、額に当てた。嬉しさを噛み締めるように。そこへ一滴の雪の雫がぽたりと落ちた。
「あ……」
相変わらず、冷たさは感じない。だが、確実にアキメネスの息吹が宿っている――それだけは肌から染み込んでくる。
そこで初めて理解できた。
雪は魂の残滓なのだと。雪華の巫女の命が粒子となって、人々に降り注ぐ。幸福な未来のために。
「儀式は無事、成功しました」
穏やかな声色でグラネは言った。
その言葉を耳にした途端、胸に痛みが走った。月村はハッとして、淡い光に包まれた館の方に視線を移した。
年端もいかない、儚げな少女が世界を救ったのだ。己に課せられた使命を全うして。
――けれど。
心の中でだけ、問いを投げかけてみる。その質問はきっと、彼女にとっては野暮だと知りつつも訊かずにはいられない。当然のように返される答えも分かっていながら。
……あなたはこれでよかったの? と。




