第六十四話 システム
「それじゃあこの雪の国は、その巫女の力で成り立っている――と」
にわかには信じられない話だった。
絶え間なく降り続く雪。それは一般的に知られる気象現象ではなかった。
分厚く何層にも重なった黒い雲は、この世界の人々を死に追いやる太陽から守るための結界。氷点下にまで下がった気温はルーンガルドの地に住む彼らにとっての氷嚢だ。とはいえ、どれだけ太陽の光を遮ろうとも、絶対的な天体の威力を完璧に防ぐことは適わない。だから雪に触れることは治癒であり、極端に熱に弱い皮膚を守る抵抗力を付与する。
それもすべて巫女がもたらす秘術のおかげ。歴代の巫女が命を賭して放った魔力の残滓――雪と氷は天使だと古来から信じられてきたのだ。
「俺たちは雪華の巫女様によって生かされている。崇拝すべきは神なんかじゃない。連綿と続く彼女たちの恩恵なんだ」
絶句する響里たち。ひとしきり説明を終えたトーチは、放心しっぱなしの三人に困ったような笑みを向けた。
「言葉が出ないって感じだな。俺たちにしちゃ普通のことなんだが」
「いえ、ちょっと理解が追い付かないというか……」
「余所者からしたらそんな反応になるんだろうな。俺も長年冒険者やってるが、この国のそもそもの歴史を語るなんて初めてだ」
トーチはテーブルに頬杖をつく。片方の眉を上げ、老練さながら艶のある声色で言った。
「俺がからかっているように思うか?」
「いえ」
苦笑して響里はかぶりを振った。
「異邦人……、それに俺たち子供にそんな凝った作り話をする必要はないでしょう。まるでおとぎ話だな、とは思いますが」
それに、と響里は店の小さな格子窓に近づく。外の往来を歩く人々には寒さに苦しむ様子は見られない。むしろ、生き生きとしている。民家の屋根の上では村人が楽しげに除雪作業を行っていた。
響里たちには悪天候であっても、彼にとっては恵みの氷雪……なのだろう。
「ちなみに、それが伝承ではなく現実だとして」
「……おう?」
「太陽の呪いっていうのは何か理由があるんですか。太陽が悪影響を及ぼすように誰かに何かをされたとか――」
「そんな話、聞いたこともねぇな。俺も学者じゃないから文献とかで調べたわけじゃないが、俺たちの祖先もきっと誕生からそうだったはずだぜ」
面食らったように、トーチは目を見開く。彼にとって予期せぬ方向からの質問だったのだろう。同意を求める視線をサルーナに送るも、「アタシが知るもんかい」と一蹴されてしまう。
「ルーンガルド人の起源に興味があるのか?」
「そういうわけじゃないんですが……。探している友だちの手がかりになるんじゃないかな、と思いまして」
「友だち?」
響里は窓に向けていた視線をトーチに移し、深々と頷いた。
月村が天権である以上、彼女の深層心理が世界に大きく反映する。理性などは一切介在しない。幼子から現在に至るまでに積み上げられてきた自分でも無意識に抱いてきた想いの系譜。ルーンガルドの人々に太陽が毒だと設定したのが月村なら、彼女が何かしら諸悪の根源として認知されているのではないかと推測したのだ。
「響里くん、それって――」
「最悪の想定をしたまでだよ。でも違うみたいだね」
響里の思考を読んだのか、不服そうに陽ノ下が突っかかる。彼女の憤懣はもっともだが、響里も彼女の神経を逆撫でするつもりはない。優しい口調で彼女を遮って、宥めるように手を上げる。
「天権イコール支配者、というわけじゃない。その人によって異界への関わり方は変わる」
「……本当にそう思ってる?」
「誰であれ、歪んだ思想は持ってるものでしょ? でも、それを表面化させないよう、心にしまったまま皆生活している。そこに付け込んで解放させるのが紫堂なんだ」
「綾音は心の綺麗な子だよ」
「俺だって月村さんは優しい人だと思ってるよ。異界を利用して悪逆非道な行いをするとは考えにくい。でも、このルーンガルドっていう世界の中で重要な位置にいる気はするんだ」
神妙な面持ちになった響里に、陽ノ下も口を噤む。
「その点に絞れば見つかりやすいんじゃないかって。なにしろ情報が少なすぎるからね」
創造する人間によって、世界はその色を激しく変える。だからこそ情報収集は何より大事なのだ。
陽ノ下は少しだけ溜飲が下がったのか、毒気を抜かれたように息を吐く。
「なんか達観してるなぁ、響里くんって」
「そうかな?」
「いんや、そこは陽ノ下に同意だな」
二人の背後で、芝原が意地悪い笑みを浮かべている。
「お前ら、友だちを探して遠路はるばるこんなとこまで旅してんのか」
と、トーチ。
「ええ、そうなんです」
と、曖昧に返答する響里。旅、というのは言い得て妙だが、まああながち嘘ではない。
「サルーナさんからリンネという街に行けば見つかるんじゃないかと、伺って」
「あー、成程な」
「そうなんだよ、トーチ。アンタ、ちょっくらリンネまでこの子たちを送ってやってくんないかい?」
と、サルーナ。酒を持ってきてテーブルに置く。途端、目を輝かせるトーチ。
「ウチで一番の高級葡萄酒だ。タダでやるから頼むよ」
「マジかよ! 俺が何度言ったって飲ませてくれなかったヤツじゃんか」
グラスに注ぎ、味を楽しむのも度外視に一気に飲み干す。ぷはぁ、と豪快な息を吐く。
「いいぜ、あそこのギルドに用事もあったからな。丁度、明日は儀式の日だ。祭りも行われるし、大勢の人が外からもやってくる。その友だちもひょっこり見に来てるかもしれないしな」
「ああ、そうか。もうそんな時期なんだね。道理で悪党共が冬眠の準備を始めるわけだ」
苦虫を嚙み潰したようにサルーナは言った。
「せっかく巫女様が命を賭してアタシらを守ってくれるってのに、死を悼みもせず感謝もしない。自分らの食い扶持を確保するしかない、しょうもない連中だよ」
「ま、大概は冒険者からドロップアウトした野郎ばかりだからな。地味な仕事するより、盗みを働いた方が楽なんだろうよ」
「……稼ぎ、減ってんのかい?」
「割のいい仕事じゃねぇってのはいつの時代も変わんねぇよ」
サルーナから出されたパンをかじりつくトーチ。咀嚼しながら、次第に表情は憂いを帯びていく。
「サイクル的なもんもある。結界が弱まるこの時期は、どうしても魔物が活発化するからな。元々、勢力の強い北方なんかの討伐依頼を受けたがらないのさ。実際、亡骸で街に戻ってきた奴も最近は多くなってきてる」
「――魔物?」
なにやら物騒な単語に、響里は思わず食いつく。
「この辺りって魔物が出るんですか?」
「お? まあ、普通にな」
「魔物って、俗に言うスライムとかオークとかっすか!?」
と、突然興奮気味に声を張り上げたのは芝原。
「そ、そうだが」
「さっきギルドって言ってましたよね? ってことはアレっすか!? 掲示板に依頼の紙が何枚も貼ってあって、それから選んだものを受付嬢さんに渡す的なそんな流れで仕事をしていくんスよね!?」
「お、おお。よく知ってんな、お前」
鼻息荒くまくしたてる芝原に詰め寄られ、トーチは困惑しながら身を仰け反らせる。
「つっても、野生の魔物ってのは大概大人しいんだがな。人里を襲うことはまずないし、向こうも自分たちの縄張りを脅かさない限りは攻撃してこない。それでも稀に獰猛な魔物もいるから、そこで初めて討伐依頼が出されるのさ」
「ほぉ、ほぉ……」
意味不明な息遣いと共に、芝原は瞳を爛々とさせている。
「薬草とか鉱石の採取も低ランクだから報酬としては雀の涙。かといって、凶暴化した魔物の討伐は手練れの冒険者でしか無理――ってなると、中級冒険者が困るのさ」
「低ランク任務は初心者専用みたいなもんだからねぇ……」
「無謀にも高ランクな依頼を請け負って返り討ちに遭う……。そんな事例も最近多い。それでギルド側も制限かけちまってな。泣く泣く引退するヤツも増えてきてるのさ」
嘆息しながら、トーチは葡萄酒を飲む。瓶が空っぽになったのか、サルーナに無言で差し出すと、彼女もやれやれとばかりに追加の葡萄酒を持ってくる。
その脇では、なぜか勝ち誇ったかのように腕を天へと突き上げる芝原の姿。目にはうっすらと涙まで浮かんでいる。
「なんと捻りのない世界観か……。だが、むしろそれがいい!」
「ったく、ゲーム脳め……」
と、憐みの視線を送る陽ノ下。もっぱら海外ゲームやら狩りゲーを好む芝原だ。現実的に体感できるというのは、彼にとって夢のような気分なのだろう。
「何をそんな感動してるんだ、こいつは……?」
「ああ、こういうヤツなんで。ほっといてあげてください」
「意味が分からんが……」
どこにそんな喜ぶ要素があるのか理解できないトーチに、陽ノ下はぞんざいに手を振った。
「芝原くーん、帰ってこーい……」
「響里! お前にだって分かるだろう! この男なら誰しもワクワクする響きが!」
現実に引き戻そうと手招きして友人の名を呼ぶ響里。芝原は周囲が困惑するのもお構いなしに魂の叫びを放つ。
「画面越しに見てたあの理想郷がここに再現されてあるんだぞ! 男の夢が詰まった、誰しもが行きたい世界なんだ! 魔物にギルド、それに冒険者……王道の三点セットじゃねぇか!」
「ま、まあ、憧れるけどね……」
同じ穴のムジナではある響里も、惹かれないわけじゃない。ただ現実問題として、魔物なんて怖くて出会いたくもない。というか、この世界に降り立って、レトロの村に到着するまでよく出くわさなかったと、いまさらながら寒気が走る。
「お前ら、冒険者になりたいのか? ならギルドに紹介してやってもいいが」
「マジすか!?」
トーチの何の気なしの提案に、芝原はひん剥かんばかりに目を見開く。
「それなりに戦う術を持ってるんだろ? 審査とかは無論あるが――」
「いや、ウチら友だちを探しにきただけなんで」
「あ。そういや、そうだったな。悪い」
本来の目的も忘れ、歓喜に震える芝原を容赦なく絶望に叩き落す陽ノ下。愕然と打ちひしがれる彼を気にするでもなく、トーチは二本目の酒瓶を空にする。
「ま、もう今日は遅い。出発は明日でいいか?」
「え、でも……」
僅かに陽ノ下は顔をしかめた。
「儀式は夜。ここからだと半日で着く距離だ。せっかくなら人が集まりきったところで探したいだろ? すれ違いなんてでもしたら元も子もない」
「そうですね。じゃあ、トーチさんお願いします」
「…………」
焦燥の想いをこらえるように、唇を噛み締める陽ノ下。そこへ、ニールが駆け寄る。寂しそうな眼差しであどけない少年は陽ノ下を見上げた。
「……行っちゃうの? おねぇちゃん」
「……うん。ごめんね、大事な親友を見つけないといけないんだ」
口をすぼめて落胆するニールの肩にそっと手を置くサルーナ。しばらく黙り込んでしまったニールに、陽ノ下はしゃがみ込んで彼を見つめる。そしてニールは、精一杯の笑みを陽ノ下に送った。
「分かった。きっと大丈夫だよ。だって、おねぇちゃんはヒーローなんだもん!」
甘えん坊の少年のちょっとした成長に陽ノ下は目を細め、彼の柔らかな髪の毛を乱暴に撫でまわした。




