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罠屋   作者: 赤原藤尾
第一話 Prelude (前奏曲)前編

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第一話 05. 温度差(3)


◆五


5月18日 18:44


 会館の車寄せの庇の下で木村は切ったばかりのスマートフォンを上着の内ポケットに戻した。指の背が防弾衣の硬い縁に当たる。


 西の空にはまだ明るさが残っている。植え込みの陰だけが一足先に夜の色をしていた……


 車寄せの先頭に前の警護の車、真ん中に議員の黒い車、その後ろに木村の乗る1台。3台とも、エンジンは掛かったままだ。


 SPの主任は議員の車の脇に立ち、正面玄関の自動ドアを見ている。さっき、待ってくれ、と頼んだ時も同じ顔で同じ所を見たまま答えた。


「会合が終わったら直ぐに出ます。

 宿舎で待つ方が安全です」


 言っている事は正しい。土曜の夜、議員の夕飯はカップ麺だったと笑って教えてくれたのも、この男だ。その顎が今日は一度も緩まない。


――ピリついとる――


 理由は解らない。訊いて答える男でもない。


 内ポケットでスマートフォンが短く震えた。堀内からだった。


”新田さんより。議員の車から離れるな。前後で挟め”


 木村は頭に”堀内班長経由”と付け、末尾に”了解”と足して班のグループに書き写した。


――届いたか――


 自動ドアが開いた。


 池山が出て来る。乗り込む前に池山は木村の方へ軽く頭を下げた。警護が付いてから、毎晩同じだ。主任がその背に手を添えて後部座席へ入れ、若い方のSPが助手席に滑り込む。


 後ろの車の助手席に体を入れると、運転席の若いの、もうシートベルトを締めていた。ネクタイの結び目が今朝より一段下がっている。


「防弾衣」

「着てます」

「見せてみ」


 若いのが上着の前を開くと紺の生地の縁が覗いた。木村は自分の胸を拳で一度叩き、鈍い音を確かめた。


「よし。前に付いて行け。

 間、空けたらあかんぞ」


「はい」


 18:45。前の車のブレーキランプが消え、車列が動き出す。



 会館から宿舎までは渋滞が無ければ10分と掛からない。今朝、自分で一度走った道だ。信号の数も、右折の場所も、路上に車を停められる所も頭に入っている。


 ただ、今朝は空いていた車線にタクシーの屋根の灯が幾つも並んでいる。


 前を行く議員の車の後ろの窓に池山の頭の影が小さく揺れている。


 坂口は今頃、本部で資料の山に埋もれている。


――溜め込んどらんやろな――


 左の歩道を行く人の顔を木村は1人ずつ目で拾っていく……。



5月18日 18:54


 宿舎まであと少しの交差点で信号が赤に変わった。


 片側2車線の左の車線に3台が縦に並んで止まる。後ろにも直ぐに車が詰まり、右の車線も同じように埋まっていく。


 空は藍に沈み始め、角のビルの2階では歯医者の看板が白く灯っている。交差点の手前の歩道では、買い物袋を提げた女と背広の男が2人、信号を待っていた。


 交差点の向こう、30mほど先のコインパーキングからセダンが1台出て来た。




 セダンは通りに出ても左へも右へも曲がらない……。




 こちらの2車線を斜めに塞ぐ形で止まり、そのまま動かなくなった。

 運転席のドアが開き、男が1人降りる。振り返りもせずに歩道へ上がり、路地の奥へ走って行った。


 どこかで、クラクションが鳴った。


「何ですかね、あれ?」


 若いのの声が少しだけ高い。


 信号が青に変わった。前の車が動き掛け、直ぐに止まる。その先を、斜めのセダンが塞いでいる。後ろでクラクションが重なり始めた。


 木村は振り返った。後ろの列の、更に後ろまで、ヘッドライトが詰まっている。右の車線にも車1台分の隙間も無い。




――挟まれとんのは、こっちや――




 木村は無線のマイクを取った。


「後ろ、木村です。

 前、塞がれました。

 後ろも詰まって、下がれませんわ」




『降りるな。議員はこっちで伏せさせる』




 主任の声は、いつもより半拍早かった。


 ダッシュボードの時計が18:59から19:00に変わる。


 パーキングの方で、車のドアの閉まる音がした。1つではない。

 靴音が、クラクションの隙間を縫って近付く。歩道を、男たちが歩いて来る。



 黒っぽい服。誰も走らない……。

 歩く速さが揃っている。



 横断歩道を渡り始めた人の脇をすり抜けて車列の方へ真っ直ぐに。1人は肩から何かを提げ、もう1人は上着の前を片手で押さえている。その下で、長い物の形が揺れた。


 6人か7人……。


車列の両側の歩道へ分かれていく。





――あかん――




 若いのは、まだ前のセダンを見ている。



「降りるぞ」


「え……」


「拳銃、出しとけ」


 木村は腰の留め金を親指で外す。若いのの手がハンドルを離れ、上着の裾を探る。指が裾に引っ掛かった。


 議員の車の向こうの歩道で男の1人が足を止めた。提げていた物を腰の高さに持ち上げる。


 木村は助手席のドアを押し開けた。


 排気ガスの混じった生温い空気と一緒に、鳴り止まないクラクションが流れ込んで来る。




お読みいただき、ありがとうございます。

次回「第一話 06. 送別会」


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