タイトル未定2026/08/17 04:50
設計事務所では、大きな声が飛び交うことなく、静かに業務が進んでいた。
やがて昼休憩となり、外へ行く社員や職場で昼食を取る社員に分かれた。
流花は、自分の机で持参して来たお弁当を広げた。
流花の隣の席の上司の安達も、愛妻弁当を食べていた。
流花と安達の席から少し離れた場所にいる田中は、携帯を見ながら黙々と弁当を食べていた。
流花と田中と違う部所で仕事をする野田は、コンビニでお昼を買うために、同じ部所の社員数名と話をしながら事務所を出ていった。
中途採用で事務所に入社した野田だったが、アイドル級の顔で同じ部所の社員とすぐ打ち解けていた。
お弁当を食べ終えた流花は、弁当箱を片付けると携帯を出して、マスターに送るラインの文字を打ち出した。
『今週のバイトですが、用事があるためお休みします』
バイトを休む理由を「用事」とだけ打ち込み、特に詳しく打ち込まずマスターにラインを送った。
ラインの返事は、なかなか来なかった。
……忙しいかな?
特に何の疑問を持たず、流花は携帯で、建築士の資格の過去問題を眺めていた。
ふとラインの着信音ではなく、通話音が鳴り、画面を見ると『マスター』の文字があり、流花は慌てて外に飛びだした。
そんな姿を、離れた場所にいた田中がじっと見ていた。
外に飛びだした流花は、携帯の着信に出た。
「今、大丈夫ですか?」
心配そうに言うマスターに、流花は明るく応えた。
「大丈夫です。マスターは、お昼ご飯食べましたか?」
「まだです。これからです。流花は食べましたか?」
「はい。マスター、お昼は家で食べるんですか?」
「おまちさんがお昼を作って、待っています。流花が買ったお土産の鍋つかみ、おまちさん気に入って使っています」
「良かったぁ」
嬉しそうに言った後、流花は少し言いにくそうに切り出した。
「マスターバイトの件ですが……」
言いにくそうに言う流花を、マスターが引き継いだ。
「休むんですね。構いませんよ。ただ……」
その先を言うのをためらっていたマスターだったが、意を決したように言った。
「用事って、なんですか?」
「それは……」
「用事としか書かれていなかったので、気になって。探っているみたいですみません」
「……大学時代の友達と、飲みに行く約束をして。バイトがあるのに、遊ぶ約束をしてしまいまい、言いづらくて用事って送ってしまいました」
「そうなんですね。バイトのことは気にせず、楽しんで来てください」
「マスター……ありがとうございます」
「……流花……。大学時代の友達って……」
「大学時代の友達が、なんですか?」
「いえ、なんでもありません。……流花の飲み会が終わったら、会いませんか?」
マスターの思いがけない言葉に、流花の顔がほころんだ。
「はい」
「その日は、ボクのマンションに泊まりにおいで」
「マスター……良いんですか?」
「ずっと、一緒にいたいんです」
通話を切った流花は振り返ると、目の前に田中がいて、流花は声を上げた。
「田中君!」
「そんなに、驚くことないだろ。遅いから気になって。電話、マスター?」
「……うん」
「昼休憩に電話をかけてきて、仲が良いんだな。休憩、もう終わるよ」
田中を相手にせず、事務所に入ろうと歩きだした流花に、田中は流花の背中に投げつけるように言った。
「流花ちゃんが買ってきたお土産のお菓子、俺はもらわなかったよ。流花ちゃんがマスターと出かけたお土産なんて、もらえるかよ」
マスターと旅行に出かけた時、流花は職場にお土産のお菓子の詰め合わせを買い、お土産の箱を机の上に置いた。
社員がお土産をもらっていく中、田中はお土産に見向きもしなかった。
田中の言葉に、流花は思わず立ち止まった。
田中は、流花を追い越して事務所に入っていった。
通話を終えたマスターは、しばらく携帯の待受画面を眺めていた。
マスターは思わず『大学時代の友達って、田中君ですか?』と流花に聞いてしまいそうになったが、我に返り言うのをやめた。
……流花が、同世代の友人と飲みに行くことなんて、当たり前のことじゃないか。何を今さら……。
それでもマスターの脳裏に、田中の顔を思い出してしまう。
診療所のスタッフ達と顔を合わせたくなかったマスターは、診療所に戻らず家の玄関に入って行った。




